(文字起こし)メタバース起業家のルーツは奈良の壮大な田舎です

5月28日
「メタバース起業家のルーツは奈良の壮大な田舎です」
の自動音声認識による文字起こし。

おはようございます!
みんなで作る、みんなのための、METABIRTHザナのファウンダーリオがここ、奈良からお届けするMETABIRTHチャンネルです。
 
というわけで、奈良に帰ってまいりました。いやもう、ここはね本当に素晴らしいところなんですよ。もう実はかなり僕はですね自然に囲まれた環境で育ちましたので、やっぱりねそれが僕を自然好きにさしていて、いろんな国に行ってもですね必ず僕は都心部じゃなくてちょっと離れたところに住まないと気が済まないというようなですねスタイルになっているんですけども。
いやー、これねちょっと今日はそんな僕のバックグラウンドについて話していますとですね。
なんだこれって百人一首あるじゃないですか。百人一首で、えっとね千早風呂っていうところから始まる確か空があるんですよで、その千早風呂の映画ありましたね。そういえばね僕がザナフェスでプレイしたパフュームの僕の大好きな曲でも確かあったと思うんですけども。そう、その千早風呂の百人一首ですね立田川という川があるんですね。これがですね目の前を流れているんですよ、眼下を流れているんですねで、これは何で有名かというとですねもみじで有名だったような気がしますね、あってるかなあってますよね神山を聞かす立田川だったっけなからくれないになんとかかんとかみたいなあるんですよで、それはですね何かと言いますと、えーなんだこれはあまりにもこの紅葉が綺麗すぎてで、この百人一首の意味をちょっと僕は思い出せないんでえーと、なんかねそう、まあとにかく川ともみじがあって美しいみたいな多分そんなざっくりとした意味だと思うんですけども、まあ本当にね素敵なところでで、秋になるとその紅葉がマジで素晴らしくてで、それとこの川の関係歌ってるような感じのえー百人一首のような気がしますね。
 
はい、というわけでですねすごい美しいんですよ。
で、僕は山に住んでいますんで山から見下ろすとその川が流れていてで、僕の本当にね左右は全部山みたいな感じですねで、よくまあこまれっていうくらいですねあの離れたところに住んでいまして、だから学校行くのとかもね片道4キロとかかけて歩いてたんですよ。まあそれでもまあそれでもいかにすごいかっていうのがわかると思うんですけども、4キロですよ、4キロ小学校の時から1日でも欠かさず4キロということで、まあ多分ねこんだけ毎日8.何キロ走っても大丈夫な僕の足はですね、多分その時の経験というかトレーニングから来てるような気がしますね。
結構ね、そういった山なもんなんで面積が豊富に使えるんですよね、だから結構まあ都心とかと当然比べるとみんなこの辺に建っている家っていうのは比較的大きくてで、面積をですねふんだんに使っているんですよで、うちなんか多分この庭がですねパターゴルフができるんじゃないかっていうくらいいやーできてますね、あのパターどころかですねうちの親父はゴルフ好きなんですけども、パターどころかフルスイングしてますね。どこに向かって打つというとですね山なんですよ、目の前がね谷になってて山だからそこに向かって豪快にフルスイングであの球をぶっ飛ばすみたいなことをやってますね。全然パターゴルフみたいなかわいいもんじゃなかったですね、もうフルスイングでしたね。
 
はい、ということができるくらいの広さがあるということなんですよで、そうですね僕はですね幼少の頃じゃないないつだったっけな、小学校の5年生か6年生、小学校3年4年生くらいの時に初めて日本のポップソングみたいな興味を持ったんですねで、5、6年生くらいの時にあのXジャパンですよ、最近ザナジャパンっていうですねあの表記がもうXジャパンに見えて仕方ないっていう人がたくさんいるんですけども、あれをですね見ましてめちゃくちゃ衝撃を受けまして、それで俺も絶対音楽やるんだというところで音楽の道を歩むことを小学校6年生の時に決意したんですね。
 
