海辺を歩く男女

性とは何か

性とは何か

そもそも宇宙の創造は、なぜ性を生じさせたのでしょうか? 性とはそもそも何なのでしょうか?

日本語の「セイ」に当てはめられている漢字はたくさんあります。性、生、聖、正、制、製、精、星、世…
一つずつ見ていくと、生きることや、作ることに関係した漢字も多く含まれていますし、世界や宇宙を表す漢字も含まれています。
漢字としてみれば、多くの意味がありますが、日本語においては「セイ」は「セイ」であり、同じ意味を表します。

太古の人々は「性」の中に宇宙の神秘、聖なるもの、神を見出していました。
宗教と呼ばれるものが誕生する以前、人々は「性」を通して神との交流をしていました。古い遺跡や神社やお寺などに、性器を模した御神体が残っているのは、単に安産を祈願するため為ではなく、本来は非常に神聖な目的のためでした。
そもそもそれは、人と神、大自然、宇宙との合一をもたらす神事を意味していたのです。

このことは「性」がワンネス(Oneness)のことを言っていることを示しています。
神が絶対唯一であり、「無」であったことは、完全なるワンネスの状態を意味します。
このことより、「性」は世界が創造される以前からあったということができるのですし、それこそが「私たちは一つ」であると言われることの意味でもあるのです。

神がツインソウルとして顕現したとき、男性性と女性性に分かれたのは、合一(ワンネス)を体現し、体験するためであるということができます。

この世界をみれば、すべてのものが男性性と女性性からできていることがわかります。
物質を構成する陽子と電子の関係から、太陽と惑星の関係に至るまで、すべては「性」=「ワンネス」という繋がり(関係性)の中で存在しているのです。
そして、この「性」を理解することが「ワンネス」を理解することにつながるのは言うまでもありません。


与えあう関係性

性の関係を見ると、それが与えあう関係だというのがわかります。
そもそも肉体における性器というものは、片方だけでは役割を果たすことができないようになっているのです。ある意味で、これはとても不思議なことです。
生物の進化ということを考えたとき、ここにはっきりとした目的がなければこのような構造にはなり得ません。
男性性と女性性の出現において、はっきりとした意思がなければ、このようなことはあり得ないと言っても過言ではないと思います。

古代社会において性が聖なるものとして扱われたのはこのためだということは前述しました。

現代社会において、特に文明圏と言われる地域において、性は「忌むべきもの」「卑下するもの」という意識が一般的な風潮となっていることは悲しいことです。
そのために性は喜ばしいものではなく、汚らわしいものとして扱われ、あまり大切にされることがありません。それゆえ、性は与えあう関係から、奪い合う関係へと変化してしまいました。

実のところ、これは経済の発展と深い関係があると考えられています。
これについてはまた別の機会に述べたいと思います。

経済の発展は貧富を生み出し、奪い合う関係を生み出しました。
それと連動するように、男女の関係も闘ったり、奪い合ったりするものへと変化してしまったのです。

しかし、それは果たして本当の人間関係の在り方なのでしょうか?
自らの権利を主張し合い対立することが、男と女、また対人関係の健全な姿なのでしょうか?

どうしてこんなにストレスがあるのでしょうか?
どうしてこんなに誤解が生じているのでしょうか?

愛はいったいどこへ消えてしまったのでしょうか?

あまりに当たり前になってしまっているこの社会に、疑問を感じずにいられないのは決して私だけではないはずです。
いや、すべての人が、どこかで感じているはずです。

はっきりと疑問に思うこと。

これがまず一番に大切なことです。

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