01/19/2023雑
懐かしいニコニコ動画のはなし。よく見てたのはやっぱりゲーム実況なんだよね。今でも覚えているのはhacchi。
読み物として成立させるのめんどいから唐突だけど、そこで受けた衝撃は「あ、ぼくオタクじゃないんだ」っていう絶望だった。
当時のわたしはなぜかマガジンっ子で、毎週水曜日(だっけ?)魔法先生ネギま、スクールランブル、クロマティ高校が楽しみでしょうがない。やってた深夜アニメはリリカルなのは三期だった気がする。でもアニメは名作をDVDで借りて見るのが好きで、攻殻機動隊やらガンスリンガーガールを本当に何回も観てた。何回も。
でまあそうするとぼくちゃんけっこうオタクだなって思いはじめるもの。秋葉原という愉快リゾートにいつかは行ってみたかった。
で、友達に教わってニコニコ動画をみるようになって、衝撃を受けたのがあの動画を横切るコメントだった。
わたしは自身をオタクだと思っていたが、オタクは陽キャと同じく「みんなで一緒のことをするのが楽しい人たち」であることに気が付いてしまった。もうそれはかなり落胆した。オタクってなんか部屋に閉じこもって一生アニメみたりゲームしたりしてどんどん自分の精神を尖らしていくもんだと思ってた。(それも違うかったけど)
オタクは初音ミクとかアイマスとかのライブに行ってグッズ買って萌え~とか言いながら仲間とワイワイガヤガヤやるのがオタクだったのだ。ニコニコ動画はそれをコメントという形で突きつけてきた。おもしろさとは盛り上がりのことで、「ここが盛り上がるポイントです。笑うポイントです。感動するポイントです」っていう動画のほうが伸びるし、「来るぞ。。。。」みたいなさっむいコメントも当時は溢れていた。
いまよりもずっと鋭角だった当時のわたしには絶対に受け入れられない価値観だった。
わたしはオタクでいることを諦め、新しいアニメやラノベをほとんど追わなくなり、代わりに面白いストーリーがなぜ面白いのかを調べることに夢中になった。これが大学での民俗学研究に繋がり、最終的には解釈学にハマる最初の一歩だった。
面白いストーリーがなぜ面白いのか。。。?
おもしろいことを思ったもんだ。
いま書いていてわかったけど、つまりわたしは感性を信じていないんだな。
おもしろいと感じる自分の感性を信じていない。
おもしろさには必ず理論があって、わたしは知性でそれを捉えているし、みんなが感性と呼んでいるものは知識量とその検索能力だ。そしておそらく間違っていない。
感性とは創作にかかわる能力であって受け手の能力ではないのかもしれない。
しかし同時に、わたしは物語の受け取りは非常に創作的であるとも思っているから、この方面で参考になるものを読んだり違う向きから考えたりしたい。おわり。
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