で、その時が小学校でしょう。中学に行くんですけど、中学はまたさらにね、これ過酷なところにあって。ちなみに、僕の小学校はですね、法隆寺の目と鼻の先にあるんですよ。あの聖徳太子さんの法隆寺ですね。
法隆寺といえば、かなりいろんな謎が含まれていて、あのすごいんですよ。実は、法隆寺、聖徳太子も大概すごいんですけど、法隆寺はかなり謎に満ちてますね。あの、知ってますかね、皆さん。法隆寺から出土されて宝物になっているあの、なんかトカゲ人間みたいな像があって、ほんとにね、すごい。この、なんていうんだ、都市伝説界では超有名なあれで、ほんとに、これどう見ても宇宙人なんですよ。完全に、どう見ても宇宙人で、爬虫類型宇宙人ですね。顔がね、やばくて、しかも、これにそっくりな、爬虫類型宇宙人というか、ハニマじゃないな、なんていうの。これ、銅像みたいな感じなんですけども、それとそっくりなものはね、結構世界中で観測されたりしているわけなんですよ。
そこから、直木マンションみたいになってきましたけど、そんなね、謎に満ちた法隆寺ですよ。これ、確か世界最古の木造建築物だったと思うんですけども、いやーね、そんなものが眠っていたりとか、聖徳太子って本当に実在したのかどうかとか、聖徳太子ですらですね、なんか変な乗り物で富士山まで一瞬で行ったとかね、なんか何人かなんかの声を同時に理解したとか、そういうぶっ飛んだエピソードにつきないんですけども、本当にね、不思議な国なんですよ。実は、不思議な場所なんですよ、この法隆寺というですね。場所は、それにまつわるエピソードはね、本当にミステリアスなんですよ。実はさあ、そして、何の話でしたっけ、中学校の話だそう。
 
小学校はそんな法隆寺の目の前にありまして、で、中学はですね、またこれいびつなところにあるんですよね。これはですね、なんだ山のね、また僕の山があるでしょ。山を降りて、その立田川周辺を歩いて、またね、もう一個山に登るんですよ。正確には、多分僕がいるのと同じ山なんですけども、山山過ぎてですね、直接山から山の中を通って学校に行くわけにはいかないので、当然国道といいますかね、道を通っていくわけなんですよ。ってことは、どういうことかというと、山を一回降りて、また同じ山に登らなきゃいけないっていう謎のね、ムーブがあるんですよ。
その謎ムーブをやって、だからもうひいひいながらね、坂を降りて、そこからまたひいひいながらね、坂を登らないと中学校にたどり着かないっていうね、過酷なんですよ。小学校は4キロだし、えー、中学校はですね、過酷な山を登るっていうことで、どんなね、スタイルなんだよって話なんですけども、とにかく山なんですよ。
 
