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かつて郷党の鬼才と呼ばれた李徴は言いました。

人生は何事をも為なさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡だったのだ。
『山月記』中島敦

あらすじ

若くして名を虎榜に連ね、畏怖を込めて人々から、天才だ、と言われた隴西の李徴。英雄の肩書きも自分の役職も捨て、詩家になり後記まで名を残そうと試みるも上手くいかず断念。生活が苦しくなり、もう一度役人の仕事に就くが、かつての同僚はすでに高位に属し、己の自尊心を深く傷付けられる結果となった。ある夜、李徴は幻聴に悩まされ無意識のうちに森の中へと走り出していた。無我夢中になって走るうち、李徴は四つん這いで走り回る醜い虎に姿を変えていた。信じ難い現実に絶望と苦しみを抱えながら、人間と虎の狭間の中で生きていた李徴は、かつて唯一心を許していた友人、袁傪と再開する。


高校で、山月記という物語に出会った。

名前こそ誰もが知っているであろう山月記を、丁寧にあらすじまで書いたのにはワケがある。

「私」は『李徴』に、似ていると思うからだ。


無論、私は李徴ほど自分に自信がある訳でもなく、李徴ほど優れた人間でもない。

学校の成績は中の下だし、自分の顔も平凡。自信があるどころか、長所を聞かれても何も思いつかないほどには自信が無い。

李徴は自分に自信があった。
でも、とても臆病な心の持ち主だった。

自信があるからこそ自尊心は高く、無意識のうちに他人を見下していたのかもしれない。でも、本当は、自分が完璧な人間じゃないことを誰よりも理解していた。

理解していたから、他人にそんな自分を見られ、傷付けられることを酷く怖がった。

授業を受けるうち、私は、なんて繊細で、なんて弱くて、なんて自分にそっくりなんだろうと思うようになった。


私は傷付くことが怖い。

他人の言葉から自分を守るために、私はいつしか自分を自嘲する癖を持つようになった。

私なんか、を沢山使うようになった。

他人よりも腰を低くして、自分を貶した。

僅かに残っていた自分への期待はもう見えないほど小さい。

自嘲癖と唄い、心を許した友人にも壁を作るようになった。

信じられるのは誰もいない。

家族も、友人も、推しも、自分も。

軽く人間不信になっているのかもしれないなあとどこか冷静に、どこか諦めながら思う。


生まれ変わりたいと死ぬほど願った。

今この時間が早く過ぎればいいのにと祈った。

早く歳を取りたいと思う。

早く死にたいと思う。


虎へと姿を変え、生きる意味も生きる原動力も失った李徴は、夜空で孤独に光る月を見てどんな気持ちだったんだろう。

俺はなんて可哀想なんだと嘆いたのだろうか。

早く死なせてと神に願ったのだろうか。

もう一度やり直したいと泣いたのだろうか。


周りにチヤホヤされて周りに突き放されて散々振り回された挙句、虎として後世を過ごした李徴の人生。私は、自分をどうしようもなく嫌ってしまう時、必ず李徴を思い出す。

私もいつか虎になるのかな、なんて呑気に。

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