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me and my xmas. vol.4

生まれてこのかた暮らしている愛する北海道と義実家のあるニューヨークのブルックリンでの二拠点生活とこれからのわたしの暮らしこと。

ミックスカルチャーのバックグラウンドを持つ子どもたちの日本での子育てがひと段落しそうなころから、少しづつスライドするように、元保護犬の相棒と高齢親の介護サポートがはじまって、つい先日、愛犬と母を立て続けに見送りました。

はて
さて

わたしの50代後半からの再スタートの記録。
まずはロゴスの世界からこんにちは。

今週の北海道は金曜日まで低めのお天気が続いていました。東京ではすでに夏のように暑い日も観測されているみたいですが、よくよく思い出せば今はまだ5月。この時期の北海道は稀にであっても山で雪が降ったりすることもあるのが通常運転のようす。異常気象と言われて久しいけれど、自分のいる場所のデフォルトのおおよその気候を知っていると言うのは何かと惑わされずに安心であると同時に、自然災害の多い昨今、誰もが持てる「気をつけた方がいい地球からのお知らせみたいなものをキャッチする基礎体力」があるということなのかなと思う今日この頃です。


新緑が美しい


xmas xmas

このコーナーには国内のこと。最近のきらめきや心と身体のことや、日本ベースでの子育てのこと、わたしのおすすめや、思ったこと、これからのことを書いていきます。


これまでも、この先も、ずっと犬一筋だと思っていた猫素人のわたしが60歳を目前にして仔猫を2匹飼いはじめた話し①



占星術で太陽が双子座に入った日に、我が家に双子の仔猫がやってきた。

このベースには娘のたっての希望があった。
ずっと前から娘は猫との暮らしを切望していた。

「猫、飼いたい」

なんども何度も娘に言われ続けてきた言葉。
昨年亡くした愛犬のフリコを動物保護団体から譲渡されるずっと前から、娘はいわゆる猫派だった。出先で猫を集める不思議な子。顔も猫っぽい。笑

わたしは成長細胞の中に犬エキスたっぷり育った筋金入りの犬好きで「今までもこれからも一生涯を犬とともに」というのが言わずと知れた自分にとってのOSバージョン。もちろん猫も好きだし実家に猫が2匹いたこともあったが、7年前久しぶりに人以外の小さい子を家族に迎え入れようかということになり、ならば迷うことなくまずは嘗て知ったる犬を優先させてもらった形だった。

フリコの通っていた病院に外猫ちゃんが数匹暮らしていて、行くとワラワラと必ず寄って来ては娘と遊んでくれた。また、人間の形をした猫のお母さんがかわいい猫たちと営む厚真のmomo cafe。地域猫が訪れる日高の新冠のカフェなど、娘の猫旅に付き合わされていくうちにわたしの中にも少しづつ変化が起こっていったと思う。


わたしは昨年末、大切にしていた愛犬のフリコを亡くし、続けて今年に入って闘病中だった母が亡くなったばかりだ。

母は最期まで意思の疎通が可能で、すべて母の希望通りに寄り添うことが出来たと思う。四十九日が済んで、相続まわりや雑務などが一つ一つ片付いてきて、不思議なもので思い出すのは愛犬のフリコのことばかり。家族はあんな中で同時進行でフリコの介護も十分すぎるほどやったと言ってくれてはいたが、わたしに全幅の信頼を寄せて生命を預けていたフリコ。言葉が話せない分、あれが出来たのではないか?これが出来たのではないか?とつい思ってしまう。

フリコがあまりに素晴らしい子だったので、夫も子どもたちも辛い。その事実は仔猫たちが来たことで癒されたりは残念ながらしない。代わりにはなることはない。仔猫の可愛さに癒されているわたしと、フリちゃんが恋しいさびしいわたしは同時にそこに存在していて伴走している。20年前に亡くしたメッチャンも、わたしの中で無くなることは決してないのと同じように。

気分と体調が満ちたり引いたりしながらも、ようやくエイッと気持ちを上げてフリコのお世話になった保護団体や預かりさん、病院、トリミングサロンにご報告とお礼の連絡をした。

連絡すると皆さん犬猫たちとの別離を幾度も経験された方ばかりで、心のこもった対応にまた涙が溢れた。

特に保護団体の代表さんにはお電話をいただいて慰めてくださりつつ会話の中で「犬や猫たちの寿命は私たちよりも短いので私たちが見送ってやらなくてはいけないんですよね」という一言がスゥーっとわたしの哀しみで曇った心に清らかな風を吹かせた。

既にわかっていることでも、自らの人生の多くの時間を使って、いくつもの酷い多頭飼育崩壊現場に立ち会って、悔しく悲しい無力感を味わったりしながら、たくさんの小さな儚い生命たちを亡くしたり救ってきた彼女から発せられた前向きな言葉のエネルギーがわたしの中の何かに触れたのがわかった。

その電話を横で聞いていた娘もなにか感じていたようだった。
下に妹弟がいない娘はフリコのことを「妹」として可愛がっていたので喪失感も大きかったと思う。


わたしも、愛犬を見送っただけならハッキリと感じることがなかった《今のわたしに残された人生時間は【迷っているには短すぎる】》という変えようもない事実。

愛犬の後に自分の母親を続けて亡くしたことで、当たり前ながら死んだら止まってしまうが生きている間だけはずっと止まることなく巡り続けてくれている身体の中に流れている血液と生命の拍動の中から無意識でも自らのタイムリミットを感じ取りはじめている気がする。