そもそも、奈良が海がなくて山に囲まれているぼんちらんで、山なのは仕方ないんですけど、まあ立派に囲まれてますね。はい、というのがですね、僕の中学校で、小学校でですね、そういったオッシャオレは音楽やるぜって決意をした梨央少年は、ですね、中学校に行って、そこからなんかね、当時インターネットとかなかったですから、雑誌とか読みながらね、情報収集して、で、どうやったらこれ、こんなロック音楽ができるんだろうって言って、ドラムセットをですね、あのお父様にお願いして、最初はなんかね、なんて言うんだ、あれ、防音ドラムみたいなのがあるんですよ、練習用ドラムかな。今でこそね、今はすごいんですよ、電子ドラムっていうのがあって、音源をね、入れるんですよね、パッドみたいなね、本当にゴムみたいなパチパチ叩くだけで、ヘッドホンしてたら、そこからめちゃめちゃリアルなドラムの音がバリバリ聞こえるっていう話なんですけど、当時ですね、僕がやってる頃には、そんなリアルなものはなかったので、僕は最初、その練習用パッドドラムみたいなやつを買ってもらって、1万円ちょっとぐらいかなで、それをパチパチ叩いてたんですね。
で、それで1年ぐらい練習したときには、もうこれ結構こんだけ頑張ったから、ちょっとリアルなドラムにしてほしいって言って、ドラムセットにしてもらったんですけども。そうそんなことがありまして、で、中学校でバンドを組んで、ですね、歌詞とかなんて、小学校の時だけ書いてたんですよね。
で、中学校に入って、ドラムを僕はやって、同じバンドメンバーの中で、めちゃくちゃ音楽できたやつがいたんですよ。彼は今はね、日本のいろんなミュージカル、東京ランプとか、あとなんだったっけな、鬼滅じゃない、なんか他の有名な結構ミュージカルを、ですね、やってるんですよ。作曲家になったんですけども、その彼はね、僕と違ってもうほんと3歳くらいの時からね、ピアノとかエレクトロンとかもやってて、で、僕と一緒にですね、いろんな音楽に目覚めて、一緒にグループをし始めたんで、まあ彼は優秀だったんですよ。彼に教えてもらいながら、そういうですね、音楽王者、一緒に作ろうかみたいな感じでやり始めたっていうのが、作曲のスタートなんですよね。
 
そういった作曲を同時にしながら、バンドをしながらみたいな感じでもう、この時のね、作曲の経験っていうのが一生忘れないですね。バンドをやるっていうのはすごい楽しいもので、楽しいもんなんですよ。本当に、友達と会えばやつもあって音を一緒に出したら楽しいもんなんですけども、作曲っていうのは一人で、基本的には作ってたんですね。
たまに彼と一緒に作ったんですけども、なんかね、当時のまだPCとかね、PCのデスクトップミュージックっていうのは、そんなになかったんで、あのキーボードがあったんですよ。小室哲哉さんがバリバリ使ってたキーボードがあって、小室哲哉モデルキーボードっていうのがあるんですけど、ここにですね、プログラミングしていくんですよ。あのシンセサイザーに直接プログラミングしていって、当時16だったかな、16トラックかな、使えたんで、そこそこの表現幅のものが使えるし、あとは小室哲哉さんモデルなんで、彼はね、音に関する感性が素晴らしいんです。ごいね、いい音が入ってるんですよね。それを16個くらい組み合わせて曲が作れるというところなんですよ。
 
これをね、やってみてたんですけど、もう本当にこの時の快感もね、一生忘れないっていうくらいなんか、本当に自分の感情というか、表現したい世界みたいなものとかね、そういうムードみたいなものが非常にいや、音楽で表現して、ボタン1個押したら再生されるんだみたいな、そんな感動はね、凄ましかったんですよ。バンドだったらね、みんなで一斉のでガーンって演奏しないとダメだし、あとなんか録音するってなったら、当時ね、デスクトップとか、ミュージックなかったわけですから、まだあんまりだから、そういう専用のね、マシンを買ってきて、そのマシンに録音していくみたいな感じだったんで、まあまあ結構大変なんですよ。
キーボードの場合は、ですね、シンセサイザーの場合は、それがもうカシャカシャ打っていくだけでできたんで、もう本当にゲーム感覚でね、作ってもう、それはね、本当に楽しかったですね。それがもう、僕をですね、作曲家になるんだっていう道に歩ませたっていう感じなんですね。
 
そんなこんな、中学生活を終えて、でいつかのボイシーで話した、えーと、僕の高校ですね、高校生活で行くんですけど、その時はね、全部独学みたいな感じだったんで、まあ本格的に学びたいなと、音楽をと思って、クラシックにやっぱすごい憧れてですね、でクラシックの学べる学校に行こうと思ったんですね。
で、高校、そういったクラシックの学校を受験して、まあ本当に奇跡的に、なんで受かったかわからないっていうくらい、奇跡的に受かったんですけど、なんか、こいつおもろいな、みたいな感じで、たぶん入れてもらったんでしょうね、男いないしみたいな感じで、そうっていうところなんですよ。
で、その時、僕はね、ドラムやってたんで、パーカッションで受験をしたんですね。で、あんまりうまくなかったというか、僕のほかにですね、もう今はもうパーカッションで有名なパーカッショニストやってる、超すごい優秀な二人のパーカッショニストが、これまた男でいたんですよ。動画が見ても、僕はど下手だったんですけど、あのなんか、なんかになんか使えるだろう、みたいな感じで、入れてもらったんですよね。
 
