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ファイナルグライド#2

雑感:この回は、プロローグが終わり、いよいよ物語が始まる大事なパート。読者を飽きさせる事無く、それでいて登場人物達の性格を描き、かつ、その姿が読者の目に浮かぶよう、情景を丁寧に書き込むよう気を遣いました。どうでしょう? 今回登場する3人の姿、目に浮かびますか? この回で割と存在感を示す宏子ですが、実は本筋にあまり関係無く、この後、ほとんど顔を出す事はありません。モデルにした実在の女性は、今、僕の妻をやっています。

狐仏山の朝
 狐仏山のランディングは内藤の暮らしている部屋から歩いて10分程の所にあって、田んぼの畔道を抜ける近道を行くと2分程短縮できる。内藤はこの畔道を歩いてランディングへ向かうのを日課としていた。時間が惜しくてそうしていた訳ではない。車の交通を気にする事なくのんびりとこの畔道を空を眺めながら歩くのが気に入っているにすぎないのだ。内藤はこの時間を利用してその日一日の気象の変化や風の様子について考えをまとめる。いつも当たるとは限らないが大きく外す事もあまりない。ここの所は三日続けて予想がぴったりと当たっていたので内藤はいくらか気をよくしていた。しかし、今日の内藤は空を振りあおいで歩くという気分ではなかった。自分の足元に目を落としながら、今朝がたの不快な夢の事が頭のなかを堂々巡りしていた。なぜ今ごろあんな夢を見たのだろう。あんな夢を見ることはかれこれ4年ぶりの事だ。実は内藤にもその理由は解っていた。昨晩遅くにかかってきたあの電話のせいだった。受話器をとった内藤に語尾をはっきりと発音するその声はこう語りかけた。
「こんばんわ、夜分遅くにどうも、内藤さんのお宅ですか?」
5年前に失った友人の声が電話の向こうから語りかけてきた。春だというのに室温が2〜3度一気に下がった気がした。
「内藤ですが?恐れ入りますがどちら様でしょうか?」
聞きたくなかった質問だったが聞かないわけには行かなかった。
「松田です。」
半ば予期していた答えが帰ってきた。内藤は子供の頃読んだ怪談を思い出した。友人を見殺しにした男のもとに死んだ友人から電話がかかってくる。やがて冥府の底から蘇って来た友人が男を迎えにやってくるのだ。はっとして時計を見ると時刻は11時57分だった。その物語では12時の鐘が鳴り終わると同時に死者が静かにドアのノブを回して、すきまから男の姿を覗き見るのだ。振り替えってその死者のうつろな眼窩と目を会わせたが最後、男はもう2度と朝日を見ることはない。内藤は自分の部屋の入り口が引き戸であった事に感謝した。とそのとき一陣の突風が立て付けの悪い内藤の部屋の引き戸をガタガタッ!と鳴らして吹き抜けて行った。
「もしもし?どうしました?典昌の弟の慶太です。覚えてないかな?兄の告別式であったんだけど。」
内藤は恥ずかしい程にほっとしている自分に気がついた。たしかに覚えている。松田の告別式に参列した時の事だ。学生服姿で口をまっすぐにつぐんだ松田の弟の姿を内藤はやりきれない思いで見ていたのだ。あの時二言三言言葉を交した覚えはあるが、なにを話したかまでは思い出せない。
 ランディングに着いた内藤はランディングの片隅に慎ましやかに立ったプレハブ造りの事務所兼倉庫の鍵を開けながら駐車場の端の方から順番に止めてある車に目を配った。土曜日という事もあって常連の車とは別に見覚えの無い車も何台か目につく。あのなかに松田の弟の車もあるのだろうか?昨日の電話で慶太は今日ここに尋ねてくると言っていた。もしかしたらもう先に到着して車ででも待っているのかもしれないのだ。一体いまごろ彼は何をしに来るのだろう。朝だというのに気が重かった。
「せんせぇー何やってるの早く開けてよぉ!」
突然背後から聞こえた素頓狂な声に慌てて振り向くとそこにはもう五月だというのにドテラを羽織った宏子の姿があった。
「ああ、すまんすまんぼっとしていた。」
慌てて鍵を開けた内藤の脇をすばしこい鼠のようにするりとかいくぐって部屋のなかに飛び込んだ宏子はストーブの点火スイッチを入れた。
「まったく年寄りだからってボケるには早いんじゃないのぉ?」
「おいおい、今日はあったかいぞ、宏子ちゃんこそ更年期障害にはちと早くないか?」
「かぁーっ!こちとら春とは言え車の中で寝てるのよ!朝は冷えるんです !」
ドテラを着てストーブの前で丸くなっていると、もともと小柄な宏子の体はますます小さく見えて、まるで砂浴びをしている雀のように見える。かわいいんだからドテラをちょっと流行の服に着替えてしばらく黙っていれば言いよってくる男もたくさんいるだろうに、どうもこの娘はそういう事には興味がないらしい。毎週金曜日ともなると仕事から帰るなり車にシュラフを積んで山にでかけるこの娘を親はどんな心境で送り出しているのだろう?
「この家でも俺は悪役なんだろうなきっと。」
「ん?なんか言った?」
「いや、独り言だ。」
 宏子のおかげで朝がたの憂鬱な気持ちが和らいだ。事務所が開いたのを見て次から次へとやってきた講習生やビジターの相手をしている内にいつしか内藤は夕べの電話の事や朝方の夢の事をすっかり忘れていた。
慶太
