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武田家における大熊氏

武田家における大熊氏

甲斐に逃れた大熊朝秀は信玄譜代家老十六人衆の一人、山県三郎兵衛昌景(駿河江尻城主飯富兵部少輔虎昌の弟)の同心(家来)に加わり、ひとまず身を落ち着けることとなった。彼は敵国からの逃亡者としての引け目もあり、今までのような箕冠城主としての上杉、長尾家における地位や立場とは訳が違う。そこで今までは大熊備前守朝秀と名乗っていたが、備前守を捨て、一介の兵卒となった。もともと才智もあり有能な人物であるから数度

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上杉家における大熊氏

上杉家における大熊氏

大熊氏の家系は遠く中世戦国の天文から更に溯り享禄・大永を経て更に文明の頃まで知ることができる。
 大熊備前守朝秀は、越後の長尾景虎の居城春日山城から僅か十数粁しか離れていない山辺村(現在の頚城郡板倉町大字山辺)の箕冠城の城主であった。箕冠城は信越線新井駅で下車しバスで板倉町に入ると大熊川の上流に海抜二百三十七メートルの箕冠山がくっきり見える。
 この山頂に本丸を置き、山腹には幾つもの曲輪を設け、信

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