でえーと、ちょうどそれが中学から高校へのエピソードなんですけども、中学から高校へのそれぐらいかな、この時くらいにですね、またもう一つ、僕の結構人生を変えるような巨大な出会いがあるんですよね。これ何かというとですね、エヴァなんですよ。このエヴァはですね、ちょうどそう思い出した、その僕の作曲仲間は、ですね、僕の山を降りて、ちょっと山を登りましたみたいなところにいる。その作曲仲間はですね、彼のお兄ちゃんがいたんですよ。
お兄ちゃんが結構、今でいうとこの多分ね、結構そういったオタクカルチャーとかがすごい好きな人で、彼がですね、とんでもないアニメがあると言って、これぜひ見た方がいいよって言ってで、当時何だっけ、あの当然ラップトップとかないわけですから、データとかコピーできないんですけどで、アマゾンプライムとかないわけですよ。だからビデオです、アナログのビデオをね、あのコピーしてもらってで、それで初めてね、僕エヴァを見たんですよ。
中学校の時にもうマジでハマって、衝撃を受けて、いやー、もう最初はね、結構なめたんですよ。いやいや、アニメっしょ、みたいな感じで、アニメにドハマりすることなんてなかったんです生涯だから、アニメっしょ、みたいな感じだったんですけど、もうマジでね、本当にとてつもなく衝撃を受けたんですよ。で、ドハマりしてでえーっとね、それにすごく影響を受けた時にですね、なぜかエヴァって前もちょっと話したんですけど、クラシック音楽をめちゃくちゃフューチャーしてるんですよ。
で、それをね、すごくやっぱりわー、これすげーなーって思いながら、高校に僕は行くんですけども、で高校に行った時にね、あの最初に専門専攻みたいなやつを決めるんですよ。で、僕はあの打楽器の専攻で受けたんですよ、あの打楽器の専攻で受けたんですけども、作曲したいという風に言ったら、作曲家っていうものはないんだよね、専攻がないから、作曲の先生はいるんであのーサブでね、なんか個人的に教えてもらうことはいいんだけれども、正規の授業として作曲家がないということだったんですね。
 
で、どうしようかってなった時に、えーでもパーカッションは2人もいるし、そもそも僕ドラムだったんですけど、ドラムはないし、クラシックだからっていうところでいい先生がいるんですよ、っていうのを紹介してもらって、何の先生かというと、それがチェロの先生だったんですよ。チェロって皆さん分かりますかね、あのーバイオリンのですね、バイオリンの何倍ぐらい大きいんだろう、あのバイオリンを6倍ぐらい大きくしたような感じの楽器でした。ジャズのベーシストがやってるあれではないですよ。
あれはもう、バイオリンを20倍ぐらい大きくしたようなサイズなんですけど、その中間ぐらいですね、あの原楽師重奏みたいな時に出てくる、あのチェロですね、座って弾くやつです。でもボーンボーンボーンみたいな感じじゃなくて、ちゃんとメロディーが弾けるみたいな楽器で、これをですね、なんと、エヴァの主人公であるイカリシンジ君が弾いてたんですよ。で、それを思い出して、僕はシンジ君が弾いてた楽器じゃん、これと思って、これはもう運命に違いないと思って、僕はですね、全く経験もないのに、チェロ家になりますって言って、チェロをプレイすることになったんですね。
 
