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絶滅危惧嗜好種となったタバコのこと

アイキャッチを選ぶ段階になって思い出したけど
40年来ファンを続けている来生たかおさんもヘビースモーカーだったよ…

アイキャッチは来生たかおさんの〝By my side〟(後述)のジャケ写を使わせて頂いてます


かつては在来線の通勤型ではない「近郊型」とよばれる電車 — 直角に近い背もたれをもち、2人ずつが向かい合わせで座る〝ボックス席〟の設けられた車両 — でさえ、肘掛けのところなどにタバコ用の吸い殻入れを備えていた。
特急電車の座席ならまちがいなくあったはず。国鉄時代にいたっては、車両ごとの分煙もまだなかった(全車喫煙可、そんな時代もあったのだよ)。

写真のちょうど中央にあるのが吸い殻入れ
(京都の鉄道博物館で、583系とよばれる特急の車内を窓越しに撮影した写真)

もやのかかったヤニ臭い空間が、至るところにあったよなあ。そういう空間って、いまではもう競馬場ぐらいしかないのではないかと。


酒のデビューはわりとライトなものだった


タバコの話をする前に、ちょっとだけお酒のはなしを。

酒に関しては、ひょっとすると大学に入学してばかりの懇親会のときがプチデビューだったかもしれないし、ひょっとするとまだ実家にいた時代に父親から一口だけ分けてもらったのがプチデビューか…いや、高校に合格したときかもしれない。

まだ医学生だった先生が、マンションの一室でやっていた小さな塾に通っていた。合格祝賀会のためにホテルのレストランで食事させてくれた。あのときにたしか、野郎たちのあいだでビールグラスが回ってきまして。
そのときの私はまだクソ真面目な優等生ってふうだったから、ひょっとするとせっかくのデビューのチャンスを拒んでしまった可能性がある。でも何人かの友人はビールを口にした。
いまだったら大問題になっていたかもしれないけれど、まあへべれけになるまで飲ませてもらったヤツなんて誰一人いなかったわけだからね。まあ昭和だし。

大学卒業前のいつだったかにひとりで、ウイスキーに挑戦した。たしか卒論に取り掛かっていたころ。すごくイライラしていたある日の白昼だった。実家の居間で見覚えのあったサントリーオールドを、アパート近くのお店で昼食と一緒に買ってあったのだけど、それを一気に行ってしまったのだ。

まるで無知だったものだから、水で割ることも知らずにデビューからストレートでひと瓶あけてしまった。よく急性アル中で運ばれなかったものだ(笑)。

翌日は見事な二日酔いで、卒論のために研究室を訪れたけれど…先生はなにもおっしゃらなかったけれど、自分から放つ匂いが半端ではなかった。ばれてたと思う。

タバコのデビューはそれなりに厳かだった


やはり大学時代末期の、ちょうど卒論を書いていたあたり。
友達も少なかったし、何より私の友達というのはほぼ判でも押したかのように真面目な人ばかりだった。はなからタバコになんて興味を持たなかったはずだし。

新卒で就職したあと、本格的に喫煙者になるプランをひそかに持っていた。
同期から「なめられたくない」という理由が大きかったはずだ。

当時のタバコはまだ安かった。1箱20本でまだ200円台。基本ビビりなので、デビューのために選んだのは軽めのメンソールだった。たしか父親が実家で吸っていたのはハイライトで、そりゃもうヘビースモーカーだったのだけど … あちらはおそらく、私がタバコに手を出したのとほぼ入れ替わりで禁煙に成功している。

新卒時につるんでいた(つるまされた)同期の、野郎どものなかではたぶん半数ぐらいが喫煙組だったと思う。これっぽちも社交的でなかった私が必死で道化を演じていた時期なんだけど、そんなものたちまち見透かされた。よく一緒にいた男は私を陰で盛大に笑いものにしていたし、2つほど年下の同期(1浪1留しております)からも呼び捨てで呼ばれていたぐらいだ。よほどバカにされていたのだろう。3年もたずに退社するまでの間ってのは、ほんと黒歴史でしかない。

当初はメンソールを吸ってたけれど、男性機能に影響を及ぼすなんて話が出たのでキャスターという銘柄に乗り換えた。

「おやじキャスター」とかって言われませんでした?

