3月14日、特別な日


長文になりますが文書を書きたい気分なので綴ります。
(気持ちが落ち着いたのもある。)

これと言った才能も
これと言った特技もない


ただ、大人になったら
成人したら

"いつか猫と暮らしたい"という気持ちがあり

知人から兄弟猫を2匹引き取りました。


可愛いですよね。

画像左の子は"天"

画像右の子は"録"

天はよく喋る、遊んだりお話が好きな子。

録は天とは正反対で大人しく、控えめな子。


今回、言葉を綴りたいのは
この気持ちを残したいのは録のお話。



2023年、春と夏の間頃



録が膀胱炎になりました。


猫さんには良くある話で
近所にある動物病院へ向かいました。

とりあえず抗菌薬を貰い、症状は落ち着き
私もホッとしていました。


録は天より身体が大きく、走ったり高い所に登ったりするより

のんびりとマイペースに過ごす子でした。



初めて通院してから2ヶ月後

録は尿路結石を発症し

何度か尿道閉鎖を起こします。


肥満の猫が尿路結石になりやすい事を知り
幸い、療法食で溶ける結石(ストルバイト結石)

だったので


録が食べやすいヒルズの療法食を買ってました。




2024年、今年ですね。

1月4日、録が尿道閉鎖を起こし
再度通院することになりました。

閉鎖解除の為に、一時的にカテーテルをつけられ
解除できたら先生とお話。
今思えば、毎週通院してました。



一時的と言えども、何度もカテーテルを入れると
やっぱり尿道は腫れてしまうらしく

いつも入れているカテーテルが入らなくなり
ワンサイズ細いカテーテルを入れて貰いました。


今後、尿道閉鎖を起こし
腎臓に負担がかかるとマズいので
自宅でもカテーテルをつけたままの生活が始まりました。

(一度、腎臓の数値が悪くなり1日入院してました)

自宅でカテーテルをつけての生活。
録にとっても辛かったと思う。

当然、舐めてしまう事を避け


・猫用オムツ
・エリザベスカラー

・8時間に一度、シリンジから尿の採取

この三つは必需品、必須となります。


歩きずらく、紙オムツで太腿がカブれたり
エリザベスカラーの影響で首元の毛が薄くなったり。

私は在宅勤務なので
基本的に自宅にいる事から尿の採取をしよう、と。

何より録の事が大切だから
そう決めました。

2ヶ月ほど、カテーテルをつけたままの生活をし

毎日抗菌薬を飲んでもらい

毎日8時間に一度尿を採取する


そんな毎日を過ごしました。

尿道を拡げ、尿道閉鎖を防げる手術の日も決め

これから頑張ろう、と思ったり。


これは、私一人では絶対に続けられなかった。
旦那さんの協力、理解があったからこそ続けられたんだと思います。


2024年、3月4日。

無事にカテーテルを元の太さに戻せたこともあり

担当の先生に提案された事





「カテーテルを外してみる選択肢もあります。」





急にそんな事を言われても
私と旦那さんは"カテーテルを抜く"決断をすぐ出来ず…。

1週間ほど、2人でどうするか話し合ったり
録に聞いてみたりしました。

でも、録の気持ちを汲み取れば
カテーテルを抜いて欲しいのは当然で

カテーテルを入れておいてほしいのは
私たち、人間のエゴでしかなく

カテーテルを抜く決断をしました。


2024年、3月12日。


カテーテルを外してもらい、最低限必要な検査を終え帰宅。


録にとっては2ヶ月ぶりに自由に過ごせる日が来たんだな、と一瞬だけ安心しました。

でも、録にとって

私達、夫婦にとって

"3月12日の普通の自由"があったからこそこの後に訪れる出来事を乗り越えられたのかもしれない。


帰宅後、録の呼吸が早く

再度動物病院へ。



結局、原因は分からずそのまま帰宅。


夜になっても、夜中になっても呼吸は早く
涎が永遠と垂れてしまう状態でした。



オムツも、エリザベスカラーもなく過ごす時間。

布団の中で録とくっついて眠れた事
たくさん色んな話をしたこと
録が久しぶりに穏やかな表情で私を見つめてくれたこと

不安ながらも幸せな"3月12日"を過ごしました。



久しぶりの自由だね、録




担当の先生には「明日も来て欲しい」との事で

次の日も通院することになりました。


2024年、3月13日。

いつも通り、旦那さんと録と一緒に動物病院へ。

脱水症状が酷い+胃腸の動きが悪いことから日帰りでの入院が決まり

夕方、迎えに行くつもりでした。



結局、検査をしても
胃腸の動きが悪い、呼吸が早い原因は分からず


夕方、担当の先生から言われた結果が






ー"膵炎"