でも、そこからも、それにめちゃくちゃハマりましてですね、当然始めたばっかりだから下手くそなんですけども、まあ、とにかくね、エヴァの先例でクラシック音楽大好きになってましたし、そもそも僕音楽始めるきっかけだったXジャパンのですね、ヨシキさんという方がいらっしゃるんですけど、ヨシキさんはね、クラシックをバックグラウンドにして、素晴らしい曲をね、やってたりしてまくっていたので、その2つの理由でですね、僕は結構クラシックにどっぷりハマって、そのきっかけはきっかけだったんですけども、やり始めたらね、まさにクラシック音楽の魅力自体に取り憑かれたようにハマって、もう作曲で使っていた電子音楽とかも、あとロックバンドとかも全部ほっぽり出して、とてつもなくね、シュラのようにですね、クラシック音楽を3年間やるっていう、クラシック音楽しか聞かないっていうね、すごいなんかわけのわからん高校生が登場したんですよね。
 
っていうような感じで、一気にクラシックにのめり込んだっていうところなんですよ。っていうのが、ざっくりとした僕の小学校中学校高校というような、音楽に目覚めてどんどん目覚めていった学校生活みたいな感じでしたね。
だから、なんかほんとに、なんかよくあるような学校生活のなんか、みんなで遊んでバカやってっていう思い出っていうの、っていうのはあんまりなくって、ほぼ音楽の思い出ばかりなんですよ。
小学校はもうとにかくみんなでね、ハマった音楽だっていうのをね、学校でこっそりプレイヤーみたいなの持ってきて、みんなで放課後に聞きまくって、なんか暴れるみたいなことをやってましたし、中学校はね、もうバンド活動だから、学校終わったらすぐにバンドみたいな感じで、みんな当時ね、音楽が山奥だったんで、ある程度音を出せたんで、バンドメンバーがね、みんな集まって、下手くそながらもXのカバーみたいなのしたりとかやってたんですよ。
 
そうそう、それが中学生活で、高校生活は、この前も言ったようにですね、本当に遠いところに、これはもう過酷の遠さのレベルが違うんで、今まで小学校中学校は遠かったんですけども、山を降りて電車に乗って、いや、山に乗って山を降りて、車輪で駅まで行って、電車に乗って、バスに乗って、そこから歩いてみたいな感じの、究極的に恐ろしいぐらい遠かったんですけども、まあとにかくね、遠い、全ては遠いっていうところが、奈良の特徴でもあるんですね。
でもね、それがゆえに、体も強くなったかなっていうのと、あとはもうね、道中通学の時にね、費やす時間がすごいたくさんあるので、そこで音楽を聞いたりとかね、小説を僕は当時すごく好きだったので、小説を読んだりとかしながら時間を過ごしてたんで、まあ、一概に遠さが悪かったかといえば、逆にまあ、それは良い作用を及ぼしているかなとは思いますね。
 
まあ、そんなね、超自然に囲まれた環境で育ったのでございますよ。
そこからですね、高校を卒業したら、一気にね、僕はアメリカに行くことになったんで、アメリカに行くって言っても、最初にLA行ったわけじゃなくて、バージンナイショウ行って、ウルトラ超どいなかに行ったんで、まあ、まだ田舎から田舎へみたいなもんですよ。
響きはね、いきなり奈良からアメリカって言ったら、みんながうわーってすげーイメージを、ニューヨークみたいなイメージを持つんですけど、全然違って、あの山から山へですよ。また、田舎から田舎へみたいな感じで、あの時のね、バージンはすごかったですね。
 
でもやっぱり、田舎の質がやっぱり違って、アメリカやっぱね、やっぱアメリカなんて、オシャレなんですよね。なんか、ただっぴろい、本当に広大なキャンパスがあって、何千人住めるねんっていうキャンパスがあって、大自然に囲まれていて、そっから道ですね、田舎道が広がったりするんですけど、言うても、田舎道と言うても、アメリカなんて、かっこいい、クールなんですよ。家の立ち方もね、やっぱり日本とは違ってクールであの時はね、まあならtooアメリカですけど大きな転機でしたね。
そうそうそうそう、まあ、どう考えてもね、それ考えたらなんだろうな、一時期東京に住んだ時とか、あとは北京とかに住んだ時、あとLAに住んだ時、まあ、そうですね、その辺を都会生活、いや違うな、LAはね、言うてもね、あれ田舎なんですよ、だいぶ田舎なんですよ、実はみんなのイメージのかけ離れていて、ですね。
 
