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ushio

3日かけて作った曲をボツにして、また3日かけて曲を作って、それからボツにした。そういう時期もあるよね、と考える。もう時間がない、明日には終わってしまうかも、という焦りはあるのだけれど、同時に17℃を出したことで、わりあい納得した気持ちで終われるな、とも思う これがもしかしたら最後のリリースなのかもしれないけれど、それに充分足りうるEPを出せたと思う。

次のリリース、また同じ気持ちになれるリリースにしたい。vqやmareno!を聴いているとまだ全然彼らに追いつけてない、と思う。それは技量やアーティストとして、でなく単純に曲の良さが彼らに届いていない。フィルターを通さずに湧き出てきたものをまだ形にし切れてない、とも思う。彼らはスタイルを教えてくれる。おれの曲はまだ小綺麗すぎる。不意に彼らを聴いていたらアルバムが作りたくなってきた。アルバムを作っている最中にすべてが終わってしまうかもしれないけど、適宜サウンドクラウドにはドロップしていくし、志半ばで中断されたアルバムというのも、それはまたそれでいい。すぐできるかもしれないし、何年もかかるかもしれないし、そもそも完成しないかもしれないけれど、いまは青狗のようにギュッと濃縮したアルバムを作りたい。そしてそれが完成したときにライブも再開したい。それこそXamdを始めたときはライブをしていて、とにかくすべての音に身体性を付与したい欲求で、かなりフィジカルなライブをしていたのだけれど、いまは身体性を以前のように押し出すのか、それとも限りなく希薄なものにするのか、迷っている。どちらもやりたい上に、どちらも実現するのが難しい。アルバムが完成するまでに考えをまとめたいが、古来延々と議論されてきた身体の問題に立ち向かえるのか、という不安がある。けれど、なんとなくはライブしたくないし、可能な限りライブもひとつの作品としてやりたい。おれだけの固有の身体を打ち出すのか、おれそのものが希釈され身体を消してゆくのか、まだ決められない。

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