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ファイナルグライド#3

雑感:主人公の目指すものが、いきなり順調に進行してしまっては、あまりにひねりが無いってもんですよね? 一旦断られる程度ではひねりどころか、ただのど定番です。問題は断った相手の心を動かす、どんな事件を起こすか? もちろん、それは空で起こります。地上シーンの多かったこの作品もこの辺りから段々空を舞台に進行し始めます。

慶太の目的
 危なっかしい講習生をどうにか無事に降ろして一息ついた内藤は、路地からランディングへ上がる斜面をザックをかついで歩いてくる若者に気が付いた。若者は暑いのだろうか、上着を小脇に抱え、トレーナーを肘までまくりあげている。はて?アウトサイドした者など居ただろうか?内藤は不思議に思った。この狐仏山のランディングは最寄りの駅からでもかなり離れている。バス停はあるにはあるが路線バスは日に3本しか運行していないので客は必ず車でやってくる。だからこのときも内藤はこの若者がすでに一度テイクオフしていて、たまたまアウトサイドしてしまって今やっとランディングへ帰ってきたのだと思ったのだった。若者はランディングに上がるとザックを肩から下ろし深く息を吐き出すとこちらに向かって歩いて来た。
「おはようございます!」
昨日の電話の声であった。答える言葉に詰まってどぎまぎしている内藤に慶太は続けた。
「慶太です。」
慶太の差し出す右手に思わず握手で答えながら内藤は内心の動揺を隠すのに精一杯だった。5年前の事件を自分なりには精算したつもりではいたし、あれが避けられない事故であったことは誰もが認めてくれている。それでもこうして今はなき友の肉親をこうして目のあたりにすると自責の念が込み上げてくるのを抑えることができないのだ。
「内藤です。久しぶりですね、御両親は元気ですか?」
「ええ、僕が無事に帰ってきたのでほっとしてるようですよ。」
「車はどこに?」
内藤が尋ねると慶太は少し恥ずかしそうに「狐仏山」と黒の油性マジックで大きく書いた段ボールの板を引っぱり出して
「これを吊して歩いてたんですけど日本のドライバーは止まってくれませんね。」
「じゃ駅から歩いてきたのかい?」
「ええ、おかげで遅くなっちゃいました。」
「なんだ電話してくれれば迎えに言ったのに、良かったら事務所で休まないか?」
「ああ、そりゃ助かります。」
そう答えると慶太は荷物を取りに行くためにきびすを返した。
 パラグライダーのザックにシュラフやらマットやらを括り付けた大きな荷物を担いで慶太が事務所の中に入ってきた。もの珍しそうにあたりを見回す慶太に内藤は茶を勧めた。
「で、今日は何の用件で来たのかな?」
壁に掛かった額に入った写真に眼を止めた慶太は立ち上がるとその写真を手に取った。写真には翼端にきれいに後退の掛かった美しい機体がこちらに向かって旋回してきている姿が写っていた。
「兄さんですね、これ」
「ああ…97年の、それはPWCフェルトレの写真だな。」
「これがエリアル4ですか?」
「エリアルは3までしか作らなかったよ。それはエリアル3だ。」
突然慶太はくるりと内藤に向かって振り向いて目を輝かせながら言った。
「内藤さんエリアル4を完成させましょう!」
内藤は慶太の突然の言葉に戸惑いを隠せなかった。
「今なんて言った?」
「僕も渡米した後スクールを見つけてパラグライダーを始めたんです。そこのインストラクターから聞きましたよ、その人はPWCシュタッドに出ていたそうです。彼は言ってました、97年のワールドチャンピオンは日本人が取るはずだったって。あの年、エリアル4とまともに戦えるグライダーは存在しなかったって言ってました。」
「97年のチャンプはボーリンガーだよ、日本人じゃない。」
「そんな事は知ってます。だけどそのボーリンガーですらシュタッドではまんまと出し抜かれたそうじゃないですか!その後でヨーロッパの総てのメーカーは世界戦向けのプロト機の見直しを迫られたって聞きましたよ。」
「それは俺も聞いてる。ゼウスを急遽取りやめてX12を使ったホルツミューラーとオメガプロトのボーリンガーが凄絶なハイスピード戦をやったって話だ。有名な230キロタスクの平均速度は40キロを越えたそうだ。それに日本人が勝てたというのかい?」
「兄がエリアル4を使ってたら、どうだったでしょうか?」
「あるいは…、いや少なくともトップ争いには絡んでただろうな。でもそれがどうした。もう5年も前の話だ。」
「僕はそれを証明したいんです。兄があのとき世界のパイロットを震撼させたという事実を世界に認めさせたいんです。」
「いったいどうするんだ?本でも書くのか?」
「エリアル4で次の世界選手権を取るんですよ。」
内藤は一瞬唖然とした後にこう尋ねた。
「エリアルを完成させたとして一体だれがそれを飛ばして世界選手権を取るのかね?」
内藤は内心意地の悪い質問だと思いながらも尋ねずにはいられなかった。松田は実際天才だったのだ。しかし、慶太はひるむ様子ひとつみせずに胸をはって答えた。
「ぼくに競技の戦い方を教えてください。2003年のベルナーオーバーランドまでに勝てるようになります。」
論外であった。目の前にいる若者が百戦錬磨のパイロットに混じって世界選手権を取る。全く不可能だった。それ以前に日本代表に選考される事すら絶望的だった。再来年の代表決定のための選考はもう始まっている。なによりも内藤は二度とグライダーを造らないと誓ったのだ。ましてや松田の兄弟をエリアルに乗せるなどもってのほかだ。
