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往復書簡・こんにちは見學くん②小田急、箱根行き(久喜ようた×見學慶佑)『暇』2023年11月号

久喜ようた(35歳。中野区在住の画家)×見學慶佑(25歳。就職3年目の夏を迎えた箱根のホテルマン)

見學さんへ
8月もお盆の時期ですね、とは言ってもお盆とはなんなのか。
そのようなイベントをこなした事がないのでニュース番組で「渋滞100キロ」を眺めるも暇です。
外から表拍子の曲が流れてきて「ボンオ取り」の季節かと、幼少の頃に「盆踊り」を「ボンオ」という日本の妖怪を捕まえる行事を「ボンオ取り」というのを漫画で読んだ事を思い出すくらい暇です。
今日は昌栄プラザへ出向きました、杉本さんから依頼されていた表札をお渡しに行くのと「暇」誌9月号のインタビューを受けに行きました。
昌栄プラザは玄関に表札を掛けることで「ニュー本厚木ネオ書房」になりました、是非厚木に行った際には見てみて下さい、この表札はピザも置ける優れものです。


ニュー本厚木ネオ書房の表札をかける(8月11日)

うちの家から「ニュー本厚木ネオ書房」に行くにはまず新宿に出て小田急線に乗らないと行けません。
私は途中で乗り換えるのがたまに出来ない人なので新宿から本厚木までの直通列車に乗ります、約50分の道のりです。
見學さんは50分何をしてその時間を過ごしますか?
うちはいつもならスマホでゲームをしてスマホで英語の勉強をしてスマホで漫画を読んできます、諸々の仕事の連絡をスマホでしたり、スマホを軸に50分を過ごします。
発達障害の二次障害で聴覚過敏症なのでヘッドフォンと音楽も欠かせません、スマホで音楽を流します。
今日は杉本さんから借りていた『ヨイショの達人』(高田文夫著)を読んで相模川を渡ってきました、杉本さんは「間合いをやるならこれを読んでいた方がいいでしょうねぇ」と言って渡してくれました。
50分ですと全213頁のうち120頁までしか読めませんでした。
うちは歩き文庫宜しくホームから改札、厚木の街を『ヨイショの達人』と睨めっこをし「ニュー本厚木ネオ書房」へ歩いてきましたが、それでも140頁を読み終えるのが良いところでした。
うちは重さのある表札をバックパックに背負って歩いていたものですから二宮金次郎の気持ちで街を歩いてました。
歩き本読みって昭和の時代問題になったのかな?学生の時の伝統教科書隠し早弁宜しく、本にスマホを挟んで見ていたら怒られる事を回避できるのかな?周りはスマホと睨めっこ、なんも変わらないよなぁと思いながら夏の暑いコンクリートの上をひょいひょい歩いておりました。
読めなかった約70頁を「ニュー本厚木ネオ書房」で読み終え杉本さんにご返却いたしました。
「ベーコンちゃんについて」「カルボナーラ」「サッポロ一番醤油ラーメン」「パイプライン」「あそビュー」「あ、明日江ノ島行こっと」を終え煙草も尽きそうな所で、ラックにぽつんと一つ置いてあった円柱の金色のものを手に取りました。
それには「TOKYO1964」と書いてありました。うちは杉本さんに「これ金メダルですか?」と聞くと杉本さんは「それは時計ですよ、スライドさせるんですよぉ」と教えて下さいました。
円柱の蓋部分の所を開くと時計が出てきました、「不稼働品で買い取ってくれなかったんですよねぇ」と言われた時計の針はピタッと止まっていました。
うちは裏返して簡単ながらネジを外し歯車を弄ってまた元に戻しゼンマイを巻きました。
すると時計はまたカチカチカチと時を刻み始めました。
「動きましたよ」と渡すと「不稼働品って言われたんですけどねぇ」と杉本さんも時計を耳に当てて音を聞いておりました。
こういうと変に思われますが、うちは動く気がしたんですよね「これ壊れてない気がする」という勘です。
視界に入って手に取る行動をする前にはもう時計に呼ばれていたのでしょうね、思い込みでも良いんです。
時間がまた一つ動き始めました。
見學さん、次からは「見學くん」とお呼びしても良いでしょうか?
まだお会いしたことがない見學さんにたくさんお手紙を送ります、返信は気の向いた時で大丈夫です。
スマホを見ていないこの時間は少し幸せでした。
久喜(2023年8月11日)

