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雪山で遭難した話

最近、麻雀界隈で過去の貴重な経験をnoteにつづる人が多いので
自分史上1番珍しい経験(だと思う)雪山遭難事件を記します。
ただ、そんなに面白い話でもなければオチもありませんw
まあとりあえず記念に。

今から20年近く前
当時高2だった時の話です。
わい「俺、1人でゲレンデに行ってくるよ」
母「ファッ!?」
気軽に話してますが、実家の滋賀県から車で6時間くらいかかる場所です。
夜行バスでの一泊四日の男の一人旅です。
(今は分かりませんが)当時は高校生が1人で旅なんて結構異常だったと思います。
どうしてこうなったのか。
話せば長くなります。

小学生の頃、通っていたスイミングスクールで毎年3月下旬にスキー合宿のイベントが開催されました。場所は長野県の戸狩温泉スキー場です。
毎年同じマンションの幼馴染(6人)でそのイベントに参加するのが楽しみでした。
一面銀世界になる事は殆どない滋賀県南部と違って、長野県北部のゲレンデは子供にとっては想像を絶する光景が広がっていました。
特に自然や雪が好きな自分にとっては、1年に1度しか味わえない"非日常の世界"に引き込まれました。(のちに気象予報士となったのも雪が好きだったからです)
その後大学時代に北海道に行くまでは、このスキー合宿が人生で1番楽しいイベントにランクインし続けていました。

このスキー合宿は自分が小3~中2の頃まで毎年開催され、1年に1度の楽しみとして参加し続けました。夢のような日々でした。
しかし中2の時に事件が起こります。

サッカーでボールを蹴りそこない骨折事件

現時点で人生唯一の骨折事件です。
あの時の痛みは想像を絶するもので今でも覚えています。折れた瞬間に絶望感と寒気がして熱が出ました。
というか蹴りそこなうって下手くそすぎww
当然スキー合宿に行けるわけもなくキャンセル。
そして何らかの事情でこのスキー合宿は翌年から無くなってしまいました。
要は、1年で1番楽しいイベントの最後の年に参加出来なかったという後悔が残ってしまったのです。

その後悔からその後2,3年間しばらく夢に出てきました。
「あの時にケガをしていなければ…」
流石に過去を断ち切らねばまずい!と高2になっても中二病全開だった自分は、「同じ時期に同じゲレンデに行く事で過去を断ち切る」という思い切った行動に出る事になったのです。
話は冒頭に戻ります。

母「流石に心配だけど…大丈夫?どうやっていくの?」
わい「夜行バスで行く。宿は目星をつけている」
母「今行かなくても、大人になってからいくらでも行けるよ」
わい「今じゃなきゃダメなんだ。未練を断ち切らなきゃ前に進めない。他の誰でもない、これは俺の物語なんだ

高2にもなってなんて中二っぽい事を言ってるんだ!…今思えばなかなかやばい子でしたね。ネットゲームばかりやっていたのもあるのでしょう。
当時影響を受けていたのは勿論コレ↑です。みんなの名作FF10です。召喚士ユウナ派です。召喚士は通す、ガードも通す、キマリは通さない。

余談ですがいるか麻雀オフできしべさんが7sをロンした時に「キマリは通さないwwロン!」とか言いながら倒してたのが今でも忘れられませんww
7sより7pの方がキマリっぽくないか…?w

さて、そうして自分の物語を無理矢理続けた結果
高2の春、3月下旬にいよいよ1人で思い出のガガゼト山…ではなくゲレンデに降り立つ事になります。
朝は比較天気が落ち着いていましたが、昼から急変します。
リフトに乗り、頂上について降りたら完全にホワイトアウト。
猛吹雪で前が見えないどころか自分がどこにいるのかもわからない状態になりました。

↑このくらい見えればかなり良い方です。
実際はこの距離でも前の人がほとんど見えないくらいでした。

とは言え留まる訳にもいかないので、過去の記憶を頼りに進む事にしました。
「確か少し真っすぐ行って左手に降りるコースがあったはず…」
「この辺かな…」
「あっ?!」
足を踏み外し崖から落ちました。

幸い雪が深かったのでケガはしませんでしたが、登ろうとしても登れません。
下に降りようにも林になっており進めません。
本気でまずい事になりました。
スキー板を外すとむしろ深い雪に埋まってしまうので、板をはきながら何とかして少しずつ登ろうとしました。
脱出困難である事を悟り、叫んで助けを呼ぶことにしました。
「誰か!!!いませんか!!!!」「助けてくれ!!!!」
10分くらい様々な方向に叫び続けましたが一切反応はありませんでした。
元々客が多いゲレンデは無かったのと平日だったのもあり、そもそも人が殆ど居ませんでした。

じっとしていれば寒さに体力を吸われ
動こうとしたら勿論体力を吸われ
ああ…これは「詰み」か
徐々に絶望感が襲い掛かってきました。

「受験勉強ばっかやるくらいなら死んだ方がマシや!」
そんな事言ってたなあ…
でもこの状況だと死ぬのは嫌だ…
「頼む神様、今後は勉強もなんでもちゃんと頑張るから生きさせてくれ…」
本気で心の底からこう思いました。
人間、死が迫ると何をしてでも生きたいという気持ちが湧いてくることを知った。

俺の物語…これで終わっちまうのか…?嘘だろ…?
俺にはまだやり残したことがあるんだ…
頼む、助けてくれ…

何か他に突破口は…
はっ!もしかして携帯繋がる…?
当時はガラケーの時代。ちょうどこの1,2年前くらいから携帯電話を持つ中高生が増えてきました。
今よりも電波が届かなかったので雪山のコース外で使えると思ってませんでしたが…
しかし確認したら…、僅かに電波がある!
「あ、ああ!!そういえば宿の電話番号を念のため登録していたはずだ…!」
起死回生。宿に電話が繋がる。

「遭難しました。○○ゲレンデから2つリフトを登った先を数十m進んで左の崖に落ちました。助けてください。」
電池が残りわずかだったので重要情報から焦らず伝えて…
宿「スキー場に救助隊を依頼するので頑張って!」

た、助かった…のか?
そして10分くらい経過した後だろうか、スノーモービルが到着し無事に救助して頂けました。
スノーモービルに乗るのも勿論初めてでした。
救助隊の方も宿の方も本当に命の恩人で、感謝してもしきれませんでした。

休憩所に到着し、食糧補給と体を温め、十分休憩した頃には天候も回復していたので再度滑りに行く事にしました。
↑今思えばもう諦めて帰っとけって話ですがまだ未成年だったので無鉄砲すぎましたね…。
20年近く前だからともかく、今の時代ならSNSで叩かれてるレベルの愚行ですよ、ほんと…。心身ともに未熟でした。

最後、とても夕焼けが綺麗だったのを覚えています。
ホワイトアウトした時は無暗に動かずに人気のあるところでとどまってやり過ごすのも手、と言う事を学びました。

あの時携帯を見ていなれば…宿の番号を登録していなければ…今頃生きてなかったかもしれません。
九死に一生を得たことで、生きる事のありがたみを確かに感じました。

今こうやって毎週麻雀ばっかりしてなんやかんや人生楽しんでるのも、生き延びたお陰です。
「生きていれば必ず良い事がある」とはなかなか人には言えませんが、少なくとも死んでしまってはそこで良い事は何もありません。
今後も元気で長生きできるようにしていきたいですね。

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