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神戸世界パラ世界陸上競技会、そして神戸ブレードランニングクリニック


神戸世界パラ陸上競技会

東アジア初の世界パラ陸上競技会が2024/5/17~25に開催された。この大会はいわゆる世界陸上のパラ版で、パラリンピックに次ぐ世界的なパラ陸上の競技会。本来であれば、2021年に開催される予定だったのだが、パラリンピックが延期されたため、この大会も本年に延期された。

#誰にも響かない 解説

代表遠藤とスタッフのマニッシュは会期中神戸に滞在し、競技を観戦しながら、Blade forプロジェクトの海外展開のためにさまざまな国のスタッフとの面会をこなした。

会期中には遠藤が義足関連のレースでXで解説を投稿した。(その場での投稿となったため、誤字脱字はご了承ください)

ブレイクリーパー選手の復活

ブレイクリーパー選手は昨年からアメリカ代表に復帰し、昨年のパリで開催された世界パラ陸上競技会では銀メダルに輝いた。その時は同じアメリカ代表のハンターウッドホール選手の義足のボルトがレース直前で破断し、レースに出ることができなかったのだ。そして、神戸ではウッドホール選手が万全の状態での出場、パリで1位だったヨハネス選手、そして4位だったヘンドリクス選手全員が走るという、非常にレベルの高いレースが見ることができた。

その結果、Xiborgのブレードを履いているブレイクリーパー選手は4位という悔しい結果に終わった。レースが終わった後、サブトラックにいくとコーチとの反省会が始まっていた。コーチは、最初から突っ込んで走ったヘンドリクス選手とウッドホール選手、その様子を見ながら走ったチャンピオンヨハネス選手、それに追いつけると思いながら抑えて走ったリーパー選手、終盤になってもなかなかスピードを上げられず、他の選手たちも最後まで粘ったという見立てだった。今回はリーパー選手にとっては、悔しい結果であったがすでにパリへ目標を切り替え、練習計画を考えていた。そして、2028年には彼の生まれ育ったロスでパラリンピックが開催される予定で、リーパー選手のロスパラリンピックへの思いは相当強い。現在34歳のリーパー選手がどこまで走れるかは誰もわからないが、彼はロスをアスリートキャリアの集大成として考えている。ぜひ、期待したい。

神戸ブレードランニングクリニック

レースの次の日、神戸のみなとのもり公園でブレードランニングクリニックを開催した。

本当なら神戸パラ関連イベントやブースの中でできればと関係者は本当に尽力してくださいましたが叶わず、それでもやりたいといってくださった地元の学校の先生が場所を確保してくださり、実施に至った。 地元の澤村義肢製作所の義肢装具士さんや神戸医療福祉専門学校の学生たち、そしてこの地域の義足ユーザが30名ほど集まり、一緒に楽しく走った。 この前日、世界パラの400mに出場し4位に入賞したブレイクリーパーとそのコーチのジェフも参加し、彼らの話に参加者は熱心に耳を傾けた。ブレイクは生まれながらに足がなく、人生の中で否定され続けてきたことが多かったそうで、自分で動き続けることによって、できることを増やしてきたそうだ。 彼のいつも心に秘めている言葉を紹介してくれた

飛べないなら走れ
走れないなら歩け
歩けないなら這いつくばれ
できる範囲でもいいから動き続けろ

そして若い義肢装具士たちには、「常にチャレンジし続けること。いつもやっているものではなく、その枠から飛び出して新しいことにチャレンジしてほしい」 という言葉を残してくれた。

ブレイクリーパー選手は底抜けに明るく、クリニックの間ずっと楽しそうに笑っていた。彼に接した参加者たちもそれにつられて、楽しい時間を過ごすことができた。


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