タバコは酒ととても相性がよかった


タバコとの相性がよいものの筆頭は…パチンコかな(笑)。

こちらも会社の同期に誘われそうな雰囲気のなか、ひとりでデビューしたはずだが、どうやら根っからの依存症体質。会社をやめてからもひとりでしょっちゅう行った。つまりパチ屋からはいい鴨にされた。こちらは結婚以後、スパッとやめた。

それはさておき、タバコのありがたいところは、飲み会のときなんかで会話に間をもたせることができることだったかもしれない。

寮住まいで働いていたから、飲み会とかコンパとかがしょっちゅうあった。

同期連中からすれば、「私飲もう」ではなく「私飲もう」といったふうだったはず。いじられてばかりだったものなあ(幾分の被害妄想も入っているかもしれないが)。カラオケが全盛だったバブル末期。ボウリングもよく行ったし、スキーもよく行った。いじられるだけだから、それほど楽しいと感じたことはなかった。なにより運動音痴だし。

口下手な私にとって酒のときのタバコはほんとにありがたかった。
それは新卒時代ばかりではなく、そのあとの会社でもずっとそうだな。

西暦が2000年に繰り上がったあたりでサラリーマンでない立場となり、そこからは飲み会自体がほとんどなくなってくれた。案外タバコをやめるきっかけってのは実は、飲み会に出ないですむようになったことだったのかもしれない。

サシで飲むのは結構好きかもしれない


新卒の会社ではあんなふうだったけど、何人かとは退職後もサシ飲みに行ったような気がする。

誘われてサシで飲むのはけっこう好きだった。

新卒の会社を退職したあと、私をあからさまにバカにしていた連中は二度と声をかけてこなくなってくれたけれど、ふたりほどの優しい元同僚が何度か誘い出してくれたっけ。もう遠い昔に関係は切れてしまっているけど…ただ、数少ない彼らに対してだけは、当時のフルネームとニックネームと顔を思い出しながら「元気にしてるかなあ」ってふうに思える。

基本的には静かな人間関係が好きだ。馬鹿騒ぎするような飲み方ではなくて、サシでちょっぴり本音を出したり遠慮がちな愚痴を出してみたりといったほうが、ずっと性分にあっている。それをわかってくれた、当時の数少ない仲間には感謝したいなっていまも思う。そのひとりはよく遊びにきてくれたのだけど、彼がお母さんを亡くされてから疎遠になった。話をちゃんと聞いてあげればよかったな。

いまはもう気さくに飲める仲間はいないから、誰かと一緒にってのなら家内との一択になる。ひとり酒のたのしさを覚えたのはたぶん30歳代になってからで、20歳代のアルコールはもっぱら飲み会のときだけに限られていた。

現在はまったくタバコを口にしない


またお酒の話になっちゃったけど…ふたたびタバコの話を。

くだんの新卒後の会社で、私の煙の吸い方を「金魚」ってふうにバカにしてくるウザいのがいた。肺に入れずに口のなかでくゆらせているからそう揶揄されたのだが、もともと気管支炎になりやすい体質だった。浪人することになってしまった遠因も、現役時の入試直前に気管支喘息になってしまったことだったし。

それはともかく、無理やり吸い始めたとはいえ、酒のおともにするタバコって結構美味い。吸い方がたとえ金魚であったとしても、その美味さはわかる。

ただ振り返ってみれば、ニコチンの効きってものが自覚できるほどではなかった。
まあ、すっぱりとタバコをやめることができたのも、そのおかげであると思うんだが。ニコチンの効きに期待するレベルまで行ってたら、私のことだから、値段が倍以上になってしまったいまだって依存しているにきまっている。

タバコをやめれてよかった。いいことづくめだ。
現在の喫煙者さんたちには、フラストレーションがたまる一方だろうけれど。

しかし、社会からタバコが駆逐されていくスピードはすさまじかったねえ。
課税して手を出しにくくするというのは一番効果があるものなんだねえ。
ついシニカルな笑いが出てしまう。

いまの私にとって、タバコとはノスタルジーという箱のなかへお蔵入りしたもの。
でも誰かと飲みに行く機会があったら、タバコを買ってしまうかもしれない。
そのときには、刹那的な甘美にでも酔いしれてみるか。
いつになるのかは、わからないけど。


By My Side に収録されている、「振り向くならせめて」というおだやかな曲がいまでもすごく好きなんです。来生姉弟の曲の歌詞にも、たばこをくゆらせて … 云々のフレーズはけっこう頻繁に登場する。


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