 慶太にとって兄はいつも厄介な存在だった。5歳も年が離れているので話がそれほど合うというわけでもなかったし、一緒に遊ぶという機会も多くはなかった。そのくせ興味を持つ事は悔しいぐらい一致していた。だから慶太が何かを始めようと思うといつもでき上がった見本が家の中にあるという具合で、興ざめな事はなはだしかった。普通こんなことが続くと弟は兄とはまったく違う事に興味を持つようになるのだろうが慶太の場合はその逆だった。飽きっぽい性格の兄の、やりかけの趣味を完成させるのが慶太の興味の中心となっていったのだ。もっともそれも慶太が14歳の春までの話だった。兄は進学で東京に行き、一人暮らしを始めてしまったのだ。慶太が海外留学という目標を立ててそれに向けて勉強を始めたのも14歳の頃の事だから、その動機のなかには兄貴のやることを一歩踏み越えたいという動機があるいは含まれていたのかもしれない。
 ところがようやくアメリカの大学に入学が決まって、来年には出発というその時に、兄は突然この世を去ってしまった。それも海外で。慶太にとってショックだったのはなにも兄を失った事ばかりではなかった。むしろ、いつのまにか兄がパラグライダーなどというものに手を出していて、競技である程度成功していたばかりか、4年以上もの間全く飽きる様子も見せずに熱中していたと言う事実だった。実はなにを隠そう兄とは全く関係なく慶太もパラグライダーには興味があったのだ。
 滑空するおもちゃは慶太の得意分野だった。多くの男の子がよくやるように、慶太も小学校の屋上から紙飛行機を飛ばして友達と帯空時間を競うのが好きだった。ある日家で一心に紙飛行機を折る慶太に兄は色々な紙飛行機の折り方を教えてくれた。長く飛ぶもの、滑るように遠くへ飛ぶもの、宙返りするもの。そのなかでも慶太が特に気に入ったのは蝉の翼のようになか程が膨らんだ翼を持つ紙飛行機だった。その飛行機に慶太は様々な工夫をこらして屋上の紙飛行機勝負に挑んだ。やがて慶太は紙飛行機の性能よりも紙飛行機を投げるタイミングの方がより重要である事に気が付いた。また、曇りの日よりも天気の良い日の方が良く飛ぶ事、また日当りの良い時間に校庭のある場所にむかって投げると、長く飛ぶばかりか時には投げた場所よりも高く上がる事を知った。
 若き日の慶太はその日、慶太の持つすべてをそそいだ自信作を持って放課後の屋上への階段をかけ登った。屋上にはすでに近隣の小学校から集まってきた紙飛行機の猛者たちが最後の参加者を迎えるべく待ち受けていた。慶太の目論見が成功すれば今日ここにいる面々は間違いなく度肝を抜かれるはずだった。
 競技は速やかに進行して慶太の順番がやってきた。それまで最長の飛行記録は実に5分30秒、歴代最長記録であった。慶太は必要以上に時間をかけて屋上の縁へと進んだ。計測係の眼鏡のちびすけは自慢のストップウオッチを構えて慶太を見守った。優勝候補の下馬評の立っていた慶太の一挙一投足を屋上の仲間達は固唾を飲んで見守っていた。慶太の目が校庭を通り過ぎた一筋の砂ぼこりを捕えた。慶太は吹き上がってくる暖かい風に向かって紙飛行機をそっと送り出した。慶太の手を離れた紙飛行機は少しまっすぐに滑空したかと思うとククッと機首を傾けて旋回を始めた。慶太は拳を握り締めがら口のなかでつぶやいていた。
「回れ、回れ、回れ」
 屋上に居た生徒達はそのとき奇蹟を目のあたりした。なんの変哲もない慶太の紙飛行機は優雅に翼を傾けながら一定した旋回に入っていったのだ。そして驚くべき事にその紙飛行機は重力の束縛を離れたかのようにゆっくりと上がって行くではないか。
「回れ!回れ!回れ !回れ!」
屋上中の生徒の唱和する声に、慶太はいつのまにか自分が声に出して叫んでいた事に気が着いた。紙飛行機はぐんぐんと速度を上げながら上昇していった。高揚した叫びが屋上にいる子供達の間に熱病のように広がって行った。やがて点のようになった紙飛行機はふと旋回をやめて校庭の外に向かって飛び始めた。体の大きいガキ大将がくるりと振り向くと階段に向かって走り出した。それに釣られるように屋上に居たすべての生徒は一斉に校庭に走り出て慶太の紙飛行機の跡を追った。夕暮れの近い学校の前の坂を数十人の子供達は息を切らせながら紙飛行機を追いかけていった。一番びりを走るちびすけはまだストップウオッチを握り締めながらなにやら一正懸命叫んでいた。やがて高度を下げてきた飛行機は、学校から半キロも離れた通りの生け垣に引っかかってその驚くべき飛行を終えた。その偉大な飛行機を回収する栄誉を自分のものにするために子供達は生け垣に殺到した。真っ先にかけつけて紙飛行機を取り上げたガキ大将は、他のものに奪われまいと飛行機をたかだかと持ち上げて高笑いに笑い始めた。やがて追い付いた子供達も加わって、興奮とともに、あるものは笑い、あるものは口々にその偉大な飛行についてまくしたて始めた。しかし、やがてその興奮もじょじょに沈静して来た。しずかに広がっていく沈黙の中心に慶太は居た。子供達は慶太のためにガキ大将への道を開いた。尊敬と賞賛のまなざしの中を進んで慶太はガキ大将から紙飛行機を受け取った。眼鏡が服の埃を払うと甲高い声で叫んだ。
「ただいまの記録!23分34秒!最長記録更新です!」
再び子供達を興奮が取り巻き一斉に子供達は慶太の手足をつかまえて胴上げを始めた。子供達にもみくちゃにされてもう飛行機はぼろぼろだった。この日慶太は栄光というものがどういう物であるかを知った。
 その後慶太は中学校の授業で自分の使った不思議な風が空気の対流によって発生する上昇気流であった事を知った。

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