「エリアルはもう造らない。それに完成させたとしてももうたっぷり3年は時代遅れだよ。せっかく来てくれたんだから今日はゆっくりして、ライセンスを持ってるなら飛んでもらってもいい。ただしエリアルはダメだ。」
内藤のつれない答えに慶太は首をすくめた。
「まあ快く引き受けてもらえるとは思ってませんでした。ちょっと考えて置いて下さい。ところで今夜ここに泊まらせてくれませんか?この事務所の隅っこでいいんですけど。」
内藤は溜息をついた。断れるわけが無いではないか、相手は松田の弟なのだ。
「今日は土曜日だから夜はうるさいよ。」
「もちろん構わないですよ。」
そう言うと慶太は事務所の奥にあるソファーにシュラフを放り出した。他の荷物を出すためにソファーの上に置いてあったトートバッグに手をかけた慶太に内藤は口元に笑みを浮かべながら声をかけた。
「そこはやめた方がいい、うるさい先約がいるぞ。」
慶太の手にあるトートバッグには丸っこい文字で宏子と名前が書いてあった。
アクシデント
 慶太の訪ねてきた日を境に内藤の暮らしはすっかり変わってしまった。慶太はそのまま事務所に居着いてしまったのだ。給料を払うわけでもないのに良く働くので内藤としても仕事は楽になったのだが毎朝起きがけに見る夢だけは堪えがたかった。その夢で、内藤の見守る中落ちていくエリアル4を操っているのは、松田では無く慶太なのだ。
 留学中は相当熱心に練習に励んだと見えて慶太のパラグライダーの腕前はまんざら悪いものではなかった。たっぷり時間をかけて挑戦すれば4年後の世界戦に日本チームの一員として参加させられる位にはなるかもしれない。内藤はそんな考えが頭に浮かぶ度に意識してその思いを振り払った。
 慶太が事務所に居着いてもう1週間が経とうとしている。そろそろ引き上げさせなければならないだろう。今日ははっきりと断って家に帰ってもらおう。そう決意して内藤はランディングへと向かうあぜ道を歩いていた。ランディングに着くと事務所はすでに開いていて狭い部屋の中にはもう幾人もの講習生が集まっていた。今までに無い活気の中心には1週間の事務所暮らしにも一向に疲れた様子を見せない慶太が講習生相手に留学中の体験談を語っていた。奥のソファーにはそこが指定席だとでも思っているのだろう、宏子がシュラフに頭までつっこんで丸くなっっている。4年前にこの地に流れ着いてパラグライダースクールを始めて以来、この事務所は内藤の大切な隠れ家であった。それが今はまるで自分のものではないように見える。けれど不思議に腹も立たないし、それが当たり前のように思えるのはなぜなのだろう。内藤は自分がひどく年老いてしまったかのように思えて仕方がなかった。
 その日はいつにもまして素晴らしいコンディションだった。朝のうちからあがったサーマルにパイロット達は大喜びだった。ビジターを一通り手伝った後にテイクオフした慶太はテイクオフ前で無駄無くサーマルをヒットするとスルスルと高度を稼いでいった。ランディングで見るとはなしに眺めていた内藤はそこまでは申し分無いと思った。しかし、慶太は競技フライトのペースをまだ理解していなかった。内藤が考える理想の離脱高度よりたっぷり100mは余分に高度を稼いで慶太はサーマルを離れて移動を開始した。
 慶太はこの1週間飛ぶ機会があるごとに内藤を挑発するように課題を持った飛行をして見せた。8キロ離れた大峰山までのアウト&リターンに始まり、1週30キロの三角パイロン、昨日はその三角パイロンを逆回りに回って見せた。どれもこの狐仏山にやってくるパイロットには考えも及ばない見事なフライトだった。しかし、内藤に言わせれば、慶太のタイムはあまりにも遅すぎた。国内でもてはやされるだけならば遅くてもいい、ゴールを続ければいつかは順位もあがっていく。しかし、ヨーロッパの猛者を相手に戦うには骨身を削るようにしてタイムを詰めていかなければ予選すら通過できないのだ。おそらく慶太に二つ三つアドバイスしてやるだけでタイムはぐっと縮まるだろう。それとセンタリングのスタイルが単調なのは注意しなければならない。サーマルによって百様のセンタリングがこなせなければ世界のトップに着いていく事などおぼつかない。内藤はいつもそこまで考えてはたと気づき、自分の考えを振り払うのだった。自分は慶太の身柄を預かる気など毛頭無いし二度と競技の場に顔を出すこともないはずだったのだ。
 ふと気づくと4キロ北に位置する芝畑山にとりついた慶太を追って一機のグライダーが
ひょろひょろと谷を渡っていた。白のチャレンジャーコンチェルト、宏子の機体だった。
最近グライダーを換えたばかりで新しい事をやってみたくてしょうがない宏子は慶太のフライトに刺激を受けてしまったようだった。内藤は深く溜息を着くと無線機のマイクを取った。
「宏子ちゃん、ランディングはこっちだぞ。」
先ほどから発達する雲の様子が気になっていたので内藤はあまり生徒をちらばせたく無かった。芝畑山はこのあたりではいつも真っ先に雲が発達するのだ。無線機は沈黙したままだった。芝畑山で雲底付近まで上昇していた慶太の赤い機体は雲の中心から離脱を始めた。しかし、上昇気流を離れたはずの慶太の機体は落ちるどころかどんどん上昇しながら雲に近づいていくではないか。吸い上げが始まったのだ。雲底に気を取られていた内藤は雲の全体を見渡して眉をひそめ、口の中で呪詛の言葉をつぶやいた。運頂は先ほどの倍の高さにまで達し、慶太と宏子が捕まっている雲は今まさに雄大積雲から積乱雲へと変わろうとしていたのだ。

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