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自分の感覚を信頼するということについて・自分軸で生きるということ

今日は「自分の感覚を信頼すること」について書いてみたいと思います。

私は子どものときからずっと、自分はダメな人間で何をしてもうまくできない中途半端な人間だと思っていました。なので自分のことが大嫌いでした。

自分のことが大嫌いで仕方がなかったので、結局、自分で自分を虐めるような、自分を大切にしない生き方をずっとしてきました。

もちろん、自信などありませんでした。

でも、働いている時に無理をしすぎて、体調を崩したことがきっかけで、ホメオパシーというものに出会い、その流れでスピリチュアルの世界に導かれていきました。


ちょっと変わったヒーリングの先生

ある時に知人から、「すごいヒーラーさんがいるから会いに行こう」と誘われて、東京都内のとあるヒーリングスクールに行きました。

私は長らく宗教の世界にいて、カルトとかマインドコントロールとか、そういう世界を学んだりしてきていたので、そのヒーリングスクールの主催者がカルトの教祖のように見え、なんだか胡散臭いな〜と思ったいましたし、話を聞きに来ている方々の多くが(私を誘ってくれた知人も含めて)、その主催者の人に心酔しているようで、○○先生はすごいんだという話を聞く度に「う〜ん」と思っていたのですが、その時の私は、自分に全く自信がなかったのもあり、とにかく「今までとは違う自分になりたい」と思っていたので、何度かリーディングやヒーリングを体験した後、そのスクールに通うことにしたのです。

スクールを指導していたのは、その主催者の方ではなく、一番弟子のような方でした。主催者の方は直接セッションしてもらうような機会がなく、どんな人なのかはよくはわかりませんでしたけれど、その講師の方は、本物だと思わせるだけのものを持っていました。実際にその方のヒーリングを受けると体感がありましたし、リーディングにおいても自分しか知らないことを、見られて伝えられたりと、確かにすごいと思わせるものがありました。

そういうわけで、私は大きな期待をもって通いはじめたわけです。
ところがスクールが始まってみると、大変驚きました。
講師の方が、最初の基本的なエネルギーの感じ方のお話をしたあと、「はい、あとは自分で考えてください」と言ったのです。

私は「え? オーラのリーディングの仕方とか、エナジーヒーリングのやり方とか、もっと詳しく教えてくれないのですか?」と思っていると、その方は、

「私が教えたら、それは私のやり方になってしまいます。それはただの真似事です。人はみな一人ひとり感じ方が違うし、オーラやチャクラの見え方も違います。私がチャクラの色は赤だと言ったら、たとえそう見えていなかったとしても、きっとそうだと思いこんでしまい、それぞれにとっての感覚を否定することになってしまいます。大事なことは、自分の感覚を100%信頼することです。自分がどう感じるのか、どう見えるのかが一番大事なのです。だから私は細かいことは教えません。自分で見たもの、感じたものを信頼するようにしてください。」

と言ったのです。
(※注:という内容の話をされたのを私がまとめています)


こうして、そのスクールでは、とにかく自分の見えたものを信頼し、それを表現するという訓練をしていきました。その過程で私は、「自分の感覚を100%信頼する」ということを叩き込まれました。それは言い換えれば、自分を100%信頼するということです。

おかげで私は、徐々にではありますが、自分に対する信頼を取り戻していくことができるようになっていきました。

ところがです。そのスクールに通い始めてまもなく卒業というときになって、そのスクール内で大きなトラブルが発生し、そのスクールで働いたり、専属のヒーラーになったりするための上級者コースに進む機会が与えられませんでした。

あとは自分でやりなー的な感じで終わってしまったのです。

もちろんヒーラーになる自信がありませんでしたから、せっかくそこで習ったものも使わずじまいになってしまいました。


ことごとく依存を中断される体験

でもそれまでずっと自信のない生き方をしてきた私です。

このまま進んでよいか自信がなかったので、ある時、またまた知人に誘われて、今度は1回のセッションが ン万円もするような、某チャネラーさんのセッションを受けに行きました。

するとなんと言われたでしょう。高次元の存在が降りてきて私の質問にいろいろ答えてくれるのですが、そこでも「あなたには全部備わっている。あなたに師は必要ない。自分を信頼し、自分でやりなさい」と言われてしまいました。私は自分は道に迷っていると思っていましたから、自分を導いてくれる師(メンター)が欲しくて仕方がなかったのですが、そこでも、そんなものは必要ないと言われてしまいました。

それからしばらくして、今度は「自分の中にある感情に気付いて、それを感じきる」ことを教えているセミナーに通うようになりました。それはとてもおもしろかったので、数年間通い続けていました。でもやっぱり自信のなかった私は、どこかそのセミナーに依存していたのでしょう。

ある程度通い続けていたので、ついに主催者の目に停まって、インストラクターの方にならないかという声がかかりました。もしそのまま続いていたら、私はそのセミナーのインストラクターになっていたかもしれません。

ところが、そこでも、その話があった直後に、大きなトラブルが発生し、セミナーを主催していた会社そのものが無くなってしまい、信頼していたインストラクターさんたちも辞めてしまい、結局そうした話は消えてしまいました...。

どこかの組織に所属して、そこが発行するライセンスで仕事をする...という私の目論見は、ことごとく中断されてしまったのです。


自分の中にあるもので生かされる

それからおよそ10年近く。

私はスピリチュアルの世界からは少し距離をおいて生きていました。

相変わらず自信はないまま。

自分を信じられないですから、とにかく普通の会社に就職したりして、仕事をしようとしてみるものの、うまくいかずに辞めてしまうなんてことを繰り返していました。


でも、ある時ついに、もう自分の中にあるもので生きるしかないという、強制執行とも言える状況がやってきました。それはまさに無一文みたいな状態で放り出された感じでした。

