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盟神深湯(くがたち)の下鴨神社

「糺(ただす)の森」の神の裁き

京都市の左京区,、つまり京都市の北東に位置する下鴨神社は、正しくは賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。下鴨神社は名前の通り、やはり著名な上賀茂神社の親とされている神社だ。この神社の「糺の森」は、太古の原始林と言われていて、太古に生えていた樹木がそのまま現代に生えている。また境内では縄文時代の遺跡が発掘されている。かつて散歩道として、しばしばこの神社を訪れていた私は、この神社の魅力に強い愛着を感じていた。
まずこの「糺の森」にはほとんど電柱が立っていないので、映画やテレビの時代劇で馬が疾走する場面のかなりの部分がこの「糺の森」での撮影だと言われている。もちろん「糺の森」の中から神社の外のビルや電柱はほとんど見えない。昔はテレビも映画も時代劇の作品が多かったので、「糺の森」での撮影は多く、下鴨神社の土塀近くには時代劇を支えるいわゆる大部屋俳優たちの寮もあった。さて、下鴨神社の森がなぜ「糺の森」と呼ばれているかということだが、古くからの伝承では、この森が「裁きの森」であったことに由来する。

熱湯で火傷をすれば有罪、火傷しなければ無実

ただ裁きの庭といっても、話を聞けばずいぶん乱暴な裁きだった。これは盟神深湯(くがたち)と言われるもので、犯罪の疑いを受けたものは、煮えたぎった熱湯の中に腕を突っ込み、火傷をしたら犯罪を犯した証拠とみなされる。無罪の人は熱湯に手を突っ込んでも火傷をしないということになっており、火傷をしても火傷の軽い人は罪が軽い犯罪者で、大火傷をした人は大罪を犯した証拠とみなされる。神さんが、有罪か無罪かを決めるというのは、きっと昔の人の発想としては自然だったのだと思うが、今から考えるとずいぶん乱暴な裁きだった。
糺の森での盟神深湯は知る人ぞ知るといった程度の伝承だが、それが歴史的な事実であるかどうかはよく分かっていないようだ。ところが、河原町通りをズンズン北に上がると「葵橋」という橋があって、その葵橋を越えたところに家庭裁判所がある。そこは下鴨神社の糺の森に隣接したところで、家庭裁判所とは言え、やはり法務省としては「裁き」にゆかりのある場所に裁判所を設置すべきと思ったのだろうか。

糺(ただ)されない恨みは、「丑の刻参り」で晴らす

「糺の森」が盟神深湯の裁きの森とすると、現在にも伝わっていると聞く「丑の刻参り」との関連も気になる。盟神深湯による裁きで正義が実行されなかったと思った人もいて、その人たちは神頼みを捨てて、自らの手で復讐のために「丑の刻参り」を行ったのだろうか。昔のことになるが、私がよく下鴨神社を散歩していた頃は、近所に住んでいる友人から、まだ「丑の刻参り」が日常的に行われていたという話を聞かされたことがあった。丑の刻、つまり午前2時の前後2時間ごろに白衣で神社のご神木に、憎い相手に見立てた藁人形に鎚で釘を打ち付けるもので、釘を打ち付ける音が深夜の糺の森に響き渡っていたという。

1980年代のことだが、下鴨神社の近くに住むヒッピーだった私の友人が、白衣や鉄輪、鉄輪の足に付けるローソク、鎚、釘、高下駄など「丑の刻参り」セットを作って売っていたが、最初は面白半分でメディアでも取り上げられたと聞くが、結局ほとんど売れずに廃業したようだった。
それから相当に時間が経つので、「丑の刻参り」は廃れたものと考えていたが、最近、やはり下鴨近辺に住む知人から、ごくたまにだが「丑の刻参り」をする人がいるようだと聞かされた。時代が変わっても、恨みを持ち続ける人は絶えることはなく、そういう意味でも人の恨みはかわないことが大切だと思うのだった。








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