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散らかしぐせ、そして断捨離

いや…これほどにも散らかってはいない。

ちっちゃなころから整理整頓がひどく苦手だった。いわゆる普通のいい子だったけれど、小学3〜4年生のころの先生をひどく驚かせてしまった。

当時、新卒かせいぜい数年ぐらいしか経ってない若い先生。クラス単位でのはじめての顔合わせのとき、たしか私はちょっと遅れて教室に入って「すみません」と謝ったけれどクールに一瞥された。第一印象は「冷たそう…」ってふう。きっと緊張されていたのだと思う。

結果的にいえば、その先生が大好きになった。それこそ初恋の人みたいなものかもしれない。何から何までかわいかったから。


教室で使っていた机のなか


その先生からひどく驚かれたのは、教室での私の机の中だった。配布物の紙片とかも無造作だったに違いないが、それらに紛らせてこっそり貯め込んでしまった給食のメルルーサーフライに驚かれたのかもしれない。

メルルーサーと言ってピンとくるのはきっと私の世代だけだと思う。
白身魚なのだがそれほど家で出てくるような食材ではない。WIkipediaには、安い食材で当時の給食に多用されたと書かれている。私はどうも好きになれなかった。メルルーサーに限らず、子供のころは魚料理(とりわけ白身魚)が苦手だった。

メルルーサーが出てくるたびに机の中に隠していた。袋に入れ口を結んでいたと信じたいが、私のことだから裸の状態のまま溜め込んでいた可能性もある。まあとにかく三者面談のときにはとても気まずい思いをした。

汚部屋


一人暮らしを始めてからも、自分の部屋を〝汚部屋〟にしてしまうことを繰り返してしまった。自炊に挑戦しても、食べたあとの食器を洗わずに積み上げてしまう。可燃ゴミを所定の朝に集積所に出すのが苦手で、大きな袋を部屋に溜め込んでしまうこともしばしばだった。

集積所で知らないばあさんから鬼の形相で怒鳴られたことがある。
「あんたはここに捨てるな!」— びっくりしておどおどと理由を尋ねると
「あんた、あのアパートやろ? ここにゴミ出すんだったらな、管理費払って、回り持ちでやってる集積所の清掃をやりな」とのことだった。
アパートをよく見ると、階段下にまったく機能していないダストボックスらしきものがあった。どうやらそこに出せというのだけど、アパートの管理会社からは一言もそんな説明を受けていない。一方的に怒鳴られたので私も納得がいかず、市役所に電話して確かめたけれどうやむやにされてしまった。

それがトラウマになったのだか…とにかく集積所にゴミを出すということ自体がかなり最近まで苦手だった。ただ、こういうのは習慣化であっさり克服できてしまうもので、いまは確実にゴミ袋は貯め込むことなく出せている。それでも近所の人にエレベーターで会ってしまうのが苦手。いまだに、なにかご年配のかたに突然怒られてしまうのではないかという気分になってしまうのだ。

母親は息子の私物を覗き見ることが趣味だった


まったく話は変わるが、母親にボケの兆候が見られはじめたぐらいのころ、実家でトラブルがあったみたいだ。父親がかなり大胆に物を捨てるものだから、母親が「この人はいつも無断で物を捨てる」と愚痴っていた。

父親は私に、自身が飽きたお下がりを押し付けてくる人だ。さらにはそれを、感謝をわかりやすく示しながら受け取らないと機嫌を損ねる人だ。とにかくこの人がイライラしてしまうことが大の苦手だった。子供のころは拒んだことはないと思う。こうして部屋の中にモノがどんどん増えていく。整頓はとにかく苦手なのだ。

母親にはしょっちゅう「片づけなさい」と言われた。いや、ひょっとしたら母親は内緒で私の部屋を片付けていたかもしれない。
日記とかを見られた痕跡があった。隠し持っていたエッチな雑誌の位置が変わっていた。

その母親は現在、認知症に陥ってしまっている。診断が下ってしばらくは、父親を納得させるのがほんと大変だった。しょっちゅう「頭使わせたるわ」と言って、なにか記憶力を試すようなことばかりをやって挑発していじめていた。父親も妹も一緒になってやっていた。

母親にとって、私はむかしから「最後には必ず許してくれる存在」だったみたい。いつも心の中に土足で入ってきてイラッとしてばかりだったが、結局は許してしまっていた。なにせこの人、私の思春期にはしょっちゅう泣いたし、私が怒りをあきらめると微笑んだ。反抗期の私はふすまを蹴って壊したこともあるしそれなりに暴れたけれど、母親だって付け入ってずいぶん私の心を領空侵犯しつづけた。

