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2020年5月6日

【役に立つと思って、という迷惑】

仕事の後Twitterを眺めていたら、衝撃的なニュースを目にした。

私は新型コロナウィルス感染軽症者関連の仕事をしているが、もしも「これを着て作業しろ」と言われたら、「無理です」と答える。

実は医療用ガウンが足りなくて手作りを募っているところはあるのだが

あくまで「ない時」に「緊急的」に使うものであり、それが「通常使用のもの」にしてはいけない。

軽症者施設の多くでは、医療ガウンではなく雨合羽を着て作業している。十分ではないけれど、物資が無い中でのベターを考えて行っている。そんな中、それよりもクオリティが下がるものを着なければならない側の気持ちが、分からないのだろうか。表では「頑張って」と言いつつ、「これで」と現状よりも悪い質のものを渡された者の気持ちを考えたのだろうか。
子どもに罪はないない。これは明らかに「大人」の「無知」と「勘違い」の賜物である。最悪である。

普段医療物資を作成していないが、代替として作成している例は沢山ある。

救急車の代わりになるものまで登場している。

どの記事にも記事にも共通しているのは「医療従事者」や「医療機関の関係者」という文字である。既製品には届かなくても「ないよりはあった方がいい」ということ、何よりも使用者側の視点が入っていること。

プリンセスクルーズの時も崎陽軒のお弁当が無駄になったことがあった。「何かをしたくて」「役に立つと思って」「必要だと思ったから」
自分の承認欲を満たすために医療従事者に寄り添うフリは止めてくれ。それならば、海外みたいに拍手して欲しい。近くに医療従事者がいるなら「何かいる?」「何かできることある?」ってそっと聞いて欲しい。家にいて、医療従事者支持を呼びかけて欲しい。
ものはものでも「良いもの」を、「悪いもの」はどこまでも悪く、それは最悪の事態を起こしかねない。


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