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熊野古道・伊勢路から中辺路の旅_4

7日目。
紀伊半島の東側から西側へ抜ける旅が始まる。
宿を6時にスタートして、熊野那智大社へ向かった。
しばらく海とはお別れだ。

距離は24kmほどだが、アップダウンが続き大雲取越と呼ばれる難所だ。
昨日のめはり鮨を朝食にして、大門坂まで歩く。

有名な坂だがピカピカに整備されていて、自然と一体化した伊勢路の峠道に比べると趣に欠ける。
無菌室みたいな世界遺産って、それはそれで味気ないものだなと考えながら坂を登った。

僕は那智大社に来たのが初めてなので、飛瀧神社で那智の滝を目前に見て、大いに感動した。
この雄大さの先に神を感じたのには納得感がある。
時間がないからパスしようかとも考えたが、来てよかった。

那智大社本体は、速玉大社と同じような感じで、でっかいプラモデルのようにキレイだったが、やはりピンと来なかった。

早々に中辺路に戻り、天気が良い中を進む。
雨でなく、暑すぎもしなくて助かった。
昼ご飯は当初、速玉大社近くで売られている柿の葉鮨を予定していたが、売切れで買えなかったので、山に入る前にコンビニでおむすびでも買うつもりでいた。
しかし昨晩「吾作」の大将に相談すると、最初は「暑くなるから無理だ」と言いつつ「仕方ねぇな。何とかするわ」とマアジの棒鮨を作ってくれた。

しっかり〆たアジを使い、生姜がたっぷりと添えてある。
途中の東屋で昼食に食べたが、素晴らしく旨かった。
これが本当のご馳走だ。

途中、舟見茶屋跡から那智勝浦の海が見えた。
あの海辺から歩いてきたのだ。

ほとんど人に会わなかった伊勢路に比べ、中辺路は歩いている人がとても多い。
しかも半分以上が外国人だ。
挨拶しながらサクサク進んでいると、これは宿に早く着きすぎるのでは?と思うようになった。
散々怖がされたので、気合を入れて望んだが、普通の登山道で難所と呼ぶような場所はない。
最後は苔観察をしながらのお散歩だった。
南方熊楠は苔の研究でも知られるが、なるほど、この辺りでフィールドワークしていれば苔は絶好の観察対象だっただろう。

宿は小学校を改装した「小口少年自然の家」だ。
お風呂もあるし、教室を改造した部屋は和室になっていて、清潔で居心地が良かった。
客の半分は外国人だが、スタッフのおっちゃんによると「GWだから日本人が多いよ。普段は95%外国人だから」と言われていた。
もう一つの世界遺産巡礼路、サンティアゴ・デ・コンポステーラとの兼ね合いなのか、スペインの人が多いように感じた。
奥で浴衣を着ているのも外国人だ。

晩ご飯は鶏肉のソテー。
これを見てピンと来た。
料理長と思われるおばちゃんに、外国人が多いから毎日鶏肉なんじゃない?と訊くと、そうだとのこと。
過去には色々出していたようだが難しかったのだろう。
最近になって指定管理者が変わっているようで、地元の建設会社のようだった。
超田舎の宿泊施設にも関わらず、常に満室で黒字は間違いない。
しかし、慣れない外国人対応に悩んでいるようだった。

とはいえ、10時間近く山の中を歩いて、このご飯は少し寂しい。
鶏肉でビールを飲んでしまうと、ご飯のおかずがなくなるのだ。
残念ながらこの旅のブービーを争う感じだった。

8日目の朝食も外国人向けなので当然パンでセルフサービス。
スタートの6時より少し早めに食堂に入ったので、色々確保することができた。
この後、サラダもフルーツもなかなか出てこなくて、もっと寂しい朝食を食べている人たちもいた。

この日は小雲取越で、熊野本宮大社に向かう。
大雲取越が大したことなかったので、昼までには着けるかな?と予想したが、念のためお弁当を一つだけ購入して山に入った。

この日も外国人ばかりとすれ違い、11時には熊野川に着いてしまった。
山の中は標高が高く、涼しい風が吹いて、木陰があったけれど、街に降りると日差しが強く、目眩がしそうに暑い。
この日差しとアスファルトの照り返しの中、本宮大社まで歩くのか...とうんざりしているとバスがやってきた。
1-2時間に1本しかないのに、偶然、本宮大社を通るバスだったので、これ幸いと乗り込んだ。
山の中なら楽に歩ける距離だが、舗装路は暑い上に退屈なのだ。
熊野本宮大社に着くと大勢の人たちが車で訪れていた。
ベンチに座って弁当を食べ、参拝する。

速玉大社、那智大社ともにふぅんという感じだったが、本宮大社は全く違った。
伊勢神宮に通じる清らかさがあって、さすがだと感心した。
ただ、数日前に「ブラタモリ」で取り上げられた影響か、人が多くて順番に参拝しようとすると30分以上並んで待つので早々に諦め、端のお宮さんだけお参りさせてもらった。
その後、大斎原を見て、なるほど、天皇一族はここに高天原の姿を見たのかと感慨に耽った。
九州から神武東征して、大陸との交易に便利かつ攻められにくい奈良に移住したけれど(のちにもっと攻められにくい京都に移る)、近くにもそれらしい景色を求めていたのかもと感じた。
ところが平地は日陰がなく、あまりの暑さにヘバッて、近所の喫茶店でアイス珈琲を飲み、宿に向かう大日峠に入った。
ここも世界遺産の道だ。

