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史上初のトップ完全引退─新指導部は妥協の布陣に(2012年11月)

 第18回中国共産党大会が開かれ、党首である総書記が胡錦濤国家主席から習近平国家副主席に交代した。胡氏は兼任していた中央軍事委員会主席も退任。来年春の全国人民代表大会(全人代=国会)で国家主席も習氏に引き継ぎ、重要ポストからすべて退く。中国共産党政権のトップが自主的に完全引退するのは史上初めてだ。胡主席は自らの完全引退で江氏ら長老の今後の動きを封じ込めるとともに、党政治局員、軍事委、地方の人事で優勢に立ったが、最高指導部の政治局常務委員人事では長老やベテラン幹部に配慮。新指導部は妥協の布陣となった。
 
■直前まで続投説

 毛沢東氏は党主席(現在の総書記に相当)と中央軍事委主席を死ぬまで務めた。華国鋒党主席、胡耀邦、趙紫陽の両総書記はいずれも失脚した。
 鄧小平氏は一度も党のトップにならなかったが、政治局常務委員を辞めてからも軍事委主席を続投。民主化運動を武力弾圧した天安門事件(1989年)の後、ようやく退任した。
 89~93年に総書記、軍事委主席、国家主席を兼ねた江沢民氏は2002年に総書記、03年に国家主席の職を胡錦濤氏に譲ってからも、軍事委主席は2年留任。総書記退任時に「重要な問題については、党指導部が江氏に相談する」という内規までつくって、政治に口を挟み続けた。
 こうした経緯があるため、第18回党大会の直前までは「胡氏は前任者に倣って、総書記を辞めた後も軍事委主席を続ける」との見方が多かった。
 習氏と近い関係にある元香港行政長官の董建華氏(国政諮問機関の中国人民政治協商会議=政協=副主席)は9月18日、米CNNテレビとのインタビューで、胡氏が留任する可能性が大きいと述べた。董氏の立場からみて、発言が習氏もしくは党指導部の承認を得ていたのは確実で、この時点では胡氏が軍事委主席を続投する方向だったとみられる。

■胡主席を称賛

 ところが、ふたを開けてみると、胡氏は軍事委主席からも引退した。党大会閉幕翌日の11月15日、中央委全体会議(総会)で総書記と軍事委主席に就任した習氏は人民大会堂で約2600人の大会代表らと会見した際の演説で、胡氏の引退について「崇高な人徳と高尚な品格、固い節操を体現した」と称賛。16日付の党機関紙「人民日報」など公式メディアも同様の論評を掲げた。
 完全引退を決めた胡氏に対する大げさな賛辞は、「院政」にこだわり続けた江氏への皮肉にも聞こえる。大会代表との会見には新旧の政治局常務委員のほか、朱鎔基前首相、李瑞環前政協主席ら長老も参加したが、江氏の姿はなかった。
 また、習総書記は16日の政治局会議で、胡氏が総書記を務めた過去の10年間に「党と国家が得た新たな歴史的成果」や胡氏が打ち出した「科学的発展観」の「歴史的地位と指導的意義」を強調した。しかし、江氏の思想である「三つの代表」には全く触れなかった。17日付の日刊紙「香港経済日報」は「胡錦濤を強く持ち上げ、江沢民を冷たく扱った」と解説した。

■人事が二転三転

 一方、政治局常務委員人事は夏にいったんほぼ固まった陣容がその後、二転三転して様変わりした。
 8月の時点では常務委入りするとみられていた李源潮中央組織部長、汪洋広東省党委書記という胡主席派の有力者2人は9月以降、同派と江前主席派の駆け引きの中で脱落した。その結果、今回新たに常務委員に昇格したのは張徳江(副首相・重慶市党委書記)、兪正声(上海市党委書記)、劉雲山(党中央宣伝部長)、王岐山(副首相)、張高麗(天津市党委書記)の5氏となった。
 劉氏は幹事長に当たる党中央書記局常務書記、王副首相は党中央規律検査委書記に就任した。来年春の全人代・政協で張徳江副首相が全人代常務委員長、兪書記が政協主席、張高麗書記が常務副首相に転じるとみられる。
 常務委員留任の習総書記が59歳、李克強副首相(次期首相)が57歳なのに対し、新任の5人は64―67歳。62歳の李源潮部長と57歳の汪書記をはずしたため、常務委で新入り全員が留任の上位者より年上という奇妙な人事になってしまった。
 5人のうち、張徳江副首相と張高麗書記は江派、兪書記は鄧小平一族に近く、王副首相は朱前首相系といわれる。劉氏は江派とみる向きが多いが、実際には胡主席人脈にも連なっており、中間派であろう。
 なお、常務委に入れなかった李部長については、習総書記から国家副主席と党中央香港・マカオ工作協調工作小組組長を引き継ぐとの説があり、そうなれば、事実上は常務委員並みの地位を得ることになる。

■党内の団結重視

 習総書記はもともと江派に引き上げられたが、胡主席との関係も良く、李副首相は胡主席の直系だ。常務委員7人のうち、習総書記、兪書記、王副首相の3人は「太子党」(高級幹部子弟)。ただ、これは日本の「世襲議員」に当たるもので、政治的グループではない。王副首相は政治的豪腕で知られ、新型肺炎(SARS)対策や金融行政、経済外交で胡主席や温家宝首相に重用された。常務委員7人は全体として、やや江派寄りで保守的な印象を与える。
 しかし、党中央の部長、主要地方トップなどの政治局員や軍事委の人事は胡派が主導した。「ポスト習近平」レースの先頭を走る内モンゴル自治区党委の胡春華書記(49)ら胡派の若手が政治局入りし、胡主席に近いといわれる房峰輝北京軍区司令官が総参謀長に昇進して軍事委入りするなど、軍指導部は江沢民色が一気に薄まった。
 一方、経済運営に関係する人事では、常務副首相になるとみられていた王副首相が党中央規律検査委書記という経済とは無関係のポストに回ったことは内外で意外に受け止められた。また、中央委員候補から中央委員に昇格して王副首相の後任になるといわれていた陳徳銘商務相は中央委員候補にも選ばれず、引退が確定した。経済関係人事であっても経済運営の実績はあまり考慮されなかったという印象だ。
 党大会人事をめぐる駆け引きで、胡主席は当初、左派のホープで江派寄りだった薄熙来・重慶市党委書記を打倒して優位に立った。だが、最終段階では党内の団結を重視し、政治局常務委人事で江氏らに譲歩。今回の人事は、鄧氏の教えに沿って、政治的安定を堅持しながら改革を慎重に進めるという胡錦濤路線の集大成だったと言えよう。(2012年11月18日)

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