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熊野古道・伊勢路から中辺路の旅_2

伊勢市駅には10時過ぎに着いた。
この日の宿は天保7年(1836)創業の「岡島屋」で、27kmくらいあった。
取り急ぎ参拝をして、赤福を食べ、行動食としてへんば餅とさわ餅を買い、伊勢うどんを食べ、内宮からスタートした。
最初は走ろうとしたが、この日は風速20mという激しい風が吹いていて、橋の上では歩くのも苦痛だった。
道がわかりやすく、平坦なのは助かった。

途中で「萬金丹」という伝統的な丸薬を購入。
「越中富山の反魂丹、はなくそ丸めて萬金丹、それを呑む奴あんぽんたん」という地口は聞いたことがあったけれど、今でも売られているとは知らなかった。
アセンヤクが主成分で、調べてみると止瀉、整腸効果があるようだった。
齧ってみると正露丸のような独特の香りがあり、効きそうな感じはあった。
小さいものが1,000円で、歩き旅でも邪魔にならないのでシャレのお土産には使える。

店頭には誰もいないが、ベルを鳴らしたら奥から男性が出てきて売ってくれた。

「萬金丹」を売っている店は立派な木造家屋で、伊勢神宮がそうであるように、この辺りの地域では材木に塗料を塗らない。
そのため黒く変色してしまうのだが、これが実に味わい深い。
これから後にもこのような立派な家がたくさん出てきて、昔はお金持ちが多い地域だったことがわかった。
玄関の雨戸にも透かし彫りが入っていたりして芸が細かく、建築好きには楽しめるだろう。

また、さすが伊勢神宮のお膝元、生活の気配がある家のほとんどに伊勢飾りと呼ばれるしめ縄が飾ってあった。
これは一年中飾るもので、新年に新しいものに掛けかえるとのこと。
由来についてはこのページがわかりやすかった

「岡島屋」に着いたのは16時半くらい。
思わぬ強風で予定よりも遅れたが、すぐにお風呂に入れて、ウエアをチャッチャと手洗いした頃には晩ご飯が出来上がっていた。
ここは食堂で宿泊者が一斉に食べるスタイルで、我々以外はソロで伊勢路を歩くつわ者ばかりだった。

酒類は缶ビールのみ置いてあったので、僕はそれを2缶飲んだ。
料理はほとんど冷めていたが、揚物が苦手な人がいて、その人が唐揚げを分けてくれたので、ビールのアテに困らなくて助かった。
ビールでおかずを食べすぎると、ご飯のおかずがなくなってしまうのだ。
僕のように酒は必ず食べながら飲む人だと、柿の種でも用意しておくと良いだろう。
周囲には飲食店どころか、コンビニもないので、見つけたら買っておくこと。

女性には鍵のかかる部屋が用意されていたが、男性は鍵なし。
我々は2人なので鍵なしで襖一枚で廊下と隔たった部屋だった。
そこが一番大きな部屋らしい。
すぐ横をJRが通るので、その時は部屋全体が轟音でビリビリ揺れる。
最終が22時台で、始発が6時台なので、目覚ましは不要だった。

朝ご飯を食べると出発。
2日目の距離は32kmほどだ。
すぐに序盤の名物的な場所、馬鹿曲に来た。

この橋が正式なルートだが、危ないので渡ることができず、一度川まで降りて登るように指示があった。
この日は前日のような暴風ではなく、比較的穏やかで順調に距離を踏むことができた。

道端にはこのような様々な神が祀られているが、神仏習合がとても根強い。
なかでも手前にある「庚申」は頻繁に出てきて、それぞれの地域で庚申のお祭りも行われているようだった。
掘られているのは青面金剛で、手には独鈷杵を持っている。
色々混ざった複合信仰だ。
その他には、茶畑の中を歩いたり、

