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2020年5月20日

【純ジャパという言葉の暴力】

これは、今後外国語を学び日本以外でも活躍したいと考えている人へのエールである。

最近、今の仕事場で割り当てられている当直室のバスルームで、久しぶりに、盛大に滑って足を強打した。元々柔道やムエタイをやっていたせいか、人よりは脛骨が(多分)固めなので打撲で済んだ。しかし久しぶりに怪我、痛い。でも、最近それよりも痛いものが、世界には溢れていると感じる。それは、言葉の暴力だ。

このnoteを読んでいる多くの人は、Twitter経由で来たと思う。その中で最近気になる単語が出てきた。それが「純ジャパ」である。これは、物凄く、危険な考えを含んでいて、そしてとても排他的な言葉だ。言葉の暴力だ。
岡本浩一「権威主義の正体」で、「ヒットラーはもともと人種的な純血という概念に強い関心を持っていた」、そして彼は『わが闘争』の中で「人種的にもっとも尊い構成分子を集めて残し、優越的な地位に就かしめることは、ドイツ民族の崇高な使命である」と説き、1935年にドイツ純血保存法という法律を制定していることが書かれている。これを調べ書いているだけでも私ははらわたが煮えくりかえる、吐き気がする。
その様なニュアンスが含まれる言葉を、多くの外国語学学習者(そして多くは外国語学能力が高いと思われる人)が自分が発信しているコンテンツを「良く見えるような広告言葉として使用している」ことが、私には理解の範疇を通り越して恐ろしいと感じるのだ。
「純ジャパ」を売りにしている語学学習者はこういうだろう。
「日本国外で外国語能力が身につくほどの長期滞在の経験はない人という意味で使われている言葉であり、差別的な意味は含まない」
ネット辞書の意味だと解釈する人は、長期間日本国外で過ごしたことが「純粋」と定義できるのか考えた方がいい。外国語より日本語勉強した方がいい。外国語学能力を向上できるだけの能力があるならば、自分の頭で考えてみるべきだ。「この言葉は自分の状況を、自分自身を表現するのに相応しい言葉だろうか?」
自分を「純ジャパ」であると名乗る、それアイデンティティと考える人は、自分が「純粋な日本人か?」と一度考えるべきだ。「そうだ」という人は、自分が差別主義者であることに気づくべきだ。いくら単語を覚えていても、文法が出来ても、発音が上手くとも、「無知であり差別主義である」という化けの皮は、すぐに剥がれるのだから。



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