でした。



この時、ちょっと覚悟してたと思います。
録が私たちの元から旅に出る事。
もう抱き締められないんじゃないか、って。

当然、入院させたままになるので
その日、面会に行きました。




朝よりぐったりしてる録
看護師さんから"ほとんど動けません。"
と言われていたのにも関わらず、録は起き上がって歩いたり。
録の目は確かに"家に帰る"と言っていて

私は今すぐ連れて帰りたかった。


2024年、3月14日。


夜中の3時に動物病院からお電話をいただきます。



私達が一番望んでない言葉




"朝まで持たないと思います。"




録は何度も尿道閉鎖を乗り越え
最初あった結石も、結晶もなくしたのに

"神様は私達から録を奪うんだ"

そう思いました。

流石に寒い夜中に迎えに行くのは可哀想な気持ちもあり、朝早くお迎えに行きました。



昨日と何も変わらない録
呼吸だけ早くて、息苦しそうで


"検査をしても、検査の途中で息を引き取る可能性があります"



そんなんだったら、連れて帰りたい
検査とかどうでもいい

と思い、録と旦那さんと帰宅する事に。


流石に覚悟してた事とはいえ
現実を目の当たりにすると心が耐えられなく

絶妙に肌ざわりの良いタオルで包み
旦那が録を抱っこして一緒に歩く道


(流石にキャリーに入れるのは辛そうだった)







 
妙に晴れた空、自宅に帰る橋の途中
春が近付いていている太陽が降り注ぐ中



録は旅立ちました。




律儀に私と旦那さんにお礼を言って。



可愛くて、マイペースな録

食いしん坊で、ご飯をたくさん食べる録

私達が来るまで、待っててくれたんだね。

隣を歩く私のコートを引っ張ってお礼を言ってくれて

そんな、お礼を言うのは私の方なのにね。



ただ、喪失感が凄く
1日、涙が枯れるまで泣いたり

その日に火葬を終えたのですが
涙で書類すら書けなかったり

でも、最後は笑顔で旅立って欲しくて

"行ってらっしゃい"と"愛してる"を込めて



録に別れを告げたのです。




私達より先に旅立つことは理解していました。
それは当然でしょう。

ただ、早すぎるんだよ、神様。
ねぇ神様聞いてる?


2月14日、バレンタインデーは私たちの結婚記念日。

3月14日、ホワイトデーに旅立つなんて。



ネボスケ録




これはただの御伽噺だと思うのですが
虹の橋、虹の橋の麓の話を20年振りに読みました。



第3部
「雨降り地区」と呼ばれる虹の橋の入り口にあるとされている雨がずっと降っている地域となり、この雨が=飼い主様がペットを想い流す悲しみの涙の象徴とされており、この雨が降り注ぐ限りペットも共にその悲しみを背負うこととなり、虹の橋の雨降り地区から先へと進めなくなってしまう


私が泣けば
録も悲しみを背負ってしまう

そう思ったって涙は止まらないし

そういう時は枯れるまで泣くしかないんですけどね。

この駄文を書いている今も
ちょっと涙が出そうだったり

約1週間後に行くライブに行こうか散々悩みます。
(その話はまた今度)


数日経った頃



"録は幸せだったのか"

そんな事をぐるぐると考えてしまい涙がポロポロ出たり明るく振る舞えなかったり。

いや、そりゃぁそうだろ、と今なら思う。


でも、今だからこそ言える。


録は絶対に幸せだった。
ついでに言うと今でも幸せだと。



だって、私と旦那さんの所へ来てくれたんだもの。
何時だって魂は一緒に居れる。



毎日、今でも録にお線香を上げたり
話しかけたり。

"時間に囚われないいつもの日常"を過ごしてます。


一匹でも多くの猫さんが幸せに暮らせたら良いと毎日思ってます。
天の話はまた今度綴ることにして。





お世話になった動物病院から、後日お花をいただいたり。
天も居るのでこれからもお世話になります…。

このお花をいただいた事で私の気持ちが落ち着いた事もあります…本当にありがとうございます。


悲しすぎて、心が死にかけてた
私の心を蘇らせてくれた出来事は次に書きますね。

(需要がなくても書きます!!!!笑)



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