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注意されないように生きることなんて無理

庶民の生活はアップデートされゆくものかもしれないが、政治の本質は
中国4000年の歴史を超えて普遍的だったりするから、気をつけよう。

誰かから叱られたり注意されたりすることが苦手だ…という人はきっと少なくない。なにより私自身がそうだ ^^; 。

とりわけ親子関係に問題を抱えて生きた人(私もそう)は、人様から怒られないようにしなければ…ってふうな強迫観念が強くなりがちだと思う。誰かから注意されるたびに自分を責めてしまうわけだが…つとに思うのだが、怒られないように生きることなどは土台無理なのではないかと。

不規則な怒り方をする人がいる。自分には甘いくせをして、他人に注意することは大好きっぽい人もいる。

相手がいい人であったにせよ、これはもう自分が怒られる以外に折り合いをつける方法がないといった場合すらある。傘を持たずに出かけた先で、不意な雨に降られてしまったかのような物事だとしか言いようがない。自然現象に怒ってみたところで仕方がない。それともそんなローカルな物事でいちいち気象予報士さんを責めるのか…いや、そんな不機嫌なことはやめとこうよ(笑)。

じゃあ、怒られて(もしくは注意を受けて)どうすればいいのか。
実に簡単なことで、念仏を唱えられた馬になってしまえばいいだけなのだ。
念仏は相手が唱えるもの。だったらどうしようもない。
みずから馬になってしまえばいいだけのことだ。バカな人になっちまえ。

馬や鹿に失礼…って話ではないらしい


バカを漢字で書くと〝馬鹿〟ってふうになる。
サンスクリット語の当て字なんだそうなんだけど(当て字に至った経緯には諸説あるという)。指鹿為馬しろくいば)という中国由来の四字熟語に、その由来を求めることができるという説が面白かったので、ちょっとばかり私自身の覚え書として書きとめておく。

胡亥(こがい)という秦の皇帝がいた。
(私自身も中学教科書で学んだはずの)始皇帝の末子で、二代目の皇帝だという。まだ12歳だった彼を皇帝にしたのは、始皇帝の側近だった趙高(ちょうこう)という人物。で、趙高は胡亥を自分のいいように動かしていた。

趙高が宮中に「珍しい馬がおります」と鹿を連れてきた。 胡亥は「丞相はどうかしたのか、これは鹿ではないか」と言ったが、「これは馬です。君らはどう思うか?」と黙り込む群臣に聞いた。趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた官吏を、軒並み捕らえて処刑した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/趙高  より引用

ああ…血なまぐさいことよ。処刑だとはなあ。

余興が余興でないってのはえてして、権力者あるあるだと思う

胡亥は、趙高や彼の共謀者(閻楽)に謀られて殺されたというけれど…12歳で即位して15歳で死去したってなんなの? 世界史ってのは(いや日本史もか)「殺す」「殺される」ばかりの記述であふれている。たかがバカの語源を調べようとしただけなのに…とほほ。

東京都知事選があるというので、最近はちょっとばかり、政治関係の本を読んでみたりYouTubeで選挙演説とか政見放送とかを覗き見したりしてるんだけど … 政治家界隈ってのは深入りしすぎると実にしんどい。

公民の教科書で「人命は地球より重い」と学び、だけど歴史の教科書ではコロシアイだらけの史実を学ぶ。もちろんそこへ善悪のラベルを貼りたいわけではない。ただカオスだな…と言いたいだけ。鹿がたむろする奈良公園から近鉄電車でわずか2駅の繁華街で、安倍晋三氏が暗殺されたというのも…いや皮肉っているわけなんかではない。ただカオスすぎて…って愚痴りたいだけ。

バカになることを選ぶのも生きる戦略であるが


不条理なことには少なからず遭遇してきた。いまの私をひとことで…ってのなら「落武者です」とでも言えばいいのだろう。本業を引退したら(その時点で生きていて、かつnoteへの投稿が続いておれば)素性を明かすつもりだが、大した人間ではないけれど、ちょっとだけ業界のトップ(経営でなくパフォーマーとして)に近い人たちの近くにいたことがある。ただ…いい思い出なんかまったく無いし、そこを追われてすっかりライフポイントを失ったところをさらにしょーもない人間から足元すくわれたり…で拙者、現在の〝落武者〟って境遇に至るわけでござる。

会議で私が発言すると一同シーンとし、数分も立たぬうちに別のやつが私が言ったのと同じ発言をして「いいね!」と喝采を浴びる。

そこで学んだこと。会議で大事なのは「正しいことを言ったのか」ではなく「誰が言ったのか」だってこと。私ははなからメンツ合わせのお飾りとしてただ座っておればよく、何か有用なことを言わなければならないなどとこれっぽちも思うべきではなかったのにバカだからアホだから頑張ろうとした。
で、墓穴を掘ったってわけだ。

かりにもバカになるというのを戦略として選んだのなら、ばか高い供託金を払ってまでやることではない(ある意味アホっぽい)。それと…候補者擁立しまくってるNHK党って一体何がやりたいんだろ?

