正論は正しい、でも

どちらかといえば穏やかでない環境で育ってきた話

※家族にトラウマがあるような人はこの章は見ないほうがいいし本題の愚痴は一番下の6行間にすべて詰まってます

私の母(60代前半)は、キャリアのeメールでメールを削除する操作をしているとき、「このメールを削除しますか? はい いいえ」というスマホのダイアログメッセージに困って私(20代後半)に電話をかけてくる。
メールを削除する手順を懇切丁寧に教えたのでメールを削除する操作は可能なのだが、「『このメールを削除しますか?』って聞かれたんだけどどうしたらいいの?」というショートメールが入った後、間髪入れずに電話がかかってきたときはため息をついた。削除する操作を教えたときに、このメッセージが出てきたら「はい」を押せと言ったからだ。(そもそも削除したくないメッセージを削除しようとするはずがないので)
ところが母はダイアログメッセージが出てくると毎回私に電話をかけてくる。ブラウザのポップアップ広告で詐欺にあったことがあるから、ポップアップやダイアログメッセージそのものに恐怖を感じるようだ。

ここで私が問題視していることは2点ある。1つはキャリアのeメールアプリで行っている操作とブラウザの操作をひとくくりにしてしまうITリテラシーのなさ。もう1つは、どんなアプリであってもポップアップやダイアログボックスが出てくるたびに私に電話をかけてくるか家に押しかけてくる点だ。

以前、私は周りの人間の分類がどうやら異常らしいという話をしたが、

おそらくこれは母の影響のように思う。母は自分と他人の間に境界線が引けない人で、娘の私や夫である私の父のことを自分の一部のように考えていて、私や父が(母に)理解できない行動をとるとフリーズするか声を上げて泣く。
私の一番古い記憶では、私が3歳のころからそんな傾向があった。
私が幼稚園の年小だったとき、母は姑や隣に住んでいる夫の姉夫妻に馬鹿にされていた。夫の家族はかつて地域の通信インフラを整備するなどそれなりに社会に貢献している割とすごい一家で、そんな夫家族からは母は田舎から出てきた頭が足りない娘と見られていた。私は持ち前の理解力をいかんなく発揮して3歳ながらに母がなぜ夫の家族に馬鹿にされているのかを理解していたし、父方の祖母や叔母が自分に「将来はあんな人になるんじゃない」と言い聞かせていたときの「あんな人」のニュアンスもおそらくほぼ正確に理解していたと思う。
母はそんな夫の家族から嫌味を言われたり怒鳴られる度に、ハマっている宗教団体で買ったグッズを握りしめて部屋にこもり謎のお香を焚いて部屋にひきこもっていて、父にそんな自分を心配するよう私に父への伝言(母が泣いてるって伝えてというような内容)を託す人だった。
(一応3つ上の姉もいたが、姉は「母は馬鹿にされるような人」ということだけは理解していて、叔母と一緒に意味も分からず母を馬鹿にしていた。)
端的に言えば、DV家族とカルト宗教にハマる母、仕事熱心で亭主関白な父というどうしようもない家族の見本市のような家庭で20数年過ごしてきた。

それでも私は母のことは嫌いになれなかった。これはただの弱い者いじめだとわかっていたから、この人たちについていったら私も間違ったことをしてしまうという意識だけが私を私たらしめていた。
叔母から「ご近所さんにも馬鹿にされている」と吹き込まれていたから周りの大人に頼ろうなどはみじんも思い浮かばなかったし、学校では私の発達障害児っぷりが先生に手を焼かせていてずっと「お前が悪いよ」と怒られていたのもあり頼れる味方など誰もいなかったので、学生時代、私は一人でずっとこの悪夢の中を生きてきた。

私の悪夢の楽しみ方

寝ても覚めても、逃げても逃げても、来る日も来る日も、など永遠に続くことをネガティブに感じさせる表現はたくさんあるが、そのどれを使っても足りないくらい果てしないくらいに続く悪夢に身を置いていたので、神様がいないことなど早々に悟っていた。
神様がいるならちょっとくらい助けてくれたっていいじゃないか。お天道様が見守っててくれるならどうしてこの人たちを焼き焦がしてくれないんだ。星が見守ってるっていうけど泣きたい夜に私を照らして泣く場所なんて作ってくれなかったじゃないか。
絵本や教科書で誰かが何かに救われる話を見る度、あらゆる周りの大人が全力でそれを否定してくれていたおかげで、私は母のように宗教にハマることはなかった。

