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Speaking of Jung - Episode 54: The Ego (Part I)

Laura: 今回のエピソードではユングのegoについて話していただけますか?shadowやpersonaとの違いだけではなく、普通に使われているegoとどう違うかもお話しいただけますか?

Dr. Stein: 普通に使われてるegoとは全然違うんですよね。まずはそこから始めましょうか。誰かのegoについて話すとき、わがままな人だとか、狭い物の見方だとか、ナルシストだ、など批判的に使いますが、ユングにとってegoは中立的な言葉です。Egoはラテン語でもともと「I (わたし)」という意味を持ち、精神分析の分野では「自我」という意味で使われるようになりました。それをユングは意識の中心だと定義しました。暗い森の中を夜歩くと何も見えないですが、マッチを使ってキャンドルに火をつけると少しだけ周りが見えますよね。暗闇の中にある光の状態のことをegoであるとユングは例えました。Egoがなければ暗闇の中にある無意識は何も見えない。つまりegoが光ることによってもっとよく見えるようになります。より強い懐中電灯を持てば遠くまで見えますよね。

Egoはその人が持っている知識と関わり、体とも密な関係があります。病気になるとegoも弱まり、考えることができなかったり困惑したりするなど機能が低下することもありますが、普通は体とegoを切り離すこともできます。いわゆる意識が外にある状態ですね。Egoの状態はいろいろな要素で変わりますが、何をしたいか、何を食べたいか、何を着たいのか、と自由に決める意志を持っています。よって一般的に持たれているような否定的な意味合いは持ちません。誰にでもegoがあるということです。 

Laura: エゴイズム、エゴイスティックなどはユングのコンセプトではないわけですね?

Dr. Stein: はいそうです。ちょっと違いますね。

Laura: ではユングのegoはpersonaとどう違うのでしょうか?

Dr. Stein: Egoがpersonaを使っていると言ってもよいのではないでしょうか。先日50代のある方と話をしました。彼はいろいろな面で成功を収めていますが、息子さんと話すときは何を話してよいか分からなくなると話していました。この場合彼は自身のegoとpersonaの間にギャップがあると気づいています。一方でegoとpersonaを切り離して考えることが難しい場合もあります。J-Hopeの歌の中でも見られますが、egoとpersonaの間に一定の距離を持つと言う事は心理学的な成長としてとても大事なことです。Personaは私たちが社会に適応するマスクであり、egoはそのマスクの後ろで話しているもの、マスクの後ろにいる人ということになります。

Laura: Egoはユングのコンセプトのselfとはどう違うのでしょうか?

Dr. Stein: ユング心理学ではselfは全てを包括するというコンセプトです。ユングがselfという言葉を使うとき、egoのことを言っているのではありません。彼自身、私自身、あなた自身という言葉を普通に使うときの「自身」というのはegoになりますが、ユングがselfという言葉を使うときはもっと大きな意味合いを持ちます。意識と無意識を含めた個性すべてを指し、深い無意識の領域も含まれます。その表面にegoがあるのです。Selfとegoには両方とも内に向かっていくという似たような要素もあります。egoは意識を集中させるもので、意識の中心になるものです。Selfは精神全体のバランスを取り意識と無意識の間のコントロールをします。つまりegoは意識の中にあり、selfは精神全体を包括します。

Laura: 無意識についてですが、shadowはこれらの中のどこに入ってくるのでしょう?

Dr. Stein: Shadowは最初の層ですね。基本になるベースがあり、そこから深いレベルに行くと無意識に到達します。Egoはそこに何かが隠れていることに気づいていますが、それがトラウマなどの抑圧されたものである場合は気づいていない場合もあります。例えばSugaのInterlude Shadowではロックスターになりたいとか頂上に上りつめたいなどの野心を歌っていますがpersonaはそれに気づいていません。一方でegoは多少気づいています。深いところに働きかけることにより、shadowが意識として外に出てきますが、普通そういった面に気付いてしまったときはかなりきついと感じるはずです。

Laura: Outro Egoについて話したいと思いますが、なぜegoがoutroに選ばれたと思いますか?

