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江沢民氏、序列12位に─「宿敵」の葬儀で急低下(2013年2月)

 中国政界で第一線を退いてからも隠然たる影響力を保っていた江沢民前国家主席の公式序列が3位から一気に12位に低下した。胡錦涛国家主席が昨年11月の第18回共産党大会で「完全引退」を決めた後も、 江氏はたびたび公式報道に名前を登場させて存在を誇示していたが、今年1月に死去した楊白冰氏(元党中央軍事委員会秘書長)の葬儀を報じた公式報道で序列の変化が判明した。かつて江氏の「宿敵」だった楊氏の葬儀を機に序列が急低下したことは、江氏の影響力が衰えていることを印象づけた。
 
■党大会前より活発な動き

 第18回党大会で就任した習近平総書記は昨年12月4日の政治局会議で「中央指導部による段取り以外に個人で著作を出版したり、祝電を送ったりしない」などと公的活動簡素化の方針を決定した。胡主席の完全引退決定と連動する形で、江氏の動きを封じる狙いがあったとみられる。
 ところが、同月下旬になると、公式報道に江氏の名前が相次いで現れた。主なものだけでも、竹に関する詩集の序文や故黄菊・元副首相写真集の題名を書いたり、社会主義市場経済に関する本を出版するとともに、「思想解放」などの指示を下したりと、党大会前よりも活発な動きを見せた。
 さらに、香港メディアによると、江氏は同じ時期、北京で李嵐清・元副首相らが催した音楽会を鑑賞した。黄、李の両氏は元党政治局常務委員で、江派の大幹部だった。
 いずれのケースも一応、中央指導部の承認は得ていたとみられるが、引退した指導者としては頻度があまりに多く、習総書記が打ち出した活動簡素化の方針を事実上ないがしろにするものだ。
 習総書記が同月7日から11日にかけて、かつての最高実力者、鄧小平氏(故人)が江氏に保守路線から改革・開放への転換を迫った1992年初めの「南巡」(南部各地視察)と同じコースで広東省を訪問して、「江沢民離れ」を示唆したこともあり、江氏は影響力を維持するため反撃に出たようだ。

■「高尚な品格」?

 江氏は胡錦涛時代に公式序列でナンバー2の地位を保持。胡主席以外の全政治局常務委員より格が上だった。第18回党大会後の昨年11月27日、元人民政治協商会議(政協)副主席の丁光訓氏の葬儀を伝えた公式報道では、胡主席と習総書記に次ぐ3位。序列は一つ下がったものの、ほとんどの政治局常務委員および前常務委員より高かった。
 しかし、今年1月21日に楊元秘書長の葬儀を報じた公式メディアは指導者を次の順番で紹介した。
 胡錦涛、習近平、呉邦国(全国人民代表大会=全人代=常務委員長)、温家宝(首相)、賈慶林(政協主席)、李克強(副首相、次期首相)、張徳江(次期全人代委員長)、兪正声(次期政協主席)、劉雲山(党中央書記局常務書記)、王岐山(党中央規律検査委書記、副首相)、張高麗(次期常務副首相)、江沢民
 つまり、江氏は国家主席、総書記、前政治局常務委員(呉、温、賈の3氏)、現常務委員(李副首相以下の6氏)の後に後退した。
 国営通信社の新華社は翌22日、序列の変化について、江氏本人から「今後は党・国家指導者の序列で自分を他の老同志(引退した指導者)と同列に扱ってほしい」と申し出があったためとした上で、「高尚な品格と寛大な気持ちを体現した」と称賛した。

■「楊家の軍」の因縁

 だが、総書記を退いて10年以上たってから、このような申し出をするとは、「高尚な品格」の人物にしてはいささか遅かろう。また、社会主義国において政治的に重要な意味を持つ指導者の序列変更は党大会や全人代を機に行われるのが普通だ。
 今回の場合、本来であれば、第18回党大会か、習総書記が国家主席を兼ねて序列1位になる3月の全人代で江氏の序列を変えるのが順当なやり方だった。江氏は序列低下の前に報道や行事を通じて異常なほど健在ぶりをアピールしており、最後の悪あがきだったとの印象を受ける。
 しかも、江氏の序列が楊元秘書長の葬儀で低下したことには政治的意図が働いていた可能性がある。
 92年の第14回党大会前、楊白冰氏は軍事委で日常業務を取り仕切る秘書長と総政治部主任を兼ね、国家主席と軍事委第1副主席を兼任していた兄の楊尚昆氏(故人)と共に軍を牛耳っていた。楊兄弟は鄧氏に近かったので、盤石の態勢だった。江氏は当時、既に総書記と軍事委主席を兼務していたが、実権が伴わず、軍事委主席でありながら「楊家の軍」に手を出せない状況だった。
 その後、楊白冰氏が軍の要職を解かれるなどして楊兄弟が影響力を失ったことで、江氏はようやくナンバーワンの地位を固めることができた。江氏が鄧氏に「自分は軍事委主席なのに、ないがしろにされている」と泣きつき、党内が将来混乱する事態を恐れた鄧氏が泣いて馬謖を斬ったという見方が多い。「楊家の軍」粛清こそが江氏の真の最高指導者としての出発点になったのである。
 習総書記率いる現指導部はその楊白冰氏の葬儀を機に江氏の序列を大幅に落とした上、葬儀の日に公表した略伝で「一貫して党中央の指導を擁護し、党中央との一致を保った」と楊白冰氏を評価した。
 1月22日付の香港紙・星島日報によると、楊尚昆氏の息子でカメラマンの楊紹明氏は21日、同紙に対して、胡主席と習総書記が楊白冰氏の死去後、慰問のため病院まで来たことを明らかにし、「中央(指導部)はおじを非常に重視していました」と話した。
 元政治局員の死に対し、丁重に弔意を表するのは当然ながら、現指導部の一連の対応は習総書記の「南巡」と同様、江氏への当てつけにように見える。

■江派の牙城にメス

 一方、警察や検察、裁判所などを管轄する党中央政法委は1月7日、裁判抜きで容疑者に強制労働を命じられる「労働教養」制度の運用を年内に停止すると発表した。
 また、2月5日には北京市の裁判所が、河南省から同市に来た陳情者4人を違法に監禁したとして、被告10人に懲役6月―2年の判決を言い渡した。被告は同省の地方当局が派遣したとみられる。
 労働教養制度や陳情者の違法監禁は、「社会の安定維持」を理由に超法規的な権力を振るってきた政法部門の闇の部分だった。江派の牙城となっていた政法部門の権限縮小は江派の衰退に拍車を掛けるとみられる。(2013年2月12日)

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