第2回AI歌壇の人間選者

 この度、第2回AI歌壇の人間選者を務めさせていただしました。選の方法は選者に委ねられている、ということでしたので、特段の序列はつけず、特に気になった歌を選評とともに紹介させていただきます。
 なお、自由詠には58名から183首、テーマ詠「ちいさな嘘」には67名から126首のご応募があったとのことです。

〈自由詠〉

三秒もきみと話せて走馬灯には充分な撮れ高でした/あひる隊長

 三秒で何を話したのだろう。いずれにしても非常に些細なやりとりであることは間違いない。そんなやりとりを、走馬灯へのソースとして認識する作中主体の立ち位置が切ない。〈撮れ高〉という暗喩が効いていて、主体というカメラはきみとのやりとりを余すところなく記録していることが想像される。ある意味では危険な状況なのだが、その背徳も歌の魅力なのだろう。
 同じ作者でもう一首気になったもの。輸血と音楽の接続が新鮮。
イヤホンの線に身体を繋いでは輸血のように聴いた音楽/あひる隊長

イヌとネコの起源は同じなんだって。眠るあなたのあばらを撫でる/高田月光

 核心には全く触れずに、肉感的な心象をしっかりと読み手に伝えてくる歌だと思う。まるでイヌとネコのように似ていない二人は、恐らく身体を重ねたのではないか。そうした事後の一風景として読めるのには、〈あばら〉とやや雑に表しての下句の動作、そしてそれに呼応した〈起源〉という語句の存在が大きいように思う。そうした婉曲による暗示の構造が読み手にとって心地よい。
 同じ作者でもう一首気になったもの。執着が、不思議と爽やかに描かれていると思った。
録音をし損ねたので好きだつて今日もあなたに言はせてしまふ/高田月光

寂しさをすももくらいの玉にする 意外に硬く碧く澄んでる/風吹く

 イメージ先行の歌だと思うが、その「イメージ」から「具現化されてくる描写」という珍しい構造をたまらなく魅力的に読んだ。下句の描写はしつこいぐらいだが、寧ろそこが歌の魅力であり、その「玉になった寂しさ」を執拗に味わっている主体の姿が、やはり碧く澄んだ孤独として感じられる。〈意外に〉という自己認識の視点も、歌の魅力だと思う。
 同じ作者でもう一首気になったもの。独特の自己認識だが、納得させられる発見の歌。
「わたし」と「はしる」心拍数が上がったら「走る私」に融け合っている/風吹く

恒星のまばゆい死期を焼け残る遺骨としての純鉄の核/ef

 天文学上の恒星の一生を切り取った歌にも、その歌全体が何らかのメタファーのようにも思える、硬質な一首。鉄が登場するのは中心核の核融合の機序に基づくからだが、その〈鉄〉が暗示するイメージの多様性が、歌全体の読み味に及んでいるように思えた。〈鉄〉からは血を連想しがちな短歌の読み手の習性につけこんだような感じにも、寧ろ好感を持った。
 同じ作者でもう一首気になったもの。やはり硬質な一首。
夜明け前蛇口をひねりその都市の経絡となるダクタイル管/ef

そうあれは約束でなくトリガーとしての役目を託して残す/琴里梨央

 具体物や具体的な景は思い浮かばないにもかかわらず、強く惹かれた一首。読み手の想像に委ねられた部分は巨大だが、その骨子となる「約束でなくトリガーとしての役目を託す」という概念の特殊性と説得力が魅力だと思う。自分には、想い人との別れ際に、約束の証として何かを渡す景がイメージされたが、どうだろうか。
 同じ作者でもう一首気になったもの。下句の「汽笛」の配置にどきりとさせられる。
ゆらゆらと昼の残像乗せており月夜のブランコ汽笛をあげる/琴里梨央

2XLのTシャツのデカさでつかむ出掛けの風が好きだな/とらうと

 一読して、その韻律に惹かれた歌。t音もしくはd音がリズミカルに配置され、読んで心地よいだけではなく、歌のキーアイテムであろう「オーバーサイズのTシャツ」との相性がぴったりだと思われた。オーバーサイズのTシャツを着る、その着心地と気分が、丁度よいテンションで詠われている歌だと思う。
 同じ作者でもう一首気になったもの。〈土星〉、〈エビ〉、〈味方〉のそれぞれのギャップと収斂が心地よい。
土星にはエビが棲んでる/棲んでいた? いずれにしても僕は味方だ/とらうと