2月に亡くなった母は『桜を見ることが出来たら』と話していた。
あえて毎年お花見に行くことをしていたわけではなかった母だが、桜の咲く頃を目標にしていたのだろうと思う。それを察知したかのように今年の北海道の桜はいつもの年よりかなり早く来てくれたけれど、残念ながら間に合わなかった。

母は自らの死期をなんとなく察していたが、その母でも桜をおもったように、亡くなった人たちの中には、数ヶ月後の旅行の予定を立てていたり、行事などの予約をしていた人もいただろう。

うまく人生の予定を立てたつもりでも人はその途中で亡くなることがある。
人生のドアがパタンと閉じてしまうことがある。

母が亡くなった時に、いろんな話しをシェアした中で子どもたちとも確かそう話したと思う。今日できることをすることの大切さを。

猫旅中。フェルトバッジの猫ちゃんと崖の上のカフェへ。




北海道に春がやって来て桜が咲いて散ったある日、娘は久しぶりに言った。

「マミー、猫飼いたいよう」

「うーー、もう少し待って。いつかご縁とタイミングが合ったらね」

「いつか、っていつ?今できることを楽しむって、おばあちゃんの話しの時にも言ってたじゃん」

この日まで繊細な彼女なりの配慮もあってか亡くなった母のことを口にしなかった娘。彼女の強い意思が伝わって来た。

何かかなしいことがあるとつい自分中心におもってしまいがちだが、関わっていた人全員がそれぞれの立ち位置で、それぞれ感じている喪失感。
それを以てしても尚そう感じて、タイミングとして偶然が与えるものがあるならば、今までの人生の中では自分にとってのイレギュラーなことも受け容れてもいいかもしれないと、この時ふと思った。
何よりわたしにとって小さな生き物たちと一生寄り添って暮らしていくことは変えようもない当たり前に近いことだったのじゃないか!

「わかったよ。ただし家族みんなの中での条件に合うようにしよう」

夫は「大変なことが2つも重なったのだから、少しの間なにもしないでゆっくり休んだら?」と気遣ってくれていたが、娘の熱心な説得に半ば根負け。
夫の条件はペットショップで購入しないこと。息子は全面的に賛成。わたしは行き場のない子で急がず自然な流れでもし家に来てくれる子がいたらというものだった。


そんなある日、お天気がいいのでどこか近場に家族でドライブへ行こうとなり、
2つ向こう隣りの海辺の街が気になって、道路状況などを調べようとX(旧twitter)を見ていたら保護猫情報が流れて来たのがちょうどその街の保健所。
1週間前に保護された姉弟猫がいて「二人でじゃれながら楽しそうに過ごしているので出来れば一緒のお家へ」と職員さんがHPに書いていたのが、今週末になっても引き取り手がないので今日の日付で追記がされて「一匹ずつでも対応します」と変わっていた。

わたしは生き別れとか引き離される類いの話しにかなり弱い。

実は直前に知り合いのつてのお店に子育て中の野良猫ちゃんが赤ちゃん猫を連れてあらわれてカラスなども多い地域なので勝手に貰い手を探していると教えてもらったのだが、お母さん猫が子猫を守っているような様子もあって、そうこうしているうちに立ち消えになったということがあった。

フリコの時もそうだったけど、起こる時にはすべては自然に起こるものだ。

娘には「土日がお休みなので週明けに電話をして2匹ともいたら一緒にお迎えに行こう。もし1匹でも欠けていたら我が家のタイミングじゃないような気がする」と話したら娘も同じ意見だった。

翌日、保健所の開所時間より少し遅くなったが、まず電話で問い合わせをした。
娘の祈りが天に届いたのか、まだ子猫たちは2匹ともいて、譲渡希望の意思を伝えると、職員さんから住居状況ほか、しっかりした保護団体さんのように猫の立場に立ったいろいろな確認と質問があった。そのご様子に、ああ、この職員さんも猫飼いさんだなあとおもった。面談が必要とのことで、その後出発から1時間半かけての到着までにもしかしたら他の方へ譲渡もあり得るかもしれないことも娘に確認した上で車を走らせた。

到着後、仔猫たちとの対面、担当職員さんとの面談があり、仔猫たちの後見人の確認(わたしが譲渡を受けて、後見人は娘)。
穏やかな雰囲気の中で、どうもこれはフリちゃんの時と似ているな、もしや?自然の流れのようだぞ?とおもっているうちにお腹のあたりから武者振るいがしてきた。この先20年ほどに渡ってこの子達の生命の責任をしっかり負う、幸せにするんだ、という責任感の武者振るいだった。

お会いした3人の職員さんは皆さん猫飼いさんたちだった。お一人はワンコとのブレンドファミリー。わたしが将来目指す道だ。みなさんとてもいい方ばかりだった。動物好きにはわかるあの一種特有の目には見えないコードが繋がったかんじがした。

そして晴れて仔猫たちはうちの子になったのだった。


つづく


ニヒキ ノ コネコ ノ カゲ


ますます

国外、アブロード的なこと。ミックスカルチャーな我が家のわたしから繋がる海外を。

今年からは下の子の進学に合わせてニューヨークとの2拠点生活もはじまります。


お客様へ

本日、ますますは xmasxmasのイベント(仔猫育て)中のため、休業いたします。


ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