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マナーよりも大切なこと

先日、広島市内で「初心者のためのフレンチを楽しむための会」を開催した。
質問は30?いや50くらいあっただろうか?
良い質問が多くて、僕自身も学びを深めることができた。

痛感したのはマナー教室の弊害。
形式的なマナーばかりを教えているので、本質が伝わっていない。
なぜ、何のためにマナーがあるのかを教えていない。
さらに、マナーとエレガントを混同している。

マナーとは、たまたま同じフロアで食事することになった見知らぬ者同士が、不快な思いをしないようにするためのもの。
つまり、自分だけでなく相手がある問題だ。

エレガントは美しい所作で食べたいという自分の願望。
つまり、自分の問題だ。

誰の問題なのかがわかっていないと混乱してしまう。
そうするとワインボトルのラベルの向きはどうあるべきかなど、本来どうでもいいことを気にするようになってしまう。

日本の多くの人たちは、個室で食事をしたがる。
それは、小さな集団のローカルルールである上司と部下や、先輩と後輩や、趣味が同じなど、その集団のルールをそのまま持ち込みたいからだ。
そうであれば、いつも酔っ払う人は酔っ払っても許されるし、セクハラする人も許されたりする。
それがいつものルールだし、個室だから構わないということだ。

しかし、ヨーロッパの場合、一つの大きなフロアに置かれたテーブルで食事する。
そうすると見知らぬ者同士の食事が目に入るので、肩書きが社長だろうが、先輩だろうが、最低限守りましょうねというグランドルールがある。
それがマナーだ。
僕はそういうフラットな考え方は素晴らしいことだと思う。
レストランで横柄な人は大嫌いなのだ。

そしてここからが本旨なのだけれど、マナーというのはお互いが快適に過ごすためのルールなので、まず前提として、楽しく食事ができないとダメなのだ。
当日も説明したが、レストランの最高の上席は、フロアのど真ん中のテーブルになる。
そこに座った客が、エレガントかつ楽しそうに食事していれば、その雰囲気が他のテーブルにも伝播する。
服をビシッと決めて、完璧な所作で食事できても、笑顔がなく、時々ヒソヒソと囁くように喋り、あとは黙々と食べていたら、なんだありゃ?葬式帰りか?となる。
海外で日本人が端のテーブルに案内されることが多いのは、それが理由だ。

そう考えると、その日にテーブルを囲んだ人たちと、楽しそうに食事ができないことは最大のマナー違反であると言える。
スマートフォンを触り続けるなんて論外。
目の前の人たちと会話しながら食事するよりも、一人で本を読んでるほうがマシというアピールだからだ。

学校教育の悪癖として、我々はすぐに答えを得たがる。
「スマホはダメなんですね。はい、わかりました」
というのでは、本当の意味では理解したことにならない。
なぜダメなのかを理解することが大切なのだ。

外食は娯楽だ。
誰かと一緒にご飯を食べるのは親密な行為だし、おいしい料理はおいしそうに食べるべきだ。
おいしければ楽しくなるし、楽しくなれば楽しいように振る舞えばいい。

だけどハメを外しすぎないようにね!ということでマナーがある。
初心者の人たちにはぜひともそういう理解をしてもらいたいと僕は感じた。

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