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犀川上流から兼六園に流れ込む辰巳用水。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

以前も触れたが、金沢時代に散歩にハマり、都内に戻って以降現在に至るまでカメラと写真と散歩をこよなく愛するおじさんに変えてくれたのが、金沢市内を縦横無尽に走る用水の数々である。

そもそも大元は加賀藩前田家の居城である金沢城の防衛と市中の水源確保のために城の周りを巡らせた金沢城惣構跡が現在の数ある用水の元となっているとのことである。
名前の付いた、幅があり、長い用水もあれば、家と家の間を生活用水路のように流れていくモノまで、金沢は水の都?のように実は水に囲まれている街なのである。

金沢時代にわたしは鞍月用水、大野庄用水、辰巳用水の3つの用水路を水源を辿って遡上したり、川や海に向かって川下を辿って歩いたりしていたが、今回の写真は辰巳用水を溯上して歩いた時の一枚である。

鞍月用水、大野庄用水が市内中心部から市街西部に流れていくのとは逆に、この辰巳用水は犀川上流から取水して兼六園の曲水として流れ込んでいる。
なのでこの日わたしは兼六園をスタート地点として、流れを逆流して歩き始めたのである。
兼六園からしばらくは市内を歩いている感じが長々続き、ある地点でいつの間にか自分が高台を歩いていることに気付くのだ。
そう、実は兼六園からずっと犀川と浅野川に挟まれた部分は実は高台のままなのである。
なので西方に目を向けると金沢市街を抜けたのんびりした農村風景が眼下に広がって見えてくる。

気がつくと辰巳用水遊歩道と呼ばれるところまで歩いており、木々が生い茂る空間を歩くことになっていた。
辰巳用水遊歩道を抜けるともはや金沢らしさは全く無く、山間の農村部が目の前に広がるような光景。
さすがにもう日が暮れると土清水2丁目あたりで引き返して、現世に戻り路線バスに乗って市内に引き返したのである。

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