それもまた意志なんだろう曲がらないストローたちは空へ向かって/未知

 飲み口のやや下で折れ曲がるタイプのストローがあるが、そうではないストローの、おそらくは束が作中主体の目前にあるのだろう。〈曲がらないストロー〉には、恐らくは不器用な主体自身が投影されていて、それらに対し〈空に向かって〉と、希望を交えて認識している前向きさが、ストレートではあるが、魅力的な一首だと思う。

〈テーマ詠〉 テーマ「ちいさな嘘」

「わたべ」だと知らせぬままにメンバーズカードは二回更新された/かきもちり

 本来は「わたべ」なのに、おそらくは店では「わたなべ」と登録、認識されているのだろう。本当に、ちいさな、些細な嘘だと思う。メンバーズカードの更新を二回しているぐらいだから、そのお店にはそこそこ繰り返し通っているのだろうし、更新二回(年一回更新とすれば2年)のあいだに経過した時間は、小さくない。そんな、店側と主体の継続的な関係性のあいだ、ずっとついている小さな嘘へのフォーカスと、更新二回の滞空時間が歌の魅力だと思う。

母さんがサンタと知って自転車じゃなくてお菓子が欲しいと書いた/猫背の犬

 サンタの正体が母さん、というのは、大人にはちいさな嘘の匂いがするが、子供にとっては、嘘としてちいさくないのではないか。また、その嘘に気づいた作中主体は「気づかないふり」という嘘と、「自転車じゃなくてお菓子が欲しい」という嘘を重ねることになる。これらも、やはり子供にはちいさくない嘘である。お題を踏まえ、過去を振り返っての、今は気軽に話せる嘘として切り取りながらも、当時の重苦しさを伝える歌と読んだ。この複層性が構造として巧みであり、誰しもが持つノスタルジーの襞のような部分に、強く引っ掛かる力のある歌だと思った。

「大丈夫ですか」と問われ「大丈夫です」と答えた春の床屋で/梅鶏

 お題へのアジャスト感が秀逸。ヘアサロンでは必ずと言っていいほど訊かれる初句の一言だが、どれ程の人が、「いや、ちょっとこの辺を…」などと返答できるだろうか。そうした強い共感性と、それを生んでいる嘘の選択の二点が歌の魅力だと思う。景としての〈春〉も、その小さな嘘を乗り越えた先にある、新生活の予感があり、歌の完成度を高めていると思う。

すぐに押す「いいね」の嘘も受け取って たぶん平和の内側にいる/真朱

 SNSでの「いいね機能」の特徴を下敷きに、無理なくお題を消化している。上句に対する下句の認識からは、瑞々しさと同時に奥行きが感じられる。何処か醒めた視点を優しさでくるんだような、そんな〈平和〉こそが主体の認識なのだろうと思った。

マーガリンとは知らされずじゃがいもは湯気ひからせてほっくりと待つ/石村まい

 茹でられたじゃがいも視点の歌。正確にはそれを客観視している、所謂「神なる存在」視点の歌だと思う。「じゃがバター」と言いながらも本当に塗るのはマーガリン、ということなのだろうが、じゃがいも目線でそれを小さな、そして悲しい嘘に仕立ててある点が魅力だと思う。

絵日記は最大限にしあわせな一日をじっくり妄想して描く/えりた

 夏休みの終わりにまとめて宿題を片付けた経験のある人には強い共感性のある景だ。ただ、描写の節々には、現実の主体が抱える孤独や不満の反作用とも読めるものが鏤められている。所謂あるあるの歌のようで、主体の闇にゆらりと触れてしまう、という構成が秀逸。

今季初ホームランですという顔で喜んでみせる大玉スイカ/牧歌

 この夏、もう西瓜を何度か食べた主体の目前に、恐らくは知人が大玉西瓜を差し入れたのだろう。上句の比喩はいささか大袈裟だが、配置された〈大玉スイカ〉とのバランスが良い。ぼんやりと前向きな嘘の性質も、夏の景にぴったりだと思う。

 以上、特に数は決めずに選に取り組みましたが、結果的に自由詠、テーマ詠、各七首(自由詠は他に気になった六首も)を選ばせていただきました。
 この度、沢山の良い歌に触れる機会を下さった、AI歌壇主宰の深水英一郎さんに感謝致します。ありがとうございました。

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