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熊野古道・伊勢路から中辺路の旅_3

4日目は平成大晦日。
「美鈴」に泊まった翌朝もがっつり雨。
昨夜から降り続いていて、夕方まで雨予報だった。
朝ご飯の時間はお決まりで8時からと遅めだったので、いい機会と捉えてゆっくりすることにした。

朝食も当然豪華で、左端には作りたての熱々豆腐が隠れている。
手前の味噌汁は魚のアラ汁で、処理が良いから生臭さはほとんどないのだけれど、冷めるといくらかは魚臭さが出るので、焼いた石を入れて、熱々の状態で食べさせてくれる。
素晴らしい工夫だ。

ここの朝ご飯のウリはカラスミのふりかけ。
卓上に置いてあるので、自分で好きなだけ使える。
僕はカラスミって、そのまま食べるよりもご飯に合わせたほうが旨いと考えている人なので、当然気に入った。

食後は窓辺で雨を眺めながら珈琲を飲み、行動計画を立てる。

この日は始神峠、馬越峠、八鬼山峠を越える26kmの予定で、特に八鬼山峠は伊勢路最大の難所と呼ばれている。
問題はスタート時間が遅いことと、雨が降っていること。
ロードを全部走っても、八鬼山峠で日が暮れる可能性があるため、始神峠とそこから馬越峠入口までの12kmをバスでショートカットすることにした。
とはいえ、バスは1-2時間に1本しかないし、JRはそれ以上に少ないので、乗り過ごしたらアウト。
急いでチェックアウトし、女将さんのご厚意でビニール傘を受け取り、バス停に向かうと、3分も待たないうちにバスが来た。

バスを降りたら目の前が馬越峠の入口で、雨に濡れた石畳と新緑がしっとりとして美しい。
雨は鬱陶しいが、この陰影が熊野古道らしくて素晴らしい。

熊野古道らしさを感じられる道なので人気はあるものの、雨なので入口付近をチョロっと歩いて引き返す人が数人いたのみ。
峠越えしている人とはすれ違わなかった。
この道を歩いて納得できたが、紀伊半島は日本有数の豪雨地域。
石を敷かないと、道が水の道になってしまい、薬研状に削られて、歩けなくなってしまうのだ。
石の間を雨水が流れているのを見ながら、なるほどねと思いつつ登った。

登りはともかく、ツルツルに摩耗した石の上に杉の葉が落ち、雨に濡れて滑りやすいことこの上ない。
転けはしなかったが、何度か足が滑った。
晴れなら全然問題ないが、雨の日に歩くなら骨盤を立てる訓練と、ランニングなどで足腰を鍛えておく必要がありそうだ。

馬越峠を下りたところで、毎日2度、天狗倉山に登るという80歳の世古さんに出会った。
馬越峠の有名人のようで、ネットで調べるとたくさんの人が彼のことを書いていた
尾鷲市に戻るまでは福山市沖野上町に住んでいて、JFEスチールの仕事をされていたとのことで盛り上がり、近所に見応えのある不動滝と大石があるからと連れて行ってくださることに。

滝は確かに美しく、岩は押しつぶされそうな迫力で、大きすぎてフレームに入らなかった。

天狗倉山に登る世古さんを見送り、尾鷲の街に下りてお薦めの尾鷲神社に参拝。

この時点で13時だったので、山の基本ルールとして、午後から入山するのはNGだが、このまま次の宿に向かうと、朝ご飯分のカロリーを消費していないよねということで、昼ご飯抜きで八鬼山峠に向かった。
標準タイムは4-5時間だが、そんなに時間をかけることはできない。

峠の入口に着いたのは14時。
3時間で下山する予定で入山した。

標高が高く、確かに道は険しいが、美しさもナンバーワン!
新緑&雨&午後の光なので、どこを見ても息を呑むほど美しい。
また、人があまり入っていないようで、昔の風情がよく残っていた。
手軽に登るなら馬越峠だが、熊野古道らしさは八鬼山峠だ。
この峠が今回の旅で最も美しい場所の一つだった。

予定通り、17時には予約していた宿「嬉志乃」に着いた。
距離は14kmほどだが、スピードハイクだったのでそこそこ疲れた。
すぐお風呂に入って洗濯し、晩ご飯はこちら。

左側の冷凍アジフライとイカリングフライがメインだが、完全に冷めてカチカチ。
せめて電子レンジで温めさせて...という状態だった。
ブリの切身を焼いたのも同様。
今回の旅でブービー賞を狙える食事内容で、ビールを飲むのにも苦労させられた。
ビールでおかずを食べると、ご飯のおかずがなくなってしまうのだ。
でも部屋は清潔で居心地良く、こういうのも含めてネタで笑える人じゃないと民宿は厳しい。
一日中歩くのだから、馬鹿話のネタは大いにウエルカムなのだ。

