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Episode 44: Map of the Soul – Persona (pt.4)

Laura: では6曲目に移りましょう。

Dr. Stein: Jamais Vu

Laura: 聞いたことのない言葉でした。フランス語ですよね?

Dr. Stein: 私も知らない言葉だったので調べてみました。フランス語が分かる友人にも聞きてみました。Jamais Vuは精神医学の言葉で、Deja Vuと関連します。Deja Vuは、経験したことがないことをすでに経験したことがあるように感じる現象ですが、Jamais Vuはその反対で、すでに経験していることを初めての経験と感じることです。家に帰っても初めて来た場所のように感じるので、その家のことを一から学ばなければいけません。繰り返し同じことを学ぶ必要も出てきますね。

この歌は、経験から学ばずに、問題があるたびに何度も同じ間違いを犯してしまうことや、やっとここまで来た自分の中のcomplex (コンプレックス) を見たときの苦しみを綴った歌ですね。同じ状況で常に同じ反応をしてしまい、過去の経験からは何も学んでいないんだというcomplex (コンプレックス) があり、そのたびに誰かを傷つけてしまったり、嫌気がさしてしまう自分の言動を後悔しているようですね。頭の中では展開が分かっていても、それがまるで初めてだったかのように同じ行動を繰り返してしまっています。その繰り返しに気づき、流れを変えて抜け出そうとしない限り、ずっと同じことです。

そして「初めてのときのように心が苦しいんだ」と歌っていますね。この気持ちがcomplex (コンプレックス) です。このフレーズは素晴らしい表現ですし、この詩を書いた人はこの気持ちをよく理解していると思います。「また走って、また転んで」という歌詞が出てきますが、同じことを繰り返しているけれど、そこに気が付いていることに希望を感じました。最後に「あきらめないぞ」という言葉で締めくくっていることで、何度も同じ間違いや行動を起こしてしまっても自分の個性を貫くんだという意思を見せていますが、気づくということが大事ですよね。セラピーを受けるときも反復して気づくことによって、苦しさの軽減や早期回復へとつながる場合があります。自分のコンプレックスと戦っていくというのは、なかなか難しいことですよね。心理学というのはゴールがなく、もがき続けながら何かに気づいていくのです。そういった意味でも、この歌はあるがままを表現している歌だと思います。

Laura: とても大事なポイントですよね。歌の中でも「完璧じゃない自分を責めてしまう」という歌詞もありますが、私達は完璧にはなり得ないということですよね。

Dr. Stein: その通りです。

Laura: では7曲目に入りましょうか。Dionysusですが。

Dr. Stein: イエス!笑 

Laura: 酔っ払いとアートですが。笑

Dr. Stein: この歌はpersonaを打ち破ったことを祝福する歌ですね。この歌を書いた人はギリシャ神話やギリシャ哲学に造詣が深いようです。ディオニュソスは破壊神であり、古い価値観を変え、誰も彼には抵抗できません。歌の中ではディオニュソスになったことを祝福していますね。その状態を恐れず、受け入れ、酩酊状態を楽しんでいます。ここで彼らは古くからの習慣の障壁を破ろうとしているのです。

ディオニュソスはLoosener (破壊神) と呼ばれていました。Loosenerは古い構造、厳格な規律を破り、personaを破壊するものです。つまり、少なくとも一時的にディオニュソスはpersonaを解き放っているのです。翌朝起きて、後悔することもありますけどね。笑  ギリシャ神話では、最終的にはディオニュソスは受け入れられました。彼は美と秩序と制御の神である太陽神アポロが住むデルフォイに神殿を与えられ、アポロが不在のときにディオニュソスはそこに住んでいました。そういった待遇を与えられたのは、成長する意思を持ち続けるディオニュソスの生命力に抗えないと気づいたからです。

歌の中でのお祝いモードからすると、彼らはpersonaを手放す準備が出来ているのではないでしょうか?personaにとらわれているものを打ち破り、解放できる場所にたどり着いたように思います。

Laura:  ディオニュソスがアポロと神殿を共有したということ、これを認めるということですよね。私達はアポロだけになることはできないので、アポロしかいないんだ、というのは偏った考えだと思います。もう一方を見ていないという事は危険なことなのではないでしょうか?

Dr. Stein: 大変危険ですね。ユングが常に説明していたのはそのことに関してです。意識とその力を抑圧することはできないので、ディオニュソスと寄り添っていくことが必要になります。抑制しようとしても自分に強く跳ね返ってきますよ。時には酔っ払い、時には自分を見失うかもしれないですが、もっと想像豊かな人間になり、personaの抑制から自由になるでしょう。スイスにはFasnachtというカーニバルがあります。夜になるとマスクを着けて出かけ、パーティーをして酔っぱらうなど、クレイジーなことが繰り広げられます。ただ、そこには次の日にそのことについては話してはいけないというルールがあり、「昨日見かけたよ」などと言うのはタブーとされます。これについてはユングも「お堅いスイス人にとってストレス発散をするこういう行事は必要だ」と書いています。ディオニュソスは生命力にも溢れていて、繁栄という意味合いもあるので、新たな命、再生、を連想させる春にディオニュソスで幕を閉じるアルバムがリリースされたということも重要なポイントですね。Carl Orffという20世紀のドイツの作曲家がいて、Carmina Buranaという曲の中で修道士が酔っぱらう歌があるのですが、Dionysusを聴いてこの歌のことを思い出しました。エネルギーや生命力に溢れた歌ですよね。翌日に二日酔いがあるかもしれないですが、打ち勝っていくことが大事だと思います。

今後のアルバムも楽しみですね。このアルバムは今後の展開へと結びついていく基礎だと思いますし、personaを超えて次に彼らが何を持ってくるのか期待しています。

Laura: ありがとうございました。

Dr. Stein: こちらこそ。ありがとうございました。

<おわり>


*出典元:Speaking of Jung Interviews with Jungian Analysts Episode 44: Murray Stein, Ph.D. ~ Apr. 14, 2019 ~ A Jungian interpretation of BTS’s Map of the Soul: Persona (https://speakingofjung.com/podcast/2019/4/14/episode-44-map-of-the-soul-persona) by LAURA LONDON

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