1時間ほどで抜ける道なので、家族連れがたくさん歩いていた。
峠を下りたところがつぼ湯で、すぐ後ろに写っている橋が中辺路の公式ルートの一つになっている。
巡礼路の付帯施設として、唯一世界遺産認定されている温泉だ。

少し時間があったので、入ってみようかな?と思ったけれど、2時間半待ちで、その間、待合室を離れることは許されないと言われたのでパスした。
運動し続けるのは平気だが、じっと待つのは苦手なのだ。

この日の宿は「湯の谷荘」で、この旅唯一の温泉旅館になる。
部屋は超レトロで昭和な上、壁が襖並に薄くて参ったが、源泉かけ流しで、素晴らしい温泉だった。
そして、料理も思った以上に豪華だった。
特に熊野牛が出てきたのは嬉しい。

この後にもいくつか料理が出て、もちろんご飯、汁、漬物も出た。
前日と値段はそんなに変わらないが、内容は大違い。
市場原理って重要だなぁとつくづく感じる。
ニンジンもタケノコも94度の源泉で茹でてあり、硫黄臭とミネラル感があった。
割と寒かったので焼酎のお湯割りをお願いしたら「温泉割と普通のとどちらにしましょう?」と言われたので温泉割にしてみたが、やっぱり硫黄臭くて面白かった。

9日目の朝もやはり豪華。
面白かったのは左下のお粥で、温泉で炊いたお粥とのこと。
玉子粥の味がしますよと言われたが、なるほど硫黄臭が玉子っぽさを感じさせる。
もちろん、普通のご飯もたっぷり出してくれた。
茹で玉子も温泉茹でで、温泉料理をたっぷり満喫した。

真ん中にあるのはサメの干したものを焼いたヤツで、この旅で何度も出会った料理。
この日は終日、飲食店はおろか、自販機すらない道を行く予定だったので、これをほぐして千切った梅干しと残ったご飯のお櫃に混ぜ、おむすびを作って昼ご飯にした。
宿の方たちはとてもアットホームで、給水場所もないので、ボトルに水も入れてくださった。
飲んでみると硫黄臭くて笑ったけど😁

出発時に玄関で女将から、今日はどこまで?と訊かれ「赤木峠を越えて継桜王子まで行きます」と答えると、連れが「そういえば、赤木越えって歌があったよね!」とボケをかました。
「それ『天城越え』な」と僕が言うと、女将が「全然ちゃうわ!」とツッコみを入れてくれた。

このコースは水場すら山水を汲むところしかなかったけれど、幸いそこまで暑くなかったので、手持ちの1リットルほどで最後まで凌ぐことができた。
たくさんの人達とすれ違ったけれど、トイレすら2-3ヶ所しかなかったので要注意。
道は普通の登山道だ。

次の宿に着く少し前から雨が降り始め、結構降られて逃げ込むようにこの日の宿「つぎ桜」にたどり着くと、ベルギー人のペアが宿の前で雨宿りしていた。
彼らは早く着きすぎたらしい。
雨だねーと話をしていると、それに気づいたのか少し早めに中へ案内してくれた。
すぐにお風呂を進めてくれ、ウエアの洗濯もできたので、本当に助かった。
ここは1日3組の宿で、やはり外国人が非常に多いようで、部屋に置いてあるノートを見ると英語ばかりで、オーストラリアからの客が多いようだった。
料理は驚くほど手が込んでいて豪華!
「美鈴」の漁師料理に比べ、ここは山里料理で、宿代を考えると破格の内容だった。

大将が近畿圏のホテルを渡り歩いた和食の料理人で、生まれ育った家を改装して民宿をやっている。
もう70歳と言われたが、非常にお元気で、一人で全ての料理を作っておられる。
まだまだたくさんの料理が出たけれど、しつこいのでこのくらいにしておく。

10日目、最後の朝ご飯も当然豪華で、左下には納豆が出ているけれど、ベルギー人の二人には当然、別の料理が用意されていた。
中辺路を歩くなら、ここはぜひ泊まってもらいたい宿だ。

見送ってくださる際、宿の前でご夫婦の写真を撮らせてもらった。
この日は滝尻王子まで行き、そこからのロードはバスに乗る予定だったが、なにせバスの本数が全然ない。
乗り遅れるとお風呂に入って汗を流すことができないので、最終日だがランで進むことにした。
登り以外は走ったので、思ったよりも早く滝尻王子に到着できた。