5日目、令和元旦の翌朝はアジの干物のあぶり焼きがメイン。
え?こんないい道具があるのなら、昨晩使わせてくれたら温かく食べられて良かったのに...と、またネタが一つ増えた。
ご飯は炊き立てで旨く、たっぷりあったので、おむすびを2つ作って昼ご飯にした。
この日は、ヨコネ道、三木峠、羽後峠、曽根次郎坂太郎坂、甫母峠、二木島峠、逢神坂峠、波田須の道、大吹峠と標高は低いながら9つの峠を越えながらの20km。
午後から大雨で最もタフな一日になった。

波田須の道の鎌倉時代の石畳。

この辺りは海沿いなので、峠を越えると海辺に出ることが多かった。
開けた景色を見ると、ホッとして思わず写真を撮ってしまう。

海が近いためか、山の中にもカニがたくさんいた。

8時間歩いて、16時に宿へ着いた。
「まるせい」という船宿だ。
食堂で女将さんに挨拶すると「ああ、今日泊まる人ね」と部屋に案内してくれたが、フロアでは朝釣り帰りなのだろう、大学生がタバコ吸いながら仮眠しているし、部屋の鍵は渡されない。
部屋は昭和の学生アパートみたい。
風呂は「今からお湯を入れるから20分後に行って」と言われ、すぐに入ることができた。
全身ずぶ濡れなので風呂で温まってウエアを洗濯させてもらい、それを部屋で干しながら、お願いはしていたけれど、晩ご飯は出るかな?と不安になって食堂を覗くと、2人分のご飯が用意されつつあった。
女将さんに確認すると「ああ、もう少しでできるわよ」とのこと。
食堂で出てきた料理から食べていいのかな?と待っていたところへ大将が外から戻ってきて「おう、ここまでどうやって来たんだ?三木里から古道を歩いて?この雨の中を?おいおい、そりゃすげぇな!この焼酎は客が置いて帰った分だから好きに飲んでくれ。俺の振る舞いだ」と言って、たくさん焼酎を出してくれた。

左下のムツに箸をつけてしまっているが、料理はこんな感じで天ぷらは揚げ立て!
エビが旨いなと思って女将さんに訊いたら「近所のスーパーで買った」と素っ気ない。
切り方は雑だけどアオリイカやマグロの刺身も旨かったし、何より内臓もエラもそのままで煮付けてあるムツが非常に旨かった。
完全に漁師料理で、味付けは濃く、ラフだけど疲れた身体には嬉しい。
寒かったので焼酎のお湯割りを飲みながら堪能した。

6日目の朝ご飯はこんな感じ。
食べていると大将が来て「なんだお前、全然飲んでないじゃねぇか!遠慮するなと言ったろ?」と言われた。
いやいや、まだ先は長いし、二日酔いはしんどいからと釈明し、お礼を述べてチェックアウトした。
どうなるかと思った船宿だが、気持ちよく過ごすことができた。

ここでロードを20kmくらい走れば、完全な歩き旅になる予定だったが、すでにバスを使っているし、何より熊野速玉大社に参拝する時間がなくなってしまう。
熊野詣なのに参拝しないというのは本末転倒だ。
7日目から紀伊半島を横断する山歩きなので、この日はJR移動をメインにして、歩きは10kmほど。
朝から松本峠に入ると、評判通りの美しさ。
でも僕は、やはり八鬼山峠が一番だったな。

松本峠を下り、勝浦市で住民のおばちゃんと立ち話。
こんにちはと挨拶するだけだが、多くの人が話しかけてくれる。
世古さん以外にもたくさんの人達と話をして、ここでも10分以上話をした。
その土地の人達がどのような思いで暮らしているのかを知ることは、旅の醍醐味だ。
海岸沿いに獅子岩があるはずなので、向かってみると凄い景色が広がっていた。

地元の人に訊くと、この時期の風物詩とのこと。
太平洋の海は荒々しく、海岸は玉砂利が敷き詰められ、潮騒と海風が心地良い。
太陽に温められた砂利が気持ちよくて、しばらくここでお昼寝させてもらった。

その後、やはり世界遺産の獅子岩を見て、花の窟神社を参拝し、JRの駅に向かって新宮市へ。
JRの本数が非常に少ないため、時間調整も兼ねて昼寝したのだが、予定していた店は昼営業を終了していた。
本来は通し営業のはずだが、GWで客が多かったらしく「夜の仕込みが間に合わないんで」と断られてしまった。
この地域の熟鮨を予定していたが、残念だった。
翌日の昼ご飯に考えていた柿の葉鮨の店も売切れ終いで、困ったなと思いつつ、目についた「めはりや」という店でめはり鮨とおでんのセットを注文。
大きなめはり鮨が3つもあって、食べ切れないので、持ち帰りさせてもらった。

