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頼む、BLANKEY JET CITYの事を語らせてくれ

BJC全曲サブスク化!!!!

ついでに”てにをは”、お前はクビ!!!

Xのトレンドに急に現れたBLANKEY JET CITYの文字。
特設サイトがブチ上げられ、ラストライブ「LAST DANCE」がYouTubeにて公開。祭りはすでに始まっていた。

BJCの事を書きながら飲むのは、おそらくソーダ水とかルートビアとかチェリーコークが最適解。だが勿論ないので雑に水出しした麦茶をキメながら書く。

時は1998年。

私の当時のバイト先は銀座のカレー屋で、シフト前に数寄屋橋阪急のHMVによく寄っていた。
4階のワンフロアが全部HMVで、いちいちタイトルは覚えていないけどいろんな曲を視聴したし、それなりのCDも買ったような記憶がある。

その日、男性の局部丸出しイラストが描かれた金ピカジャケットのCDがあって、それこそがBLANKEY JET CITYのベスト盤『国境線上の蟻』だった。
ものすごい軽い気持ちでヘッドホンを装着し再生ボタンを押す

出会ってしまった………

なんて美しくて繊細な曲なんだ。『水色』の詩と少年性をはらんだベンジーの歌声に心が震えた。

続く2曲目の『PUNKY BAD HIP』。

「新しい国ができた人口わずか15人」

…新しい国ができた……人口わずか15人…………? 
衝撃!これはどえらい物語が始まった!終始ヒリヒリしてハートを切り刻むような演奏を聴き、高揚しながらCDを購入した。

すごい宝物を見つけたと『国境線上の蟻』のCDを弁当箱みたいなショックウェーブに入れて家だろうが外だろうが狂ったように聴き、何度も何度も歌詞カードを読んだ。

それからというもの音楽雑誌のBJCのインタビューを読み、遡って過去のCDを聴き、全く馴染めなかったクラスの子たちと行ったカラオケで『ガソリンの揺れ方』を歌って決定的に溝を深め、『ロメオの心臓』に打ち込み曲が入ったことにモヤり、バイクの免許を取得し(ちなみに取得してから1回も乗ってない)、ライブにも行き、退学し、2000年、BLANKEY JET CITYは解散した。

実は入ってた「LAST DANCE」。
今見ても本当にかっこいい。曲もファッションも超クール!

改めて、BJCの何がそんなに己に刺さったのかと考えると、それは間違いなく詩とメロディが紡ぐ米文学のような物語性だ。
刹那的で孤独で純粋などこかの誰かの話と、そのバックグラウンドにある猥雑な街だったり荒涼とした大自然に未だに惹かれている。

当時、一番好きなBJCの曲は? と聞かれたら『綺麗な首飾り』と答えていた。それな!!と思うが、今なら『15才』がいいな。あと『海を探す』もいい。
みんな放浪しているね。なにかに成ったり、成し遂げたりしない、ちょっとした美しいものを探して旅をする世界観がいいんだ。

BJC関連でこのインタビューが大好きで定期的に読んでいる。

安易に使うべきじゃないと思いつつ分かりみが深い。
ブランキーのライブに行くため、小峠が初めての単車で彼女と2ケツしてZepp Osakaに行ったってのがBJCの世界すぎて。

人がなにかに猛烈にハマったときの話ってものすごく面白いし、それが自分の好きなものならなおさらなんだな。
このインタビューがあったからこそ、私もブランキーを語りたくなった次第。

本当に好きなものに出会った話は恐ろしく鮮明に覚えている。一方でダイソーで買うつもりだったものは入店した瞬間に忘れる。
きっと60歳になっても80歳になっても、あの時、数寄屋橋阪急で聴いた『水色』の衝撃は忘れない。でも、誰相手に話したかはおそらく忘れている。