帰省して父親と巨人のナイターを観戦していたときだったか、母親が寝呆けた目をしてリビングに入ってきた。カバンの中身を勝手にひっぱり出していた。
「ねえヒロちゃん、これ何やろ?」って言いながら。
捉えた昆虫をくわえて飼い主のもとに現れる猫みたいだなって思った。

中身は主に仕事のための本とか書類だったが、ふだん服用している薬とかも入っていたのでいい気分ではなかった。ああ、そういえばこの人、中高生ぐらいのときに机の中とかを漁ってたみたいだったなと思い出してしまった。ボケてしまったいま、やさしくしれっと問い詰めてみれば、ひょっとしたら過去の所業をカミングアウトするんじゃないかって思ったけれど…やめておいた。

断捨離ってのははじめると病みつきになる


現在の私の部屋は…いまはちょっとだけ散らかっている。
脱ぎっぱなしの洋服がだらしない。そもそも万年床にしてしまっていることがダメだ。紙片とか本、趣味の写真をおさめたファイルの山 … どの断捨離本にも「床の上にはぜったいに物を置くな」と指南してあるけれど、まったく守っていやしない。しょうがねえなあ。

そんな私の断捨離はある日あるとき、突然に始まることが多い。

40歳代の末期あたりに大量に捨てた。書籍はスキャナでことごとく電子データ化して紙を処分した(そのことで、今度はパソコンの中身のpdfがえらいことになっているが)。老眼で目がこれほどにも劣化するとは思っていなかったことは想定外だった。結果的には膨大な時間をかけたわりには活用できていない。

とにかく紙を徹底的に一掃してしまいたい一心で、果ては卒業証書まで捨ててしまったぐらいの徹底ぶりだった。必要なら卒業証明書を発行してもらえるだろうと思ったのだが、さすがにあれはやりすぎだ。

私の断捨離というのは、ある意味自傷行為みたいなものだったのかもしれない。

後悔しているのは、趣味に関するものをことごとく断捨離してしまったこと。学生時代に撮った鉄道写真はあまりにももったいなかった。ブルートレインとかの貴重な写真もあったのに。

あとは音楽を詰め込んだカセットテープ(学生当時はFMラジオから録音する〝エアチェック〟とよばれる方法が主流だった)。100本近くあったはず。NHKラジオの「基礎英語」を録るからという名目でノーブランドの安い生テープを買ってもらって、小島義郎先生のレッスンの上へしれっと上書きしていた。

あとはCDにも手を染めてしまった。
この数年で新たに買った数枚ほどのCD以外には、もう手元にはない。

カセットテープもCDも、それこそ二度と聴けないことを覚悟して捨てたはずなのに、なぜかいまや捨てたはずのほとんどをYouTubeで見ることができるようになってしまっているのだから…本当わからない。

いまもミニマリスト願望みたいなのはある


ある種、リセット症候群みたいなものだと思う。

ときどき散らかっている何もかもを捨てたくなる。一番捨てたいのは、確定申告で使った領収書とかのちまちました紙片なんだけどな。何年にわたって保管が義務だったかは忘れたが、無造作に箱の中に詰めこみつづけている。

あとはすっかり弾かなくなった電子ピアノと、一時期狂ったように買い集めてしまったNゲージ(鉄道模型)。ほとんど使わないのに視界の中にいつも居座っているというのはしんどい。Nゲージはいつでも捨てることができるけど、電子ピアノのほうは粗大ゴミとして出さなくてはならないのでかなりの気力が必要だろうな。

Amazonで買ったおそらく中華製の安いピアノスタンド。憂鬱だったある日、何の予兆もなくすごい音を立てて崩れてしまった。留め金をボルトで十分に締めてなかったせいか、それとも金属疲労か。
ここ何年かどうも運気が悪いが、それを象徴するかのような壊れかただった。

あとは古い布団。それと断捨離しても帰省するたび増え続ける、父親のお下がりの冬物。センス悪いくせに高いものばかりだからタチが悪い。

断捨離はそのうち、ある日あるとき突然に始まるのだろう。
近いうちに電子ピアノだな。でも…またときどき弾いてみるってのもどうだろう。
ちょっとぐらい散らかっても、断捨離はやめといたほうがいいかもな。


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