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01 「やる気」は実は気持ちではない?

「やる気」という言葉を私たちは、便利に使います。

「あいつは元気がなくて、まるでやる気が見られないからダメだ」

とか、

「休みも取らないで働いていて、やる気にあふれている」とか。

 まあ。こういう例はよくありますよね。ただ、僕個人としては、こういう「やる気」を使った評価の仕方をする上司や教師がいたら、相当頭が悪いと思います。なぜそう思うのかというのは、後で明らかにしたいと思います。

 この「やる気」というのは、勉強や学習に関しては、「学習意欲」という言葉の代わりによく用いられます。
 四字熟語の方が、何だか専門的で高尚に感じられますが、学習指導要領では、特に「自ら学ぶ意欲」という、やや砕けた表現が多く見られます。
 この「自ら学ぶ意欲」は、心理学の世界では、「自発的に学ぼうとする動機」の一つと理解されています。学習に関する動機については後ほど改めて述べることにしますが、一般に動機というのは、なぜそうするのかという理由のことですよね。
 ということは、学習の「やる気」というのは、「勉強する理由」と言い換えることができるということになります。

でも、ちょっと変ですよね。

「やる気」がないというのと、「理由」がないというのが同じというのは、感覚的にはどうも受け入れがたい。

――勉強しないといけないことは分かっている。でも、落ち込んでいて何となく気分が乗らない。勉強が手につかない――

 そんな時、私たちは「やる気がない」とは言いますが、絶対「学習する理由がない」とは言いません。
 「落ち込んでいる」というのは、「勉強しない原因」ではあっても、「学習する理由がない状態」ではありませんからね。やらなければいけないことは分かっているので、「学習する理由」はちゃんとあるんですから。
 それに、「目的」とか「理由」は、他人には見えませんが、「やる気」は「見える」んですよね。もちろん、それは行動によって示されているわけですが。
 そこが最大に違いかもしれません。

 「やる気」というのは「意欲」と道義の内容も含んではいますが、多くの場合は、冒頭の頭が悪い例のように、行動の代替でしかないことも多いのです。

 そう、頭が悪いと言ったのは、行動や状態のある一面を評価しているだけなのに、「やる気」という言葉で、あたかも内面を見ているかのように錯覚していることと、どういう風に行動してどういう成果を出したかを評価していないからです。努力を残業時間でしか評価できないブラック企業やブラック上司は、その典型でしょう。
 つまりですね、私たちが日常的に使う「やる気」という言葉は、「意欲」とか「目的」とか「理由」とかを包み込むんだ曖昧な概念であり、同時にその結果として現れる積極的だと評価される行動や態度なのではないかと思うんです。今の例も、「やる気がない」という判断は、「勉強ができていない」という行為からの判断であって、心理を分析した結果ではないですよね。

 では、その「やる気」、脳科学ではどう考えられているのでしょうか?

 東京大学の池谷裕二氏は、脳中心部の「淡蒼球」が活発に活動している状態と説明しています。「淡蒼球」が活発に活動していると、気持ちが前向きになるのだそうです。そして、この淡蒼球は身体や五感の刺激に反応するということです。これは記憶しておくべきことです。
 また、元信州大学の大木幸介氏は、「側座核」の活動で説明されています。「側座核」は「前頭連合野」という部位と密接な関係を持っているそうです。「前頭連合野」は、五感からの情報や、既に蓄積されいる情報を整理して、行動を起こす指令を出し、また時間の概念を生み出していて、「イメージの脳」とも呼ばれているのだとか。「前頭連合野」で何かが強くイメージされると、「側座核」に刺激が伝えられ、行動が促されるということです。
 この「側座核」と「淡蒼球」は、共に大脳基底核という、大脳皮質・視床・脳幹を結びつける神経核の集まりの中にあります。「側座核」は神経伝達物質を作る部位で、その神経伝達物質は「淡蒼球」に働きかけます。ですから、全体としてはー連の動きであって、両氏は、それを部分的に取り出して分かりやすく説明しているわけです。

 ということで、簡単にまとめてしまえば、脳科学の知見からは、「やる気」というものを、「外から与えられた刺激によって引き起こされる、前向きな反応」と表現できるのではないでしょうか。

 とするならば、「やる気」というのは、勝手に湧きがってはこないということになりますね。
 それに、実際、「やる気をだせ」という命令は、結局のところ行動を期待しているということであって、「意欲」、ましてや「動機」を持つことを期待しているわけではないですよね。
 「やる気」と「意欲」「動機」の間には、どうしてもズレがあようです。

 脳科学の研究成果も合わせて考えると、この「やる気」と「動機」の関係が、少しすっきりするんじゃないでしょうか。
 「やる気」がある、というのは、「活動を起こそう、あるいは起こしているという積極的な状態」であることを意味していて、「動機」は、そういう状態に脳を持っていくための「刺激」ということです。
 つまり、「動機」はきっかけであって、「やる気」はそれによって引き起こされた結果なんです。
 だから行動として見える。

 ここで問題となるのは、「動機」自体も気持ちの問題、つまりは脳の中で起こっていることだということ。先ほどの脳科学的説明のなかでは、「前頭連合野」なんかの話なんじゃないかと思います。
 じゃあ、その「動機」をどうにかするために、更に外から刺激を与えてやらないといけないんじゃないでしょうか。

 これが「やる気」がなかなか出ない、つまりは行動が起きない大きな理由のように思えます。
 しかし、逆に考えれば、そこには「やる気」を引き出す大きなヒントがあるのではないでしょうか。

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