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いまだにつぶやくKANちゃんのX垢

ふだんはほとんど旧TwitterのXを見ないのだけど、ROM(読み専用)のアカウントは持っている。だからYahoo!の記事を読んでいるとき、なにかの拍子にリンクを踏んでしまうことがあるんだけれど…こんなつぶやきを見つけてしまった。

えっ? なんでKANちゃんのツイート??

https://twitter.com/_kimuraKAN

もう広く報道されたとおりだ。私自身もKANさんへの思いみたいなのをnote上に書かせていただいたことがあるが…KANさんは令和5年11月12日に永眠されている(享年61歳)。そうなのだけど、なぜか今年の七夕にツイートされている。

どうやら公式オフィシャルサイトのスタッフの方によって、今年2024年のお正月からときどき呟かれているらしい。KANちゃんの活動37年目にあたる4月25日にもツイートされており、それもなんだか本当にご本人がつぶやかれているかのような飄々(ひょうひょう)とした感じが滲み出ているのだ。

自分で「おめでとう」「ありがとう」と呟いてしまうところが…まんまご本人だ


ちょっとだけ引っかかったのが…これがもしファンの方の仕業だったとしたらあまりいい気分がしないかもってこと。最近でいえば(といってもこれ、2019年末のことだったんだね)AIの美空ひばりさんが登場したときのような気分になりかけてしまいかねない。

ただ…それはまったくの杞憂だった。発信元は生前からずっと存在しつづけたKANちゃんのオフィシャルサイトで、このサイトからXのアカウントにもリンクされていることを確認できた。


死んでなお〝生きつづける〟ことについて


亡くなっても作品が生き続けるアーティストさんにとってはきっと、忘れ去られてしまうことを恐れてしまうものかもしれない。私自身はアーティストなんかではなければ友達もほとんどいないわけで、もし死んだなら家内以外にはきれいさっぱり忘れられたい。跡形もなく。強くそう願っている。

生きているのに死んでしまった人のように扱われたことがある。

会社を追い出されたときだ。緘口令が敷かれていたのかもしれないが…誰ひとり私に連絡をくれる者はなかった(単に私に人望がないだけってことなんだろう)。名駅のビッカメ前交差点で居合わせた元先輩…カート引いてるのに信号が変わったとたん全力疾走で逃げて行かれてしまったよ。まるで亡霊でも見たのかってふうだったけど…私はちゃんと生きている。あれけっこう堪えたんだよな。

まあ現在となっては、そっと通り過ぎてくれて構わない。つい先日も別の元同僚とニアミスがあったけれど…いまさら声をかけていただかなくて構わない(というかその人はあまり話しかけてほしくないほうの人だったけど)。ただ…私を追い出すことに加担した連中のことは、ちゃんとした謝罪でもないかぎり一生恨む。いまからでも謝りに来てくれないか。慰謝料を取ろうなんてこれっぽちも思っていないから…ああ、トラウマ化した出来事の忘れ方を教えて欲しい(泣)。

おどろおどろしい話ですまん。話を戻そう。

KANちゃんは…私みたいなことをこれっぽっちも思わずに旅立たれたものと信じていたい。いろんなアーティストたちとの親交。この11月の一周忌にはトリビュートライブがあるらしい。

スタレビの根本さん、ミスチルの桜井さん、秦基博さん、AIKOさん…彼らがじゃれあっていたのは心を許し合っていたからだと信じたい。アーティスト業であれお仕事なんだから、ビジネスとしてのお友達ってスタンスもあったりするかもしれないけれど、やはり他人どうしで戯れあってるさまにはすごく憧れてしまう。

先日私が拙稿を書き、同じく愛好しているリストラーズの方々にも…大学の同窓生にして、なお仲良くされている姿を微笑ましく(うらやましげに)眺めてしまう。そういう姿をパフォーマンスの奥のほうに透かして見ることができること…私にとってのリストラーズの眩しさというのは、そういうものであったりもする。

友達どうしでじゃれあうことにもきっと
適性ってあるんだろうなあ…


この春先、仕事でお付き合いのあった3人ほどの方々とのお別れがあった。

どんなに明るく雑談に加わったとしても、どうしても私は(フワの言葉を借りれば)「flowで会話する」ことしかできないところがある。頭の回転が速くない。瞬時に相手のコトバを理解したり機転のきいた返しをしたりすることができない。
メニエール持ちで難聴気味だから、相手の言葉が聞き取りづらいってのもある。常時耳がつまったような感覚に見舞われているけれど…治らないので諦めたまま現在に至る(母親からもらった遺伝病なんだろうな)。