2階建ての家なんて存在しないですからね、ほとんどスーパーリッチな豪邸しか、2階建てじゃなくて、あとは全部平屋ですよ、平屋、アメリカは基本平屋ですからね、そうていうくらい面積が横に横に広いんで、あのみんなイメージするのは縦にね、ニョキニョキとビルに囲まれてみたいなって、東京みたいなやつってね、本当にないんですよ、本当にニューヨークとか、まあ、そういう超都市ですよね、ああいうところに住んでる人しか経験しない、ライフスタイルであとはひたすら横絵横絵なんで、なんでそうなんで2階建て作んないんだろうって、これ不思議なんですよね、なんか日本はどんだけ田舎だろうが2階建ての家って普通じゃないですか、アメリカはなんか2階建てしないんですよ、もう全部平べったーいんですよ、不思議ですね、これなんで2階建て作んないんだろうね。
 
そうそんな感じですよ、まあ、というわけでね、本当に田舎ライフなんですけども、最近はこの前もちょうどそうしてタイに行く前に、この奈良に立ち寄ってという感じで、今今回も3日間だけですけど、あの今回のザナフェスのリハーサルも兼ねて、静かに練習に集中できたり、仕事に集中できたりする素晴らしい環境なんで、今回ね、わずか3日ですけど帰ってきたんですけど、やっぱりね、東京のホテルとかあのところよりはすごくインスピレーションに満ちたというか、素晴らしい環境なんで、やっぱり集中しやすいですね、この自然を見ながら音楽であったりとか、仕事であったりとかっていうのはできるっていうね、こういった収録もそうですけど、この素晴らしい山を見ながらするボイス収録っていうのは、本当に素晴らしいオツなものですね。
 
というわけで、今日はまさにチル会といいますか、とてもリラックス会になったんですけども、もう残すところね、今日日曜でしょ?明日明後日ですよ、やべえプレッシャーきたなんですけども、もう結構いい感じに準備を整ってきたので、あとはどれくらい集中してこの2日間最後の締めをやり遂げて、本番を迎えることができるかと、そしてその本番でいかにリラックスしながら素晴らしい集中力を発揮できるかというところにかかっておりますですね。
なんでね、皆さんぜひ楽しみにしておいてください、VIPもたくさん来る、しかり本番のスタイルというか、そのなんていうんですかね、内装といいますか、機材セットといいますか、まあね、すごいですよ、今回もいろんな素晴らしい人たちのね、センスと感性が詰め込まれたステージにあると思いますので、いやーまじで楽しみですね、完全にこれはもう日本におけるメタバースト音楽イベントのリアルイベントの歴史の新たな1ページを作り出すということに全く疑いはないですね。
 
これくらいかなりイケてるイベントにあると思いますので、ぜひ楽しみにしておいてください。そして、それが終わったらね、またフルパワーでZANAの周りのマーケティングが本格的にZANA JAPANスタートしますのと、あとですね、今日もミーティングやりますけども、DAOミートアップですね、ありますよ。ようやくいろんな形をですね整いき始めて、変革の時を迎えているZANA DAOですけども、その変革もですね、今後も進めていければいいなと思っております。とにかくね、あと2日48時間をZANA FESにウルトラ集中するといったような感じでやっていきますので、よろしくお願いいたします。
それでは、本日ですね、21時からZANA DAOミートアップがありますので、ぜひご参加ください。今日はちょっとこんな自然にあふれる会となりましたけれども、またね、夜やっていきましょう。それではまた夜にお会いいたしましょう。ありがとうございました。

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