熊野速玉大社は八咫烏推しで、伊勢神宮とは違い、妙にピカピカ。
うーん、何だかピンとこないというか、道も街も風情があるのに、ここだけ新品になっている感じ。
でもまぁ参拝して、行動食用の鈴焼を書い、宿のある勝浦町に向かった。
外から見て大丈夫なのか?と一瞬不安になった「パルスイン勝浦」だが、ちゃんと営業していた。
少し離れたところに温泉があって無料券があると言われたが、時間がなかったのでシャワーで済ませ、ウエアを洗濯して干し、夕食の店「吾作」に向かう。

数日前に電話した時「予約は受けてないけど17時の開店と同時なら座れると思う」と言われたのだ。
自販機すらほとんどない住宅街を歩きながら、こんなところに店があるんか?と店に着くと、20人以上が開店を待っていた。
スタッフが顔を出し「お待たせしました」と声をかけると一気になだれ込む。
最後に着いたので、最後に入店すると「予約された方ですか?」と言われた。
予約はしていないけれど、開店と同時なら何とかなると言われましたと伝えると、頑張って席を用意してくれた。
どうやら予約は常連しか受けていないようだ。
その後もひっきりなしに電話がかかってきていたが「何時に空くかわからないよ〜、空いたら電話するさ〜」とか「とにかく一杯なんだ。来てもらっても困るから」と応えていた。
最初の注文は早く出るものを含めてくれと言われ、いそもん、しびわた、刺身の盛合せ、流れ子天ぷら。

いそもんは磯モンの意味らしく、小さな貝の煮たものだった。
広島ならツブと呼ばれるが、貝の種類は違う。
どこで食べてもこの手の小さな貝は旨かった。

しびわたはシビ=マグロ、ワタ=腸の意味だろう。
味付けが生姜、ポン酢、酢味噌とあり、大将から選べと言われたので、どれがお勧め?と訊くと生姜は20台、ポン酢は30台、酢味噌は40台だと言われた。
なら酢味噌だねと応えると、冗談だよと笑われた。
忙しくても客とコミュニケーションを取ろうとしてくれるのだ。
でもこの酢味噌が大当たり。
脂のない豚角煮を食べているかのような旨さだった。
マグロの内臓は何度も食べたが、これほど旨いのははじめてだった。

刺身の盛合せは、左上からマダコ、トンボ(ビンチョウマグロ)、カツオ、タチウオ、ヨコワ、マアジ、タマイカ(ソデイカ)、ヒラメ。
圧巻だったのはカツオで、隣に座っていて、色々と教えてくれた漁師のおっちゃんが「今日のカツオはええ。朝獲れだ」と言っていた。
上等のマグロ赤身のような酸味があり、何よりも香りが素晴らしい。
皮付きの理由を訊くと「その日のカツオは皮付きで食べる。この辺は炙らないんだ」と言われた。
少し皮が口に障るが、この繊細な風味は、確かに炙らないほうが良さそうだった。
その他はソデイカが意外に旨かった。
沖縄でセーイカと呼び刺身で食べるがあまり旨くない。
太平洋のソデイカはそれよりは旨かった。
とはいえアオリイカなどとは比べ物にならないが。

流れ子というのはトコブシのことで、煮物もあったが天ぷらが珍しいので頼んでみた。
これは予想通りというか、思ったよりサイズが大きくて旨かった。
ちょっとしたアワビサイズだ。

そしてこの辺の料理が食べたいなと言うと漁師のおっちゃんが大将に「イラギはないんか?」と訊いてくれ、出してもらった。
タレと塩があるとのことで、どうやら伊勢市で食べたサメタレのことをこの辺りではイラギと呼ぶようだ。

僕はこの旅で、サメの一夜干しが大好きになってしまった。
広島県の刺身もいいが、干して味が凝縮すると一層旨いし、身のブヨつきがなくなるからだ。

おっちゃんと楽しく飲んで食べ、最後は「わしは子供の頃から食べとる」というカツオ茶漬けを頼んだ。

これまたワイルドな漁師料理で、加熱したカツオもまた旨かった。
たらふく飲んで食べて、値段は一人4,000円もしなかった。
そりゃ人気があるはずだ。
地元の漁師が来るのだから間違いない。

翌日は5時半起きで、熊野那智大社に参拝し、そこから大雲取越というこの旅一番という難所を越えるので、宿に戻ったら速攻で眠った。

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