「自分の中にあるもので生きろってどうするのさ!?」

と思ってみたものの、あるのは上記のような体験と知識です。
それを使うしかないわけです。

「自分の感覚を100%信頼しなさい、自分を100%信頼しなさい」
「あなたの中には全部ある、自分の力でやりなさい」

という言葉が思い出されました。
もう、それを信じて進むしかありません。

そうして現在の私がいます。

いまの私があるのは、皆さんのおかげだと思っています。

私のしていることは、ある意味で「神事(かみごと)」です。

“神様” が導いてきてくれなければ、私のようなところにお客が来るはずもなく、生きていくことすらできません。

私の頭の中にあるのはいつでも「自分の感覚を100%信頼しなさい」という声です。

私はやっぱり自信のない人間ですから、自分のリーディング結果にも自信があまりありません。でも、思い浮かんだものは全部伝えるようにしています。それが合っているか、間違っているのかは私にはわかりませんし、判断もできません。

ただ、できてきたものをお伝えするだけです。


このような、体験を通して学んだ一番大きなことと言えば、なんども繰り返しますが、

「自分の感覚を100%信頼する」

ということです。


見えない世界を扱う上でのトラブル

私は、自分が通っていたり参加していたスピリチュアルなスクールや会社が、トラブルに見舞われるのを見てきました。それは宗教にいた時も同じです。

目に見えるものに頼って生きている世界の中で、見えない世界を扱うということは、とても大変なことだと思います。

例えば、高いお金を出して、ヒーリングのやり方を学んだのに、全く効果がないといって、主催者を訴えている人を時々みかけます。

それはそれでそういうレッスンなのだろうと思うので、それ自体は良くも悪くもないのだと思います。

ただ、惜しむらくは、もし、そのスクールに通っている方々全員が、「自分の感覚を100%信頼する」ということを実践していたとしたら、結果はもっと違ったものになっていたのではないかと思うことです。

他人軸で生きている人は、自分が遭遇するトラブルの原因を、自分の外側に求めてしまいます。自分にそれを教えた人が悪いとか、習ったやり方に問題があるとか、それに関連して、どんなにお金をつぎ込んで、それで損害を受けたとか...、言い始めたらきりがないと思います。

私たちはよく、結果に期待してしまいます。

これを身につけたら、こうなるんじゃないか、
これを手に入れたら、こんなことができるようになるんじゃないか、
そして、今とは違う別の人間になれるんじゃないか...

しかし「期待」というのは、現実が自分の思い通りになるように世界をコントロールしようとする試みの一種です。一人の人をコントロールするのはできるかもしれませんが、世界をコントロールすることは不可能に近いことです。ゆえに「期待は裏切られる」のです。

期待が裏切られたということは、つまりコントロールに失敗したということなのです。

しかし、自分で世界をコントロールすることに失敗しているにもかかわらず、それを認められないので、他人のせいにしているというわけなのです。


人は自分以外のものになることはできない

私もつい最近まではそんな生き方をしていました。だからそう言って他者を責めている人のことを責める気はありません。自分も通ってきたなと思います。

結局は、人は自分以外のものになることはできません。

自信のなかった私は、世の中にいる「すごい人」にあこがれて、その人になりたいと思っていました。

でも自分は自分であり、その人になることはできません。

ならなければならなかったのは、「自信のある自分」です。

つまり、今の、ありのままの自分をみて、それを100%信頼できる自分になるということです。

あくまでも、自分は自分なのです。


自信のない自分を通り越して、自分軸で生きることができるようになったのは、最初のヒーリングスクールで「自分の感覚を100%信頼しなさい」と言って、何も教えてくれず、自分で考えるように指導してくれた講師のおかげだと思っています。

だから、今でも新しいツールを学んでも、私は自分の感じるままに、それを自分に合った形にアレンジすることもしばしばあります。だから変なツールを掴まされたと思うこともないし、それを使って問題を感じたこともありません。
(逆に、このツールはこう使わなければならないという講師の制約が入るようなツールは使わないようにしています。ただしそのルールが理にかなっている場合は別ですが、その判断も自分ですることにしています。


Consciousness(コンシャスネス)で生きる

なんでもそうですが、自分の体に入れるものには、自分で責任を持つ必要があると思うのです。それは食べ物も、飲み物も、知識も、技術も、情報も自分のうちに入れるものならなんでもそうです。

誰かに良いと言われたから、「はいそうですか」と言ってそのまま飲み込んでしまうのもどうかとも思うのです。それは自分で責任を負わない生き方であり、他人任せにしたままですね。


目覚めている、覚醒している、という言葉を英語では、consciousness(コンシャスネス)と表現することもあります。これは「意識」があり、「気づき」がある状態を意味します。

私たちは、自分のうちに入れるものに対して、常にコンシャスネスの状態でいることが大事なのだと思います。コンシャスネスでいることができれば、やってきたものをしっかりと感じることができるからです。そこに違和感があれば、入れるのをやめればよいし、安全だと感じれば、入れればよいと思います。それは自分の感覚に責任を持つことであり、自分を信頼することでもあります。

キリストは、人々に「いつでも目覚めていなさい」と教えていましたが、それはコンシャスネスでいなさいという意味です。自分の見るもの、聞くもの、感じるものに対して、常に「意識」し、「気づき」のある状態でいることが大切なんだということを教えたのです。

さて、みなさんは、自分の人生に対して、コンシャスネスでいますでしょうか?

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