私にとっての救いは神様やお天道様じゃなくて、「正しさ」だった。

叔母や祖母のしていることは間違っている。母に至らないところがあったとしても、嫌がることを続けることは道理に反している。

「先生は『お前が集団になじめないのが悪い』というが、「集団になじめないからといって私をばい菌扱いするクラスの子たちは私が嫌だといってもやめないことが悪いのは道徳の教科書に書いてある(からもちろん正しい)し、私の人権を侵害している(から法律的にも間違っている)し、それを私のせいにするのはお門違いだと思う」こんなことを言う小学1年生の担任になった田中先生に今ならちょこっとだけ同情する。
でもどうか許してほしい。そうでもなければ私は体をピアノ線で切り裂かれるようなあの悪夢に耐えられなかったんだ。同じようにばい菌扱いされても馬鹿なふりして笑ってクラスになじんでいたAくんが、帰り道、アスファルトに涙を落していたのを私は知っている。
そんなことをしてまで集団になじまなければいけないのだろうか。

本題:小説「図書館戦争」を読んだことがあるか

正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない

『図書館戦争』

これは小説「図書館戦争」の登場人物のセリフだ。
「正論」という言葉を調べるとこう出てくる。

道理にかなった正しい意見議論

デジタル大辞泉

これを言われた人物は、事実に基づいて同僚の至らない点を非難していた。それを踏まえてこのセリフをかみ砕くと、「『至らない』という事実は正しいが、正しいからといって相手を傷つける行為は道理に反している」と言えるだろう。

これを読んだ小学4年生のころ、先生が言っていた「お前が悪い」の意味をこう理解した。
「お前が(なじめないのが)悪い」=「お前が言っていることは正しいが、それを盾にして相手に正しくないという事実を突きつける行為は相手の逃げ道をふさいだ上での攻撃になるから相手は理不尽な攻撃をするしかなくなるぞ。
なるほど確かに、正しくないという理由だけで降参するなら戦争なんて起こらないよな。と飲み込んだ。(今思えば、多分先生が言いたかったのはそうじゃないけど)

そう思ってからは、正論を振りかざすのはやめた。「不快です」「嫌です」「やめてください」と言うようにした。
それでも嫌がらせは終わらなかった。先生に「やめてほしいと思っているので協力してください」と言っても、「人の印象はそう簡単に変わらない」と過去の行いを引き合いにだされて徒労に終わった。
なるほど、前科があると反省していても無意味なのか。次の社会では正論を盾にするのはやめよう。誰ともかかわらず、すみっこでひっそり隠居しよう。

こうしてどこかズレた学びを得ていても、正しく「なじめるよう」導ける大人は周りに誰もいなかった。

「納得できないことを言われても流しなさい」

今、一番飲み込むのに苦労している言葉がこれだ。
こうしてズレた学びを得てきた私は「正論を盾にして自分を守る」か「誰ともかかわらずすみっこでひっそり生きる」ことしか知らない。というかその他の集団内での立ち居振る舞いがわからない。

「ですねー」「あははー」「なるほどー」「わかりました」に語彙を制限して前の職場を乗り切ろうとしていたのだが、そうしたら「イエスマン」だと評された。「お前は何も考えていないのか」と言われ、どうしていいのかわからなくなった。
考えていることはある。でも、これはきっと正論ゆえ上司のことを傷つけてしまう。だから私は「あははー」で流した。

私は自我を殺してイエスマンになることでしか人間社会になじめない。
そのくせ、就労支援の相談員は「あなたの得意なことことをいかして」なんて言う。
私の得意なことなんてせいぜい伝えるべきことを理路整然と話したり、人の話していたことを一言一句覚えることくらいしかない。
それを活かしながら人間社会になじめなどと難しいことをおっしゃる。

いいな、定型発達の人間は苦労したことないから軽々とそんなこと言えちゃってさ。(←はいこれ論理の飛躍、過度な一般化ですぅ。支援員は提携発達の代表でもないのにちょっと理不尽押し付けられたからって敵が大きく見えちゃってるねぇ~~~)

と思いながらとぼとぼと支援センターから帰ってきたという長々とした愚痴でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?