いやあ、話がずいぶん遠回りしてしまったなあ


本当はここで書きたかったのは、きのうのこのつぶやきをめぐる話だったんだ。

朝食をとりながら朝の交通情報をたしかめたら、相当時分ダイヤが乱れていた。昭和であれば会社には上司先輩より早めに出ろといわれたが、正社員ではない現在は逆に早く仕事場に入り過ぎるとかえって迷惑なんじゃないか…。そう思って、わりとギリギリの時間に赴くことにしている。とはいえ、遅刻するとなれば話は別だ。なにより現場に迷惑をかける。

会社が開く時間に連絡入れていたのでは、かえって迷惑をかける — というか、9時すぎが始業時間であるその会社に、いつから電話対応できるものが出社しているかなんてことは私の知ったことではない。いや、そこまでドライになれるのなら迷惑承知でギリギリに遅刻連絡をすればよかったのだが、基本的に私はウエットな性分である。わかりやすくいえばお節介。親切を免罪符にして余計なことをしがちな人間である。

要するにそれをやって、軽く叱られたってわけ。
担当外のことを託けるってのもアウトなんだね。私としてはただ、そのメールを担当者にそのまま転送してくれるだけでよかったのだが。

さて、ここで不条理だと噛みついたところでどうなるのか。
今後の人間関係を損ねるぐらいなら、何も言わないほうがいい。
私は政治家ではないから、喧嘩も血なまぐさいことも好きではないんだ。

何をどう転がしても泥を被るしかないことだってある


不条理ってやつにはついイラッとして、弁明してしまいたくなる。
若いころはそうだったな。まあこういうのを「言いわけ」と呼び、言いわけの評判というのは上司や親にはあまりよろしくないものだ。

かつてなら「言いわけはみっともない」と言われて終わりだったはずの物事を、いまだったらパワハラだといって糾弾できるのかもしれないけれど、たかがこれだけのこと(とはいっても何時間かはストレスをかかえてモヤモヤしたのだ)で喧嘩腰になったり敵を作ったり、あるいは私がトラブルメーカー扱いされても面白くない。

不条理であれ何であれ、結局はていのいい悪者にされてしまうような物事はいくらでもあるってば。噛みついて人間関係をこじらせてしまうよりは、あえて煮え湯を飲んで(というかこれぐらいは白湯がちょっとだけ熱いって程度だよ)おさめたほうが先々のために得策だってケースはいくらでもある。

煮え湯を涼しい顔で飲めるように、喉の粘膜を鍛えておかなくてはなるまい。

「ヒエラルキーを超えた論破」と「身の安全」とを天秤にかけたほうがよさげだ


いやあ…最近は、身の危険をかえりみず論破してしまう人が増えてしまった。

論破された側の「気持ち」はどうか。ここで納得してしまう上司っているのか?
論破を持ち出した時点ですでに、相手に喧嘩をふっかけているはずなのだが。

喧嘩をふっかける輩には強い奴も弱い奴もいるだろうけれど、なんでもかんでも相手を打ちまかそうってのは危険だと思う。そもそも組織内でのコロシアイに近い政治的な戦いまで覚悟している管理職・権力者と、ハラスメントを叫ぶ側になることの多い市井の人間とでは、喧嘩の術だとか覚悟だとかいった次元で…すでに天と地の差があるものではないのか?

喧嘩術に長けた人間というのは、やぶからぼうに怒り出すわけではない。
ときにははぐらかし、ときには論点をすり替える。まるで呼吸をするかのように、はぐらかしやすりかえをやってくる。で油断したタイミングで巧妙に、真意がわかってから大きなダメージを受けて自爆してしまうような皮肉を織り込んでくる。もちろんストレートパンチってこともありうる。

下手をすれば自殺にまで追い込まれる。
前述した秦の若き皇帝・胡亥も、暗殺ってふうになっているけれど、実際には追いつめられて自害したのだ(という)。

いや…昨日(7月1日)も地元・名古屋では、名鉄だけで1日に3件もの人身事故があったという異常事態。直因は経済的逼迫かもしれないが、遠因にまでさかのぼれば組織で「個人的なことを必要以上に騒いだのを、組織内の〝政治屋〟の怒りを買って追い出された」ことがきっかけだったりするかもしれない(もちろん個々の事件について知った上で話しているわけではない)。

まずは身の安全をはかることだ。
不快なことの不快を述べることで、誰かとの対立構造を「可視化できてしまう形にする」ことは、いまの時代(政治家が自らの戦略をもたず、民衆へ「これはあなたの問題なんです」「当事者意識を持ってください」などと丸投げしてしまうような時代)にあっては危険行為でしかない。

経営者と呼ばれし人たちも似たり寄ったりだと思ったほうがいいかもしれない。経営戦略の失敗なのに、従業員に「これはあなたの働きのせいなんです」って責任転嫁してることとどこか似ていなくもない。

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なんかまとまり悪く終わってしまったが…許してほしい。
お読みくださって、ありがとうございました。それでは、また ^^ 。

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