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故郷を思い出す若宮大橋からの犀川の眺め。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

わたしが生まれ育った群馬県は言わずと知れた海無し県である。
四方を海で囲まれた島国でありながら、なにゆえ群馬県には海が無いのだろう?と少年の頃はこの憤りをぶつけようにもぶつける先が無かったが、海が無ければ川なのである。

最近は川遊びは遊び場と言うよりも危険という認識の方が先立ち、自由に川遊びなどさせてもらえないだろうが、わたしが幼少の頃にはまだまだ近所の川で子供たちだけで遊ぶことに大人達が口を挟むようなことは無い時代だった。
大人達は大人達で子どもにカマっている時間も無かったのだろうし、次々と産めや育てやで増えていく子どもを前に、子どもの価値も今と比べて相対的に低かったのであろう。

そんな川育ちな世代としては、成長しても川に対してある種特別な思いを描くモノである。
いまだに記憶の表層部分にはっきりと残っているのは中学、高校と行き来した渡良瀬川からの光景である。
ある世代には森高千里の『渡良瀬川』が記憶に蘇るだろうが、まさにあの歌詞にでてくる光景の通りである。
学校の行き帰り、塾の行き帰りで6年間この渡良瀬川の光景を目にしてきたが、金沢で初めて市内を北西から南東に流れる犀川に架かる若宮大橋から犀川の流れを目にしたとき、この渡良瀬川の光景が目に浮かんだのである。

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