サンクチュアリ 真べぇvsケツは何に失敗したのか

これ以上ない成功に湧いたニューヨークチャンネル企画 「サンクチュアリ 真べぇvsケツ」、この大団円に水を差した辻とキムの真意はどこにあるのかを考えた。

つまるところニューヨークをはじめとする出演者と辻キムには目的が違うのだ。辻キムは「サンクチュアリ 真べぇvsケツ」というお笑いライブの成功をまったく期待していない。彼らの目的は真べぇという先輩芸人の印象を塗り替えたかったんじゃないかと思う。

ライブの最終的な結論である「真べぇはみんなに愛されている(愛さざるをえない)ちょっと不器用な男」という評価は、辻キムのような視力のある芸人にとっては自明だった。

想像するに、本当の目的は企画全体を通して「真べぇは売れてないのに軍団作って後輩に恩を売ることでお山の大将やってる痛いヤツ」というキャラクターへと真べぇを作り変える、あるいはそのようなニュアンスを新しく付け加えることにあったはずだ。
「真べぇは何も変わっていない」という言葉の裏で辻キムが期待していたのは、真べぇ自身の変化ではなく、真べぇが受ける周囲からの評価、あるいは印象の変化である。

企画が本当に成功するには、ライブ前のケツのように、真べぇに対して正面から唾を吐くことが当たり前であり、真べぇなどそう言われて当たり前、というくらいにならなければいけなかったのだ。

キムの「これで終わっちゃったな」という感想は「これで真べぇさんにたてつく機会が二度と失われてしまった」という諦観だろうな。「みんなに愛されている良い人」なんていうつまらない評価を、他ならぬケツが、1年目から真べぇに世話になりながらそれでも叛旗をひるがえした後輩芸人が認めてしまったのだから。これ以上蒸し返せる人材はもういないのだ。

結末がどうなるのかわからない緊張感と、重圧と、不安、さながら賞レースにおける楽屋のような状態だった、とライブ前の雰囲気をニューヨーク屋敷が語っているが、それこそが真べぇが後輩にどう思われているかを如実に物語っていると思う。

もうだれも真べぇを「みんなに愛されている不器用な売れない芸人」から抜け出させることができなくなってしまった。

それがサンクチュアリの失敗なのでした。

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