屋根の上にいる七福神を見つけたり、

そろそろ元号が変わるんだなと気付かされたりしながら歩いた。

昼ご飯はちょうど昼前に、友人がFBで教えてくれた人気ラーメン店「一富士」がある場所に着いたので寄ってみた。
この辺りはまだ飲食店があるほうで、この先は観光地以外、飲食店がない。
昼に外食したのは初日、2日目、3日目だけだった。
店に着くと外待ちの客が4-5人いて、食べ終わっても同様だった。
飲食店すらないこの地域で、外待ちの客がいるなんて凄い。
僕が頼んだのはラーメン700円。

この店では中華そば(この店での表記)とうどんを出していて、ツユは共通ではないかと思う。
一種類のツユに、中華麺を入れるか、うどんを入れるかを選ぶシステムなのだ。
ラーメンの場合、豚肉や野菜と一緒に煮るので、それらのダシがプラスされる。
これは原初の時代のラーメンの提供スタイル。
中華そばという言葉自体、昔は蕎麦店がラーメンを出し、ツユはかなり共通だったので、かけ蕎麦と区別するため、中華そばという言い方を使ったのだ。
この店の場合はうどんと共通だが、首都圏や東北地方だけでなく、伊勢地域でもこういうスタイルがあったんだなと理解できたのはよかった。

それとこの店のうどんの品書きには伊勢うどんがなく、代わりに浪速うどん700円という料理があった。
単にうどんと書いてある550円の料理が素うどんと思われるので、何らかの具が入るに違いない。
食べてみたかったが、食べ過ぎると行動できなくなるので諦めた。

その後、代表的な元伊勢、瀧原宮を参拝したが、ここは伊勢神宮に次ぐほど清らかな雰囲気があった。
また、伊勢神宮の五十鈴川と同じように、境内に川が流れている。
日本古来の考え方、穢れと禊を体現しているように感じた。
ここは忘れずに立ち寄ることを勧める。

途中にはこんな凄い民家もあった。
祝詞橋という川の袂にあり、右手には川が流れている。
こういう真っ黒に変色した杉板壁の古民家がたくさんあったけれど、立派な石垣と庭からそのまま川に降りるアプローチなど、これほどの家はちょっとなかった。
今も生活されているようで、古いけれど清潔に整えられていた。

この日の宿は「紀勢荘」で、宿には前日と同じ16時半に着いた。
すぐにお風呂に入って、何と服は女将さんが洗濯してくださった。

晩ご飯は前日に比べて、かなり豪華で、ここは珍しく部屋食で出してくれる。
天ぷらはまだ少し温かかった。
ビールと日本酒を飲んだら疲れが出て、倒れるように眠ってしまった。
女将さんは好奇心の塊みたいな人で、質問攻めも凄いが、様々なエピソードも面白い。
2時間くらいは部屋で喋っていたように思う。
ただし、ここも隣の部屋とは襖一枚。
会話は筒抜けなので留意のこと。
嫌な人はこの巡礼路そのものが厳しいと思う。
民宿はどこもこんな感じだし、好き嫌いできるほどたくさんはない。
そのため、そういうのにあまり頓着しない外国人が多いようだった。

一晩ぐっすり寝たら回復したので、朝6時に朝食をお願いして出発。
夜の豪華さに比べるとややシンプルだが、朝が早かったためかもしれない。
最後は料理人の旦那さんが出てきてご挨拶してくださり、女将さんが火打ち石を打って、切火して旅の安全を願ってくださった。
初日の「岡島屋」もそうだが「紀勢荘」もそこそこご高齢なので、いつまで営業してくれるだろうかと心配になった。

3日目の距離は24kmとやや短めだが、これまでの平坦道ではなく、峠越えが含まれている。
また夕方から雨予報だったので、定番のツヅラト峠ではなく、比較的緩やかな荷坂峠を進んで「道の駅 紀伊長島マンボウ」を目指した。