どうしてもポジショントークのような立ち回りになる。これでもかってほど自覚している。ひょっとしたら見透かされていて私のいないところでは良からぬことを言われていたりするかもしれないけれど、私のほうはそれでも全然かまわない。彼らと過ごしていてとても楽しかったので。

12月に入ってAさんが、明らかに私から距離を置くようになった。私は意を決して「もし気に入らないところがあれば教えてほしい」とお願いした(こんなことを言ったのは、現在の職場に来て初めてだったと思う)。まったくそんなことはないけれど会うたびに天気の話しかしないのに無理して雑談をかわすこともないでしょう—と静かにおっしゃった。数年来のおつき合いだから、それでも私は全然かまわなかった。静かに居合わせつづけた。

すぐあとぐらいかな。いつもどおり豪快にしゃべるBさんとバカ話をしてから一緒にエレベーターに乗り、降りる間際に「実はわたし、今日で最後なんですよ。これまでありがとう、さよなら」と。もうあっけに取られて何の言葉を返す余裕すらなくて — そっとしておいてほしいのではないかと考え、かなり悩んだけれど会いにいくのは断念してそれが最後にってふうにさせて頂いた。

結局はAさんもお別れになった。だからだったのだな。想像すらしていなかった。

あともうひとりCさん…その方もお別れになった。私のほうもしばらく先行きがわからなかったが…今年も仕事をお任せいただいている。BさんとCさんは古くから東京の同じ会社で長くお仕事をされており、おそらく現在も続けておられると思う。Aさんともども、元気にされているのかなあ。

5年以上にもわたってご一緒させていただいたけれど、食事にさえ行ったことがない。Aさんだけは何度かスタバに一緒に行ったりはしたのだけど。BさんとCさんは度々食事してたみたいだが、私もポンコツながら一度ぐらいご一緒させていただけばよかったなとは思っている。

忘れ去られない努力なんてたぶんしない


ある職場では嫌味をこめて「匿名希望くん」というあだ名をつけられ嗤われたこともあったけれど、まあその通りなんだから仕方ない。奴は奴で「猿山のボスくん」と私は心のなかであだ名をつけていた。まあね…なにせ対人緊張が強い性分だから、いまだにひとりでいることが多い。

温度としては…note上でも、いまの居心地がいちばん心地いいと感じている。なじみの方々がスキを押してくださったり、私自身が記事としてあまり書きたくない内容(親との関係など)や、自らが語るとボロが出そうな専門知識を教えてくださる方がいらっしゃったり、ときどき私といっしょにふざけてくださる方がいたり。
悩みは…記事をしっかり理解しながら読んでいくと時間がかかりすぎてしまうことかもしれない。私自身が長文を書く人なので、私と同じぐらい長い文章に取り組んでいる方の文章を読破したくなる。欲張りすぎかなあ。

で、ときどき呟いてくださったり。すごくバランスがいい。

裏返して私の拙文を読んでくださる方のほうはどうだろう。
あくまで私の自己満足ですからして…あまり真面目になりすぎないでくださいってふうに思ったりもする(笑)。不器用なくせをして寂しがりという面倒くさい人なのだが(自分が〝面倒くさい人〟ってのは十分に自覚しているんだけれど、他人から言われると腹が立って仕方ないのはなぜだろう)、もうしばらくは甘えてこのまま居させていただいていいのかな…って思っている。

不慮の事故とかで辞世するなら仕方ないけれど、もしKANちゃんみたいに闘病生活の末に去っていくことが許されるというのなら … たぶんnoteの過去記事とアカウントはみんな消してしまってから逝くと思う。ごめん。

あなたがいなくなって1年近くになる


KANちゃん。あなたはどうなんだろう。

この人って…目立ちたがりなふうで、案外シャイだったのだろうなと思うけど。

急な訃報を受けたときのYouTubeのコメント欄はものすごいことになっていたけれど、どうしてもだんだん静かになってきてしまってはいる。

KANちゃんになりきって、いかにもKANちゃんらしいことを呟いてくださるオフィシャルサイトの〝中の人〟が折りに触れてぼそっと呟いたり写真をアップしてくださったりするのはうれしい。ときどき見にいこうと思って、さっきブクマしておいた。

またなにか、素敵な存りしころのお写真でも添えて…なにか呟いてください。

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