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柴又という幻視の町を作り上げた二人

柴又といえば「寅さん」と「帝釈天」

名所や世に知られた場所が映画の舞台になり、映画のヒットによりその名がさらに知られるようになることはあると思う。「葛飾柴又帝釈天」もそうした例の一つと思われがちだが、私は必ずしもそうだとは思わない。松竹映画「男はつらいよ」シリーズは、山田洋次原作・脚本・監督(一部作品除く)、渥美清主演で1969年に第1作が公開され、その後26年間で全48作品が公開された。まさにこの映画シリーズは、26年間という長い時間にわたって、監督・山田洋次と俳優・渥美清の精気を吸い取りながら、「葛飾柴又帝釈天」に生命を注いできた。
それは、初めに述べた「葛飾柴又帝釈天」が映画の舞台になり、柴又がさらに知られるようになったのではない。「葛飾柴又帝釈天」という実像と、柴又を心の根城に日本中のつづ浦々をさ迷い歩くフーテンの寅さん、車寅次郎の虚像が重なり合って、奇妙な立体感を生み出している。つまり「男はつらいよ」は、幻想であって実体でもある、その存在性のゆらぎが私たちの心にリアルに迫るのだと思う。

この映画はある意味、二人の天才によって作られたといっていい。もちろん、多くのスタッフや出演者によって作られた映画であることは言うまでもないが、それでも二人の天才がこの映画の存在性のゆらぎに大きな保証を与えていたと思う。私はかつて、京成電鉄の「お花茶屋駅」に住んでいたことがある。「お花茶屋駅」から「柴又駅」に行くためには、直行ではなく、「高砂駅」で乗り換える必要があった。私にも、柴又に対する漠然とした関心があって、電車で「高砂駅」を通るときにふと、ここで乗り換えたらその次は「柴又駅」だと、知らずに呟くことがある。

あの街角から、ひょいと寅さんが顔を

きっと多くの人が、今から京成電鉄に飛び乗って葛飾の「柴又駅」に向かい、「柴又」の町に足を踏み入れれば、あの角の横からひょいと、寅さんが顔をのぞかせるのではないかと、あるいはおじさんとおばさんの団子屋が、大きな声で草団子を勧めてくれるのではないかと、どこかで信じているような気がする。
もちろん、そう私が信じるには理由がある。一つの映画が、26年間にわたって48の作品としてシリーズ化されることは、おそらく世界でもほとんど例のないことだと思う。そして直接的にそれを可能としたのは、監督・山田洋次と俳優・渥美清であり、二人の背中を見つめ続けてきた、そしてその背中を押しつづけてきた私たち日本人ではないかと思うのだ。今は二人の天才の内の一人はいなくなったが、それでもこの二人の天才の仕事は終わることがない。

シリーズの続編はもはや作られることもないが、すでに制作された48の作品はバイブルのように私たちの手元に残され、これからも年に一、二度くらいは「寅さん祭」といった趣向で私たちの前に再び登場するに違いない。


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