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いつかのニューヨークとアジアンヘイト

(若い世代の方は知らない人が多い昔の航空券↑が出てきたのでトップ画像に貼り付けてみた)

わたしがニューヨーク出身の夫と出会ったのは今から30年と少し前。その頃のニューヨークは気をつけないとけっこう危険な街でした。

ニューヨークのJFK空港行き飛行機の中には、ビジネスマンかバックパック渡航者みたいな人しかいなかった。日本人の男友達が夜に地下鉄に乗っていたら、レザーのパンツをナイフで切られて流血したとか、あたりまえにタクシーにボられるとか、はたまた地下鉄の中で気に入った子がいたら、自分が行く予定のパーティーのフライヤーズを降りる寸前にその子に渡して後日そこで落ち合うとか、そんな映画に出てきそうないろんなことが街の中で普通にあって。

その頃のブロードウェイは今みたいにクリーンじゃなくって、コインを入れて女の人の裸をのぞく様なものやら、ピンクのネオンと多様な妖しくいかがわしいお店がたくさんあったし、ポン引き、ドラッグディーラー、ホームレスの方々も道にゴロゴロいました。(今の安全クリーンなブロードウェイやタイムズスクエアの様子は1990年あたりから始まった再開発の後から)

少し離れた13th Street &10th AvenueにあったMARSというクラブの周りにも売春婦が立ちんぼしていたんだけど、真冬のハドソン川の近くで、凍てつくような寒さの中、ほんとにミニスカートからアンダー丸出しで客引きしていて、かなりショッキングでしたが、今考えたらあれはドラッグ中毒者たちだっだのかもしれないなと思う。

夫の実家に1ヶ月くらい滞在したのち、夫の好物をお義母さんが大量に持たせてくれたものやらでいっぱいになり、帰国前に荷物が増えすぎてスーツケースを買い足すことになって向かった先は Canal Street、チャイナタウンがあるところ。今もそうだけど中華料理だけじゃなくて本当にいろんなものが売られている。

最近はずいぶん量も少なくなったけど、その頃はブランドものの偽物が大々的に売られていて、たまに抜き打ちでガサ入れが入るのでみんな無線を持っていつも警戒していた(その頃は携帯電話がなかったからね)。もし急に警察が来たと知らせが入ったら店の中にお客がいようがお構いなく、あっという間にシャッターを閉められたり。わたしはなんにもしてないのに、シーって静かにさせられたり。

でも悪いことばかりじゃない。街に人々に、良い音楽もあったし、クリスマスには知らない同士の「メリークリスマス」の挨拶があって、美しい映画の様な恋物語もあった。スマホがなかったぶん、みんな自分の「今」を生きていたんじゃないかな。



その頃、わたしはチャイナタウンに行くと現地に住む中国の人に同じ国の人間だとよく間違われた。チャイニーズレストランでも、Canal Streetの地下鉄駅でも。

そして黒人の夫といるのがわかると決まっていかぶった顔で睨まれた。若い年代の人たちからは感じなかったけど、年配の中国の人たちからは本当にあからさまに睨まれた。自国の女が黒人と一緒にいるというのが我慢できないのだと聞いた。同じアジアの人から差別が理由で意地悪にあからさまに睨まれたりするのがとても悲しかったのをおぼえている。

その時に聞いたのは「昔からなぜか中国人は黒人を差別する人が多いんだよ。黒人を見たら泥棒と思えということらしい」と。アメリカに住んでいる一部の中国の人は自分たちのことを人種主義の白人のようにまるで特権階級でもあるかのように振る舞うことがあるとも話していていた。

最近になってアメリカで頻発している悲しいアジア人差別のニュースが日本でも報道されているけれど、あれはコロナだけが原因でないことも潜んでいそうに思った。むしろコロナをきっかけに今まで溜まりに溜まった鬱憤を爆発させてぶつけている人たちがいるというケースも少なからずありそうだ。


なにより誰も差別しない、されないのが一番。

心と身体が癒される時間が全世界の一人一人に少しでも増えます様にと願うばかりです。


さてさて、最近そんなニュースのトピックに上がってきている要素を併せ持つ我が家のようなアジアとアフリカンアメリカンのミックスカルチャー家族は、いつニューヨークの実家に帰ることができるのかな?というのが最近の家族の夕食時の話題の一つ。

「こんなにアジア人攻撃があるのなら安心してピザも食べられないね。」などと一緒に行く私の身の安全を話すアメリカで食べるピザが好きな家族たち。「マスクするからどうやってアジア人だってわかるんだろうね?」「ストレートの髪かな?目とかの雰囲気?」「でもマミーはメガネかけてるからあんまりわかんないよね?」「髪は行く前にふんわりパーマでもかけていこうかな」などとたわいのない会話を延々として夜は更けていきます。

最近のわたしは、といえば、今年みたいにじっくり『国内にいなければならない』という年もめずらしいので1年くらいかけて何かを新しく勉強するいい機会だと思い、春から本格的な農業を学びに行くことにしました。長年の憧れだった農への第1歩をいよいよ踏み出します。『半農半X』という本に2007年頃に出会ってからですから、かれこれ14年の月日がかかりましたね。

実は養蜂も昨年度に申し込んだのがコロナ禍でキャンセルになってしまって、再開されるとのことで申し込みをしたら、今年度は養蜂したいひとがたくさんいたみたいで抽選で外れてしまいました。(涙)🐝ちなみに北海道の養蜂は寒さなどの問題からニホンミツバチではなくセイヨウミツバチだそうです。

わたしの人生の信条の一つ『うまくいかない時も神様からの回避のサイン』だと思っているので、流れに任せて今年はじっくりと農家1年生を楽しみたいと思います。


Until Next time..(´◡͐`)♪


#ニューヨーク    

#アジアンヘイト

ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