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久しぶりにニコ動を見に行ってみた


すっかり忘れていたニコニコ動画の休止騒動。結局サーバーは復旧できたのか…と思って覗いてみたらちゃんと再開していた。
私がボカロ(ボーカロイド)を使って曲を作っていた時期の作品は無事だろうか。ダメかもしれないな…と諦めていたが、ボカロPを卒業したあとにも消さずに残してあったものはすべて復旧されていた。

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いまとなってはもう、どこか〝こそばゆい〟思い出ってふうになってしまった。

なにせ30歳代後半あたりでボカロ使いに没頭していたのだから、振り返ればちょっと(いや相当)痛い人ってふうに感じてしまう。何人かにはカミングアウトしたことがあるのだけど、どの人もちょっと困惑したような表情を浮かべていた。アラフォーでサブカル楽しんでますっていうと、やはりそんなリアクションになるよな…そんなわけでカミングアウトまでで終わり。P名を教えたり曲までを聴いてもらったことはない。

次女が友人とのトラブル等々で高校に行けなくなっていたころ、進路とか将来の夢に関する話をしたことがあった。そのときに私は、ニコ動に置いてあったいくらかの作品を娘に見せたことがある。音楽をやるもよし、絵師になるもよし。とにかく居場所はたくさんあるはずだし、そこから職業人になったときの自分ってやつを未来にむけて透かし見てみな…ってふうな思いからだった。あの日は午前中でじっくり娘と話すために仮病使って仕事を休んだっけ — 恩着せがましくするほどのことではないが、仕事に穴をあけるのは年に1日か2日だけという中でのアクションだった。家内も家内で、私に内緒で学校に赴いたりいろいろやっていたみたいだ。後から知った。

いま思えば … 当時のアレ、クソ恥ずかしいから、できれば次女にはもう忘れていて欲しいんだが。あれから「千本桜」とか「メルト」とかメジャーなボカロPのダウンロード(すまん、見逃してくれ!)はときどき頼まれたけれど、たぶん私の曲はあれ限りでしか聴いてないはず。いま思えば…私もよくあんな生々しいことやらかしたものだなあ。ちなみに…家内には見せたこと・聴かせたことは一度もない(ついでにいえば、いま書いているnoteのことも…家内には内緒のままにしている)。

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新曲をアップするごとに「昭和」のタグがついた。リスナーさんには、作風から「オマエ昭和から来たオッサンだろ?」と見透かされ、そういうコメやタグが並んだ(笑)。いまの私こそジジイに近いオッサンだが、当時はまだ気持ちは若いつもりでいたと思う。内心ちょっとムッとしていたかもね。

作曲をずっとやっていたけれど、歌詞を書く才覚はなかった。中高生ぐらいのころといえば自意識と羞恥心のかたまりで、日記を書いて心のなかを文字にすることだけでも気持ちがぞわぞわした。
当時の私が愛聴した昭和音楽(JPOPもしくは昭和歌謡)というのはやはり、歌詞のモチーフは恋愛感情ばかりだったから、やはりそういう歌詞をつけなくてはならない。私がいまなお愛好している来生たかおさんは子供のころ、お姉さんであるえつこさんの歌詞を拝借して曲をつけていたらしいが … 私には「えつこさん」になってくれる人もいなければ、私の作った曲を歌ってくれる人もいなかった。

いまも昔も人一倍シャイな私だ(いまはだいぶマシになったはずだが)。私自身がパフォーマーになるのではなく、筒美京平さんとか後藤次利さんのようなアイドル歌謡のメロディーライターになりたいと思っていたのだけど、肝心の〝なりかた〟がわからなかった。

オーディション告知を音楽雑誌上に見つけても、やはりバンドをはじめとするパフォーマーの募集ばかりだった。デモテープで応募したことは何度かある(そのオーディションがきっかけで槇原敬之さんがメジャーデビューされた)。音楽出版社への〝持ち込み〟もやってみたこともあるけれど…一度だけ挑戦して、ディレクターさんは不在ってことで追い返されたけど、ほろ苦だけど貴重な経験だったな。自己満足でしかなかったが…親元離れたらここまで度胸出せるようになったんだと。

ゲーム音楽が作りたくて最大手企業に応募したけれど、エンジニアでしか選考できないという流れになったので断った。別の会社でも同じだった。タイムリミットだと思ってその内定を受諾したけれど、悪いことに4年生で留年してしまってお流れになった。もし受かってても…後にその会社は大規模なリストラの末、パチンコメーカーと合併してしまうに至った。そこに進んでても3年ぐらいしか続かなかっただろうな。結局はSEとして名古屋で就職し、私自身の数々の至らなさゆえ3年弱で会社を辞めた。

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オーディションに持ち込んだデモテープの旋律部分は、シンセサイザーの柔らかめの音色を使った。音楽出版社への〝持ち込み〟というのを教わったのは、そのオーディションで一緒にデモテープを聞いてくださったディレクターさんからだった。あとは歌詞は「ラララ…」でいいから、やはり肉声でボーカルは吹き込んでほしいってことも仰ってくださった。

致命的だったのは、当時の私が「歌うのが苦手」だったこと。ましてやテープに吹き込んだ自身の肉声を聞くだとか、他人に私の歌声を聴かせるといったことはもう想像しただけでも…無理だってふうだった。いまなら多分できるんだが。

自作曲のレパートリーはカセット6本分ぐらいになった。でも歌ってくれる人がいない。就職したときに機材は売ってしまったので、カセットをたまに聴いてノスタルジーに浸る程度だった(そのカセットも10年ほど前に断捨離している)。

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そんな中で華々しくボーカロイドが登場した。あの有名な「初音ミク」だ。
サブカル心をくすぐるキャラクターがネット民の心をくすぐって、大々的なブームが到来した…以前、ひょっとしたらそのあたりは記事で書いたかもしれない。あとで探してみようかな。

ニコ動のシステムが堅牢なものに変わったせいか、私の過去作品のダウンロードを試みたが、ビットレートがわずか56kbpsでしか落とせなかった(通常、CDの音楽をパソコンで聴くときの音質なら256kbpsぐらいだと思う。正直知識に疎い)。
noteには音声も置けるらしい。お耳汚しはなはだしいのだが、当時の作品を2つほど置いてみる(気乗りしなかったら消します…ってか、すぐ消してしまいそうな気がします)。ダウンロードして聴くことしかできない仕様みたいだ。あまりいけてないな…と思ったらスルーしていただくか、DLしたファイルも綺麗さっぱり消していただければありがたい。音質悪いです。


DTM(デスクトップミュージック)はやめてしまった。手元にはもうマスター音源もツールもない。ニコニコが復旧しなければ私の作った曲のなかでかろうじてネット上に残っている10曲ほどが霧散してしまうところだった(まあ霧散したとしても、それはそれでよかったのかもしれないが…たま〜に無性に聴きに行きたくなるってこともあるからよかったのだと思う)。

音楽とのお付き合いはもうひたすら聴く側ってふうだけど…まだ新しいアーティストさんの音楽が好きになれるのだからそれで大丈夫だと思う。いろんな曲をごった煮でYouTubeで流しながら拙稿を書いている。KANさん、明菜ちゃん、来生さん、リストラーズさん … これからはひたすら肉体の劣化との闘いであることだけははっきりしているが、目と耳だけはなにがなんでも死守しなければならない。

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