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夜山踏み

 女は片眼を矢で貫かれ、血を撒き散らしてのけぞった。恨めしい表情を向け、断末魔の声をあげる。

「殺生な!」
「猟師は殺生するもんや。迷わず成仏せい」

 夜一は油断せず、弓に次の矢をつがえた。女は仰向けに暗い淵へ倒れ込む。水音は立たず、そのままスッと沈んで姿を消す。水面には赤黒い血と、大きな鱗が浮かんできた。

「蛇か」

 夜一は舌打ちした。蛇はしぶとい。恨みを買った。だが、しばらくは動けまい。夜一は弓弦をびぃん、と鳴らし、再び黙々と山道を歩み始めた。秋の月は雲間に隠れ、道は暗いが夜目は利く。

 今宵は月に一度の「夜山踏み」だ。手練れの猟師が、割り当てられた山を一晩見回り、害獣を見つけて退治する。熊や猪、狼や猿のたぐい。時に物の怪。それらを射るのだ。祖父が寝物語に教えてくれた。

「ここから少し上ったところに『入らずの谷』がある。そこで昔、知り合いがやられた。蛇に呑まれたんや」
「どうして蛇と知れた」
「谷の奥の淵の側に、大きな蛇の鱗が落ちておった。それでや。おれは仇討ちに、そこへ夜山踏みに行った。そしたら、その淵の傍らに若いおなごが座っとった。夜山におるはずがない。おれは言葉もかけずに射た」
「それで」
「おなごはギャッと叫んで、血を流して淵に落ちた。そのまま浮かんで来んかったが、座っとったところに鱗があった。つまり蛇やった」
「ほんまかいな。殺生な」
「猟師は殺生するもんや。お前も気をつけや」

 夜一が物の怪に出遭ったのは、さっきが初めてではない。うかつに声をかければ引き込まれて食われる。もし人だったとしても罪に問われることはない。「夜山踏み」を知らずに夜の山に入る方が悪い。それがここらの掟だ。

 ふつうの獣で一番恐ろしいのは、もちろん熊だ。多少の矢では死なない。夜一は前に仕掛けておいた罠を確かめ、足跡や糞を調べて回る。ここらの熊の巣穴や縄張りはおおかた把握してあるが、今夜は様子がおかしい。

 熊が、残らず食われていた。

【続く/800字】

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