バスの時間まで20分ほどあったので、途中で買った草餅と珈琲で昼ご飯にして、バスに乗って紀伊田辺駅に向かう。
降りたら歩いて20分ほどのスーパー銭湯で汗を流した。
ゆっくり疲れを落として、再び歩いて駅前に戻り、この旅の打上げ会場「かんてき」に向かう。
予約の際、電車の時間があると伝えていたので、大将が何時だ?と訊いてこられ、18時半ですと答えると「1時間以上ある。十分だな」と言われた。
そして「さぁ、何を喰わすかな...」と独り言を呟き「何が喰いたい?」と訊いてきた。
「僕らは遠方の客で、決して常連にはならない、二度と来ないかもしれないのに、大将は『何を喰わすかな』と言ってくれた。その気持ちが嬉しいです。出された料理は何でも食べます。好き嫌いはありません」と伝えた。
大将は目を伏せて返事もしなかったけれど、飛び切り旨い料理を次々に出してくれた。

付き出しの一つは「吾作」でも出たいそもんだが、ここは貝の種類が違うし、3種類くらい入っていた。
特に手前と奥にあった二枚貝が超旨かった。
もう一つはウツボの内臓の煮付け。
これがおいおい!と声を上げるほどの旨さ!
魚類の内臓でこんなに旨いのってあったか?と思うほど旨い。
臭みは全然ない。
実は最初、10年以上振りに代替わりした「長久酒場」にも行きたかったなと思っていたけれど、この時点でその気持ちは霧散していた。

刺身はモチガツオとウツボの炙り。
右下に添えてあるのはカツオの心臓だ。
当然だが、一匹に一つしかない上、鮮度が重要な貴重な食材だ。
「吾作」で食べた朝獲れのカツオが最高だったので、どうかな?と思って食べたが、何だこれ?「吾作」とは全然違う。
あの爽やかな酸味がなく、身のモチモチ感がスゴい。
僕はカツオという魚のことを全然わかっていないのだと痛感させられた。
カツオの心臓も面白い。
血の酸味と香りはあるものの、鶏の砂肝に近い感じ。
筋肉の塊で、鮮度が良いからだろう、砂肝の刺身にカツオのニュアンスを混ぜたような珍味だった。
そしてウツボの炙りだが、これは他に例えるものがない。
ウツボはウツボとしか言いようがない。
大好物なので見かけたら必ず注文するが、過去を含めてナンバーワンクラスの旨さだった。
無理に言えば、ハタ科のような上品な白身に、濃厚なゼラチンがプラスされた感じだが、口溶けの良さも含めて全く違う。
連れは初めて食べて、感動していた。

続いてはエビ団子。
常連らしき人たちが口々に注文していたので気になっていたが、我々のところにも出てきた。
エビの香ばしさが強く、食べるとふわっとして柔らかい。
混ぜものを全然感じなくて、表面に片栗粉がまぶしてあるくらいか?
完成度の高さにエビの種類も含めて確認したかったが、忙しそうなのでできなかった。
これはこの店のスペシャリテだろう。

続いてメジナの煮付けがでた。
「まるせい」でたくさん魚拓を見た、あの魚だ。
これはおそらく部位が特別だったのだと思う。
身はほっこりしていたが、ゼラチンのトロトロの部分が多くて、絶品の煮魚だった。
これホントにメジナ?と確認したいほどの旨さだった。
大将は寡黙なので、隣に座った常連のおじさん二人に色々と教えてもらいつつ、1時間の打上げを濃厚に楽しんだ。
酒も日本酒をと頼めば、大将が「黒牛のアレがまだあっただろ?出してやれ」とか、焼酎がと言えば「例のヤツを出してやれ」と女将さんに指示を出して、地元の飛び切り旨い酒を飲ませてくれた。

帰り際には女将さんが「和歌山土産よ」と梅酒に漬けた梅を大量に持たせてくれた。
この店では古城を使うそうだ。
これだけ飲んで食べて、二人で8,000円くらいだった。
激安にもほどがある。
帰りの電車の中で、テイクアウトさせてもらった〆の鯖鮨を食べ、そのまま眠りに落ちて10日間の長い旅が終わった。

この旅の基本は歩くこと。
毎日たくさん歩いて、しっかり身体を動かして、ちょっとは文句を言いながら、基本は感謝してご飯を食べ、また歩き続ける。
きっと昔の巡礼の旅はこうだったんだろうと思う。
もちろん、ここまで快適ではなかっただろうが、歩いてこそ理解できた部分がたくさんあった。
これは身体知なので、文章にすると超浅薄になる。

興味を持った人はぜひ歩いてほしい。
巡礼の旅だから、一日中歩くのを続けてやらないと意味がない。
ただし、僕の今回のペースはそこそこ早いと思う。
自らの体力に応じて、もっとゆっくり歩けばいいし、ゆっくり歩けばもっとたくさんの発見があるだろう。
今回は10日間という制限があったから、このペースになったが、旅は人生と同じで、先を急ぐことが良いこととは限らない。

最初にも述べたが、熊野古道沿いの民宿は、10年先にはかなり厳しい状況になるだろう。
テント泊ならOKだが、体力がない人は僕のような軽装備で日々民宿に泊まったほうが絶対に楽だ。
行きたいと思ったら早めに計画することを勧める。
そして、楽しい旅になることは僕が保証する。

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