会社を作って4ヶ月でわかったこと──命令なんてしたくなかった
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株式会社Xemono代表のとりいです。
社を立てて4か月、社長と呼ばれるのにも慣れてきて魂の堕落を感じています。
決済権と権力をもつことで救われるタイプの人間が居ます。まあ私のことなんですが。
会社員時代、仕事がつらくて仕方がなかったのだけど、社長を始めて4ヶ月の今、全然辛くないんですよね。それは、会社を作ることで自分は無力ではないとわかったからなんだけども。
命令なんて嫌いだった
ところで皆さん、命令されるとどんな気持ちになります?
まあ嫌ですよね。嫌なんだよ。人は命令されたくない。けれどね、ちょっと救われた気持ちになっちゃうのは本当なんだ。命令に従うことにだけすれば、もう考えなくて済むし、間違ったって命令したやつの責任にできるからね。自分で決めるのが怖くないわけない。超的確に自分を良くしてくれる命令主が居れば、そいつは救世主でもあるだろう。
それに不慣れな場所には案内がほしいしね。ジムに行ってトレーナーの命令に従うのは、そうすれば良くなるだろうと信じているわけだから。
信頼さえあれば命令は救いでもあるわけです。
人はわざわざ社長になんてならなくても、人に命令する立場になることはあると思うんですが、命令、したいですか?
私の話をするんですが、私は会社員時代あんまり楽しくなかったわけですよ。仕事自体が辛いわけではなかったのに。
誰が悪かったというわけでもないけれど、ただそこで私は閉じ込められているような感覚をずっと覚えていた。なぜか? 私は会社では命令を聞かないといけないものだと思いこんでいたから。自由な社風ではあったはずなのに、そこで見えない命令にがんじがらめになっているような気がしていたんです。
繰り返しますが、誰が悪いという話でもない。ただ私があまりにも何もわかっていなかった。
魚って水中で暮らすじゃないですか。魚には水中は苦しくないんですよ。でも私にはエラがなかったし水中はちょっと寒かった。魚たちが当たり前に従っている命令に一緒に従うためには、足りないものがたくさんあったわけです。
そのまま水の中、苦しい〜〜〜〜wwwってやり続けるにはあまりにも私は弱すぎた。
だから水から出て暖かい服を着て暮らすことにしました。いまでも自分は魚失格なんだなって思うし、きみは仲間たちを見捨てて自分だけ地上で暮らすのか、ずいぶんと君の魂も汚れたものじゃないか、もう手遅れだよって魚の頃の自分がずっと言ってる気もする。けれど、歩けるなら歩いたほうがいいし、自分が行く場所を自分で決められると理解することのほうが遥かに私にはよかった。
私は命令するのもされるのもあまり好かなかったし、今でも人に命令なんてしていいのかなって思う。自分が嫌だったことを人にしたり、辛かった空気を生み出すかもしれない行為をするのは、それこそよくないことなのではないか、と。けれども今では命令をやる立場になり、的確に命令する、つまり権力をやるということが時には誰かの救いにもなると理解しつつあります。
人にものを頼むことは命令の一つではあるのだけれど、成果として渡す報酬だけでなく、実は頼むこと自体も救いの一部になっている。
力だと思ってなかったことが力だとわかるときがあるんですよ。
具体的には、私は無限に人間に構い続けられます。子供相手でも永遠に遊んでいられるし、人が社の事務所に来ると嬉しすぎて帰ってほしくないなあって思っちゃうし、よく喋る人がよく喋り始めると大喜びしてしまう。
こんなのは力でもなんでもなく、ただ自分の中の寂しがり屋が呼び寄せる呪いみたいなものだと思っていた。けれど違う、本当はあらゆる癖も弱みも歪みもどうしようもない欲望すらも力であり、それがお金や何かによって報われることで力だと認めてあげられるようになるだけなんだ。
この力はいま、仕事をもらってくるために大いに役立っていて、寂しがりなのも無駄ではないと感じている。
つまり、自分の中の力を許すにはただ報われるだけでいい。
逆に言えば、人にものを頼むこと、つまり命令をすることは、人の力を認めることでもあるんですよ。朝起きてこの場所に来なさいという命令ですら、起きられる人には存在を認めてもらうことになる。
じゃあ、変な仕事を生やして人に変な命令をたくさんすることは、そのまま自分の力を許せる人を増やすことにもつながっていくんじゃないかな? この世界、まだまだ変な命令が足りてないと思うんですよね……。みたいなことを考えて最近は社をやってます。
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早く出版についてよく考えたい。