Dr. Stein: Outroの意味がまずよく分からないですよね。これはシリーズの最後ということなのか、アルバムの最後の曲という事なのか。MOTSはこれで終わりではなく、まだ他の章もあるので今後も続いて欲しいとは思いますが、これがひとつの結論だと言えるかもしれません。この歌がBTSにとってどういう意味なのか、彼らが何を言いたいのかを考えてみました。彼らは7人いますがグループとしての1つの個性だとみてみると、彼らも年を取っていて少年ではなくなっていますよね。20代中盤に差し掛かり、人生で次のステージに向かおうとしています。最初の人生の過程としてのegoに気付き、自分は自分なんだと気づいたことへのお祝いの歌だと受け取れます。1つの区切りをつけ次のチャプターへと進むための歌のような気がします。

Laura: 歌の中の「時間が流れていく」という歌詞、子供のころの思い出や運命についての歌詞、「悪魔の助けと運命の記憶」という歌詞などについて何かコメントはありますか?

Dr. Stein: 人生でにおいての大事な何かを決めるとき、その決断がその後の流れも決定してしまう、と気づいたことと関係するのでしょうね。若い時は多様な道があって多様な選択できます。でも芸能人になるとそういった道は若い時から閉ざされてしまい、その道を選んだことが彼らの運命であり人生になってしまいます。赤ちゃんにegoがないように、発達していないegoには時間の感覚というものがありません。年とともに時間の流れに気付いていくので、何かを決めるときにその先のことも考慮に入れるようになります。

過去を思い出して懐かしんでいますが、そこに戻れないと気づいていることがここでは重要です。「Look Homeward, Angel (トーマス・ウルフ著)」の本に出てくるように子供の頃には戻れず、戻ろうという考えも封印してしまいます。人生に後戻りはできないんだと気づき、現在と過去に向き合うのはとても大事なことで、それがターニングポイントとなります。決断することで払う犠牲や結果は今だけじゃなく将来にも影響を及ぼすものだと気づいたのでしょう。

悪魔について話している部分はよく分かりませんが、悪魔がshadowでBTSに入るという決断と悪魔が関係しているのかもしれないですね。Sugaがshadowの中でロックスターになりたい、金持ちになりたい、有名になりたいと歌っているのは悪魔が野望を見せているのかもしれません。何か決断をするときに悪魔がささやき、そこでshadowがある一定の道へと進めてしまって引き返せれなくなることがあります。そのときにああすればよかったと思ってももう変えれませんよね。過去を悲しんだり、心を痛めながらも前に進んでいくことになります。

Laura: 人生のいろいろな面を知るためには悪魔のささやきも必要ですよね。

Dr.Stein: 聖人君子を目指してなければ、、はい。

Laura: 聖人君子になるってすごく危険なことではないでしょうか。

Dr. Stein: はいそうですね。ユングは出来すぎた人間というのは、shadowを除外してしまうことになるのであまり良いことではないと言っていました。Shadowがあるというのは必ずしも悪いことではありません。悪事を働いて牢屋に行って後悔するという場合は最悪ですが、shadowの存在を知っておくことで何かを学べるでしょう。誰でも間違いを犯し、後悔することがありますが、そこから今まで知らなかったことへの気づきがあります。ホビは悪魔のささやきがなければBTSのメンバーとして有名になり頂点に達さなかったと学んだのでしょう。

Laura: 苦悩についても語っています。「自分がよく分かるようになった」と言っていますが、自分を知るというのは大事なことですよね。

Dr. Stein: そうです、簡単な事ではないです。人生で何かを考える時は考えに苦しんでいるときですよね。物事がうまく行っているときにはあまり考えないですが、もがいて深く考えるときは学ぶことがたくさんあります。結婚、離婚、子供を持ったり、キャリアの選択に迫られた時などですね。

Laura: すべての側面からいろいろ考えている時ですよね。

Dr. Stein: その通りです。

Laura: 曲の最後で 'map of the soul, map of the all, that's my ego' と歌います。ここの部分に関してはどう思われますか?

Dr. Stein: この部分は私も考えました。Egoがすべてだと思ってしまうのは心理的な誤算ですね。それはselfとegoだと誤解していることになります。ただegoが浮足立つこともあります。これはegoへの賛歌で、egoの中での自我に気付いたことを喜んでいます。すなわち「僕は僕」になったということです。意識の中心が自分だと思うこと、これは心理学的には幻想だとされ、その後考えが拡張され、のちに外の世界にも内の世界にも限界があることを知り、「自分=全て」ではないと気付きます。Egoが拡張され自分が地図のすべてで、何もかも理解できたという気付くことは危険も含んでいます。


*出典元:https://speakingofjung.com/podcast/2020/2/7/episode-54-ego by Laura London

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