遊びとは
おはようございます。
昨日は一日椿の剪定をして、17時に仕事が終わってから18時半からサントリーホールで開催された親戚の子が出ているワグネル・ソサィティー・オーテストラのコンサートに行って、気になっていたシガーバーに行って、帰ってから盆栽の手入れを一本やるという非常に充実した夜を過ごしました。
なんだか最近ほんとうに色々なスケジュールが入っていて目まぐるしいですが、結局そういう方が性に合っている気がしています。
盆栽だけやって、21時ぐらいからはスマホをいじったりテレビを見たりとかをするのもいいのですが、俺はもったいないなと思っちゃうタイプで。
学生の時に一回クラシックコンサートに行ってみて、去年にも一回知り合いの方に連れて行ってもらって行ったのですが、門外漢のクラシックも実際に生で聴くと「俺は今の曲の方が好きだな」とか「なんか退屈な演奏だな」とかは感じるもので。
その感じたことを言語化しようとして調べていく中で色々な学びがあるんです。
例えば、「どうもロシア出身の人の音楽は俺の肌に合わないな」とか「火の鳥ってそういう物語なんだ」とか。
すごいしょうもないことでもそれが楽しいんです。
バーに行く時もそう。
「このマスターのこの話し方や気配りの仕方があるから人気なんだな」ということに気づくとそのマスターの立ち振る舞いを見て、自分が仕事でお客様と話す時もその技を使えるようになります。
レストランのトイレに行ってめちゃくちゃ綺麗にされているトイレだと「うわっ。綺麗だな」って思うわけで、その時に「春花園に来たお客様もトイレで些細な印象を抱くから気をつけよう」とか。
その最たるものが女の子と遊ぶ時なんですけどね。
「この言い方したら嫌がるだろうな」とか「どうやったらこの子が喜んでくれるかな」とか「どうやったらこの子に楽しんでもらえるかな」とかをひたすらに考え続けるのがデートなわけで。
あらゆる遊びが学びになってくるんです。
そしてそのようにして色々な遊びをしているとたまに盆栽を作っているときや盆栽の床飾りをしている時に「ここで遊ぶと楽しそう」みたいなのが湧いてきたりして。
いい意味で遊びができるんです。
ずっと教科書だけを読んでいても、その人の引き出しには教科書に載っていることしか出てこない。
だからこそ外に出て色々なモノや人に触れて自分の中での引き出しを広げていきたいもんですね。
ちょっと今日はそんなことを思ったので書いてみました。
そういえば昨日のを読んでない人は読んでください!
以上。
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