◆   ◇   ◆

久喜さんへ
「お盆って人が多いから疲れるのよね」
箱根に遊びに来るお客様たちは口々に言います。
その「人が多い」の「人」の中には自分があたかも含まれてないように話しますが、立派にその「人」に含まれています。そのさまに面白さを感じながら、今日も「疲れちゃいますよね」とそれとなく相槌をうっているくらい暇です。
今日は束の間の休日です。
僕は休みは予定の有無に関わらず朝から外に飛び出します。理由はいろいろあります。
昔から同じ場所に居続けることが苦手ですぐに飛び出したくなってしまいます。だから今日も、「そのままだと虫湧いちゃうよ」って言われそうな排水溝も、「明日着ていくワイシャツ無いぜ」って言われそうなほど溜まった洗濯物も無視して、ミニの鍵を握りしめながらそそくさと外へ繰り出しました。そんなじっとしていられない性格もありますが、幼少期から僕は光る画面が苦手です。
「けんちゃん、ゲームしよ!」と誘われるより、「けんちゃん、外行ってひたすら西に向かって歩こうよ!」の方が遥かに心をくすぐりました。外に出て乾いた田んぼで走り回ったり、自分の背より高い草藪の中に秘密基地を作ったりしている方がよっぽど好きでした。ゲームをしても、もって30分です。だから今もテレビやパソコン、スマホを長時間見ることには抵抗があります。光る画面資本主義の社会や世の流れに置いて行かれている感覚は確かにありますが、それはそれで僕だけの社会が創られるからまぁいっかと現を抜かしています。久喜さんの話を読んで、電車に乗っていた頃のことを思い出しました。
僕は高校を出た後に東京の神田にある専門学校へ2年通いました。
それはそれは濃い2年間で、人格形成される10代の最後の2年をあの環境で過ごせたことは本当に幸せなことだったと信じて疑いません。
さて、僕のお家から神田まで電車を2回乗り継ぎ約1時間。
それはそれは儚くも切ない、鮮やかな1時間です。
どうしても混みやすい路線だったので、いつも6時ごろには家を出ていました。
教材を詰め込んだやや重ための黒いリュックを背負い込んで、薄明るいコンクリートロードを歩いて15分。最寄駅から北千住まではiPod nanoに入れた英単語のCDを聴きながら単語帳を開き30分弱ブツブツと独り言を唱えていました。毎日のように行われる英単語のテストはその電車の時間で対策をすると決めていました。
北千住から上野、上野から神田までの20分は好きな新書を読んでいました。小説は登場人物を覚えられないから読むことを諦めていましたが、新書は人の話を聞いている感覚でずっと読んでいられました。また、新書に書いてあるちょっとしたアイデアが僕を楽にしてくれました。だから、北千住から上野までは忙しい1日の中に彩りを与えてくれる大切な時間でした。
電車の中の時間、やれることはたくさんあります。
「車や自転車に乗りながら」、「歩きながら」では叶えられないことが叶えられる時間です。
移動と同時進行で別の作業に意識を向けられます。
だから、当時の僕はこの電車に乗っている時間を有効に使うことで周りと差をつけられると考えていました。今思えば誰と競っていだのだろうと疑問に思いますが、「受験前の夏休みをどう過ごすか」と熱くなる塾講師みたいなメンタルがそこにはありました。
また、僕は電車の中では座らないと決めていました。
理由は単純で「気を抜いたら寝てしまう」からです。でも、立っていて面白いこともありました。よくドアの近くに立っていたのですが、そのポジションは車両の全体が見渡せて、みんなが何をしているのかよく見えました。いちゃついてくる彼女そっちのけでパズドラに走る彼氏、真面目な顔でTwitterのエロ画像を見るオジさん、隣の人の濡れた傘に当たらないように必死に足をよじるOL。みんな思い思いにその時間を過ごしていました。今、ホテルマンをしていますが、お客様が「思い思いに過ごす」というゴールはあの姿なのかなと思う次第です。
あら、なんだかんだ走り出したらこんなにも書いてしまいました。
久喜さんの最後の時計の話、なんだかグッときました。久喜さんがくれたきっかけで、僕の中にある18歳の頃の電車に乗っていた記憶が動き出してしまいました。
きっとこれまであったことは色を失ったり、思い出せなくなっていくと思います。でも、こうやってなんらかの外からの刺激によってまた色を取り戻し、「思い出」や「記憶」っていういつまでもしがめる酒のつまみが増えることで、老いることが楽しくなっていくのでしょう。歳を取っていくことになんだかワクワクしてきました。
久喜さん、ぜひ「見學くん」と呼んでください。
見學(2023年8月13日)


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