昼前に到着し、売られているものを物色して、少し早めの昼ご飯とした。
6時に食べて、その後ずっと歩いたので、お腹はしっかり空いていた。

食べたのはサンマ鮨、ニギス鮨、めはり寿司が入ったパックとマンボウの串焼き、写真はないけれど名物の大内山牛乳。
サンマ鮨は敢えて脂がのっていないものが使われているように感じたので、後日、漁師のおっちゃんに確認すると、鮨はそれが旨いんだと言われた。
秋には仕方がないので、脂がのったサンマも使うが旨くないとのこと。
地域が変われば価値観も変わるのだ。
マンボウの串焼きは、水っぽい身質が改善されていて、濃い味付けがとても良く合う。
訊くと一度蒸して水分を抜き、それを焼くとのこと。
決して旨い魚ではないが、さすが地元の工夫は素晴らしい。
店内にはマンボウの身やホルモンも売られていた。

午後からは、一石峠、三浦峠を進む。
途中の和菓子店に寄ると、この時期だけというチマキと、おさすりという和菓子があった。
それと祝いに使うというおこわ菓子も購入。
途中の行動食にした。
一石峠の展望所で食べた、上がおさすりで、下がおこわ菓子だ。

なぜ、おさすりと言うのか、超お喋りな和菓子店のおばちゃんに訊くと「ちょっとエッチな意味なのよ」とのこと。
料理としては完全にかしわ餅だが、餡を包むのではなく、餅を二つ折りにして餡が挟んである。
男の子はチマキなんだと言われて、理解できた
この旅の間、わからないことをネットで調べたり、宿に置いてある本を読んだりしたが、ナチュラルな猥談がとても多い。
それもまた昔の風習だし、文化ということだろう。

三浦峠を降りる頃から雨が降りはじめ、16時チェックインの宿「美鈴」に15時過ぎに着いてしまった。
玄関でもどこでも雨宿りさせてもらえればと思って尋ねると、すぐ部屋に案内してくれ、お風呂を勧めてくださった。
これは本当に助かった。

この宿は日本三大民宿の一つに数えられていて、料理がとても素晴らしい。
部屋もプライバシーが確保されていて、非常に居心地が良かった。
この宿に泊まるなら、早めに着いて、朝もゆっくり出発するのが吉。
値段も他の民宿の倍くらいするけれど、それだけの価値はあった。
ここは臨席と衝立で仕切られた食堂で、結構次々と料理が運ばれてくる。
のんびり食べていたら料理を置くスペースがなくなるほどだ。

最初の料理はその日に海女さんが採ってきたという塩蔵していない生太モズク。

もっちりムチムチで、モズク界の讃岐うどんか!と思うほど食べごたえがあった。
いつもは塩蔵らしいので、これは幸運だった。

イサキ、イシダイの薄造りと、ヒゲナガエビ(当地名はガスエビ)、マダコ。
基本は漁師料理のようで、寝かせずに鮮度の良さで食べさせる。
また、ここはカラスミも有名で、文頭の写真がそれ。
ねっとりとして塩っぱ過ぎず、酒のアテに最高だった。

ここの料理に肉は全く使われていなかった。
スタッフの女の子に訊くと「この辺りの海のお魚と海藻があれば、お肉を食べたいとは思いません」とのこと。
実際にそう感じた。
これは手前から地元のムラサキウニ、鯖鮨の上にヒロメ(昆布の一種で特産品)、胡瓜巻き、今が旬のシイラの漬けの握り。
夏本番になるとアカウニになるとのことだった。

スタッフの女の子が言う通り、海藻が非常に旨い。
眼の前の海で採れますよと言われた、マダコの煮物、生のヒジキ、フノリ、ワラビのお浸し。
フノリもヒジキも加工しないほうが旨いじゃないか!と思った。

そして最も感心したのが焼魚。
これはヤナギムシガレイに味付けして5日間干したものを焼いてある。
連れにはイシダイが出た。
ヒレが真っ黒に焦げるほど焼いてあるが、焼き切っているからこその旨さがある。
こんな焦げた焼魚を出すなんて!という客もいるだろうが、自分が旨いと信じる料理を出すことが素晴らしい。
これまでたくさんの焼魚を食べてきたが、心に残る一品だった。
他にもたくさん料理が出たが、長くなりすぎるので、この辺りにしておく。
こぢんまりした宿なので、早めの予約が必須。
僕は半年くらい前に予約した。

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