百マス計算で自分発見

数字に強い自分になりたくて、最近、百マス計算を始めた。毎回タイムを計って、計算力の向上をめざすのだ。毎日1枚ずつやるうちに少しずつタイムが伸びていくのがおもしろくて、ちょっとハマっている。目標は足し算と掛け算がそれぞれ70秒、引き算が80秒。もう少しで達成できそうだ。

百マス計算を何度も繰り返すうち、いろいろおもしろい発見があった。自分にはADHDの傾向があり一般の人とは違いがあるかもしれないが、人間の脳みその仕組みがどうなっていのかが垣間見えるようでなかなか興味深い。

百マス計算を処理するとき、脳はいくつかの作業を同時進行で行っている。

①表左端の数字を一時的に記憶する
②上の数字を認識し、①の数字と合わせてどんな計算をするか確認する。
③計算する
④頭の中の答えを文字で書く
⑤ ①のデータ以外は消去し、次の計算に進む
これを百回繰り返す。

まず痛感したのは、集中力が持続しないということ。コンピューターが過剰にデータを処理するうちヒートアップしてパフォーマンスが落ちてくる感じだ。

私の場合は、特に①ができなくなる。あれ、いま何の数字を足していたのだっけ?とちょこちょこ左端の数字に目をやることになり、大幅なタイムロスとなる。集中力が切れてくると、とたんに一時記憶が持続しなくなるのか、あるいは⑤のデータ消去の段階で①を残すことを忘れてしまうのか。これは、もともとワーキングメモリが弱いADHDならではなのかもしれない。

さらに、②にも問題が生じてくる。いま足し算をしようとしているのか、掛け算をしようとするのか、一瞬わからなくなるのだ。その昔、数学の問題を解く過程での「2×3=5」といった計算ミスにどれだけ泣かされたことか。何も変わっていない自分に驚く。

脳みそのパフォーマンスは、自分自身のコンディションや周りの環境にも左右される。寝起きでぼーっとしているときは当然さえないタイムとなる。周りで人がしゃべっているときは、一生懸命集中しているつもりでも、集中しきれていない自分を自覚でき、タイムも10秒以上遅くなった。学生時代は、静かな部屋より喫茶店や電車の中の方が勉強がはかどったような記憶があるのだが、やはり「気が散る」と言われる環境は集中力を阻害するのだろうか。

一方、③の演算は、回を重ねるごとに着実に処理が速くなっていくのを感じた。計算が速くなる、というより、何も考えず反射的に答えが浮かぶようになる、という感覚に近い。何度も繰り返すうちに「計算」から「暗記」に移行する感じだ。

例えば、「13-7」という繰り下がりの引き算なら、最初は「10から7を引いて3、その3に(13の)3を足して6」と考えて計算していたが、今は何も考えることなく「13-7=6」と自動的に答えが浮き出てくるイメージだ。犬を見て「犬」とわかる感覚に近い。

掛け算にしても、初めのころは頭の中、あるいは口の中でぶつぶつ「さぶろくじゅうはち」と唱えながら答えを出していたが、最近は唱えなくても「18」という答えがパッと出てくるようになってきた。脳内で音声を再生しない分、より
早く答えを書き込む作業に移れる。

こうして「考える」「音声を再生する」という作業を省略できるようになると、処理スピードが上がるだけでなく、脳みそコンピューターの負荷が減っていくのを実感できた。そうなると計算が楽に感じるようになり、集中力も持続するようになってきた。

演算の負荷が減ると、脳内のワーキングメモリに余裕ができるのか、①の左端の数字を失念するということも少なくなった。例えば「13-7=6」とパッわかれば、「13-7」の計算で、「10-7=3」の「3」を一時記憶するメモリを使わなくて済むのだから、その分のメモリで表左端の「7」の数字を覚えておける、というわけだ。

ここにADHDのようにワーキングメモリの容量が少なくてもミスを減らす手立てが見いだせる気がする。ワーキングメモリを使わずに目的を果たすことができれば、一時記憶して忘れるということはないし、使っていないワーキングメモリを他の一時記憶にことに回すこともできて、一石二鳥である。

私はADHD傾向で、こうしなきゃ、ああしなきゃ、といちいち考えているうちは必ず忘れる自信がある。だが、車の基本的操作は人並み程度にはミスしない。なぜなら、赤信号で止まる、曲がるときはウインカーを出す、などの動作は長年運転してきたおかげで、何も考えず無意識にできるからだ。

話はそれたが、百マス計算作業における最後の工程、④の答えを書く、については他とは別枠で考える必要があるように思う。頭に浮かんだ答えを文字に変換し、枠の中に文字を書き込むためには、文字のイメージに合わせて運動神経を通じて指の筋肉を連動して動かさなければならない。しかも、できるだけ短時間のうちに。こう書くと、なかなか高度なテクニックではないか。

私も計算処理の途中でふと頭に浮かんだ数字を書いてしまうなど、頭の中の計算結果と書いた文字が一致しないことがたまに起こった。私は文字を書くことに関して特に問題を抱えていないが、「書く」作業に難がある子どもにはこの部分がネックになりそうだと感じる。計算のトレーニングのはずが、文字の早書きのトレーニングがメインになってしまいそうだ。書けないために「算数ができない」ということになっていないだろうか。

たかが百マス計算、されど百マス計算。「宿題、めんどくさいなぁ」と思ってやっていたらただの作業にしか感じなかっただろうが、大人になって好きでやってみると、いろいろ発見があっておもしろい。

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