エロゲ学のメモ

当たり前だがエロゲにもさまざまなジャンルがある。
大きく3つに別れると思うが、抜きゲー/キャラゲー/シナリオゲーである。そして三者は三すくみである。
抜きゲー、シナリオゲーというのは読んで字のごとく表現されるとおりに理解すればよいが、それぞれ三すくみであるために中庸であるものの方が数が多い。
抜き寄りのシナリオゲーやシナリオ寄りの抜きゲーなどというのはいまいち想像が難しいが実際にはたくさんある。それはゲーム自体の性質よりもプレイする人間の性癖が多様であるからだ。
音楽において「ギターがビッグマフを使ってないとノれない」というのは珍しいが、性癖において「ヒロインが薬物漬けで犯されてないと抜けない」というのは珍しくない。(そのような性癖そのものは一般的ではないが、このような珍しい性癖を持つことは一般的である。)
意外と定義として難しいのはキャラゲームで、「キャラゲーに名作なし」の格言のとおり(そんな格言はないかもしれない)、エロゲ愛好家には抜けもしないしシナリオが面白くもないゲームの総称として扱われることも少なくないが、わたしが思うに先程述べた理由から多種多様な性癖をできるだけカバーするべくして生まれたのがキャラゲーである。それならばキャラゲーに名作なしと言われるゆえんに説明がつく。多くのプレイヤーを取り込もうとしているため、シナリオはよくあるラブコメディとなりがちで、コアなオタクからは軽く見られてしまう。ゲーム界のJPOPかもしれない。

エロゲはすでに終焉を迎えつつあるため、日本の民俗学と同様に学問として研究する意味もまた失われつつある。しかし意味のない学問にも満足はある。あれがなんであったのか知りたいと思うのは誤りでも愚考でもない。

こと抜きゲーにおいてエロゲの動機は純粋である。それは、ないから作るという創作の詩的な表現欲に他ならない。エロゲが衰退したのは他のオタクカルチャーの商業的あるいは質的価値と戦って敗北したからではなく、「ないから作る」という純粋な創作意欲が、「あるから作る」という大衆化のこれもまた純粋な創作意欲との戦いに敗北したからだ。
それゆえエロゲの時代は再び必ずやってくる。


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