私も … 糖尿病を持っている
父親が糖尿持ちで、私にも糖尿の症状がある。
父親はいったい何歳までインシュリン注射なしでやってきたのだろう?
それまでは、薬物療法と並行してウォーキングで血糖値をコントロールしていた。ただこの御仁もほんと極端で、当時は朝4時起きでウォーキングをこなしていたようだ(ようだ…と書いたのは、私が実家を出て以後の話だからだ)。もう勘弁してほしいって母親がこぼしてた。生活サイクルを突然に、強制的に「4時起床! 22時就寝!」ってふうに変えられてしまったわけで、私も帰省するとそのサイクルにおともさせられかねなかった。
2型糖尿病について
まさに病名どおりなんだけど、糖が尿にまじってしまうレベルになるとすでに深刻なフェイズかもしれない。
診断は一般に血液中のブドウ糖の量で下される。
早朝、空腹時の測定値が 110mg/dL(デシリットル)未満、空腹時にブドウ糖溶液を飲んで2時間後の測定値が140mg/dL未満であれば正常。この110とか140とかの数字が、血糖値とよばれている値だ。
さらに、向こう1〜2ヶ月の血糖値の程度を知ることができるHbA1c(ヘモグロビン・エー・ワン・シー)という別の指標もある。中学で学んだはずの赤い色素をもち酸素運搬をになうというあのヘモグロビンが、どのぐらい血糖と結びついているか — その割合を示す数字らしい。5.6%未満が正常。まじめに病院に行ってたころは「6%未満をキープできるように頑張れ」とお医者さまから言われていた。6.5 %を超えたなら、有無をいわさず糖尿病の確定診断がおりるはずだ。
私に糖尿病の診断がおりたとき、Amazonで血糖値測定器を買った。
測定器自体は1万円しなかったと思うが、薬局でしか買えないチップと呼ばれる交換部品(測定ごとに新しいものを用いなくてはならない)がとにかく高すぎて、測定は1年ほどで挫折した。なお、インシュリン注射が必要なレベルの患者さんは保険適用ですべて購入できるはずだ。
私の場合、血糖値が食後に一気に300mg/dL 近くまで上がっていた。2時間後でだいたい100〜150mg/dL ぐらいに落ち着いていたのだが … これらは新型コロナ流行前の数値だ。医療機関がパニックになって通院できなくなってしまい、実はそれきりになってしまっている。たぶん悪化していると思う。
血糖値が一気に乱高下する症状(血糖値スパイクとよばれる)が私にとっての悩みの種。おそらく血糖値が下がるタイミングなのだと思うが、とにかく眠くなる。電車の中で眠っている時間というのがほんとうに増えた。
糖尿病で最も深刻なのは、その高すぎる血糖が血管をボロボロにしていくこと。ふだんは痛みも苦痛もマイルドなのだが、高血糖ゆえの二次的症状がくるとえらいことになる。これはいちばん最後に触れてみようと思う。
命を守るために、あまりにも残酷な判断をせまられる。
正直、キーボードを打つ指が鉛のように重い。
悪い生活習慣がトリガーであるにせよ
基本的には遺伝病なんだと思う
1型糖尿病とよばれているほうは、生活習慣とはまったく無関係な糖尿病。どれほど節制して暮らしてたとしても、罹患してしまう可能性をもつ。
他方、2型糖尿病は生活習慣とわりと密接な関係を持って発症する。私の発症は40歳代前半あたりだったと思う。別の病気で激痛に耐えながら病院を訪れて採血したときに「あなた糖尿だよ」ってふうに指摘されたのだ。尿路結石の鎮痛剤は「これは場しのぎで大丈夫だからね」ってふうなのに、初期糖尿のための薬のほうは手厚く処方された。
当時の私はかなり不摂生で、体重も現在より15kg以上重かった。仕事ばかりやっていて、人間関係ではなく仕事のしすぎのほうのストレスだらけ。過食症ぎみだった。まあ現在は…ギリセーフっぽい。ちなみに身長がちょい低めなので、今回はスクショに海苔を貼らせていただいた。
さてと…いちばん大切な話をしなくてはならない
マジで辛い。ほんとに辛い話だ。
ぴっかり投法(投球時の構えで帽子のつばに触れてハゲ頭を露出させ、バッターの意気を削ぐ魔球投法)などで、近鉄ファンはもとよりプロ野球界全体を盛り上げてくださった、元近鉄バファローズの佐野慈紀(重樹)投手。
ファンサービスでは本当笑わせてくれた。
何より実力だってピカいち。日本プロ野球界では中継ぎ投手初の1億円プレイヤーになった(1996年オフ)。
ピッチャーとしてかけがえのない肉体のパートナーであったはずの右腕。
長年の伴侶であったはずの〝右腕〟と決別されることになったというご報告だ。
ショッキングだがストレートに書こう。
生きるために右腕を切断するというご決断をされた。
佐野選手ご自身がブログ上で話されている(「56歳」という記事で報告されており、ご本人の思いも綴られている)。
だけど佐野投手には、活躍していたころの映像コンテンツが山ほど残っている。
一世を風靡したアーティストの伝説ライブのように。
ティーンエイジャーから20歳代にかけての若さ・輝きそのままに、
パフォーマンスを映像コンテンツとして
瑞々しい容姿を写真集として残したアイドルのように。
私のような凡人としてしか生きられなかった者に、自身の若かりし頃のアーカイブコンテンツなんてものはひとつもない。何枚か記念写真みたいなものが手元にある…というだけで精一杯だ。
佐野選手の偉業の映像、ピッカリ劇場のコミカル映像。
彼の輝きは永遠にアーカイブされ、多くの人に見られ語られ
しっかりといつまでも残っていくと思う。
だいじょうぶです佐野さん。バファローズファンってのはこってりですから ^^。
佐野投手以外に、すごく気になっている方がもうひとりいる。
元全日本プロレスのレスラー。谷津嘉章さん。
深夜の全日プロレス中継を,大学時代には毎週欠かさず見ていた。それだけに…右足を切断してしまったというニュース(2019年)はすごくショックだった。実はこの方、切断手術のわずか2ヶ月ほど前まで試合に出ていたのだ。すごいのはこの方、義足になってなお復帰を果たし、健常者のレスリング大会にまで挑戦しているというのだ。
最後に
何度か私自身の記事でも書いているけれど、誰もが最後には死を迎える。
そして死ぬまでに … 更年期をはじめとして、いくつかの肉体や身体機能との別れがある。最もわかりやすいのは歯だろう。すでにブリッジにした義歯が1本ある。
目もすっかり衰えた。好きだった読書もだいぶ制限されたものになりつつある。
絶対音感も低いほうへフラット気味。私自身のラ(A)の音はもう440ヘルツではない。こんなことぐらい、些細なことでしかない。
私がいちばん恐れていること。
糖尿病の重大なリスクとして、失明のおそれがありうる。
糖尿病網膜症というやつだ。いまもし目をやられてしまうと、もう私には何も残ってない…ってほどのダメージを受けるだろう。それが起こらないとも限らない。
必要なメンテナンスはしっかりやっていかなくてはならない。
生きるためにボディケアをするわけだが
ボディケアが生きることの目標というふうには生きられない。
肉体をさんざ痛めつけ泣かせがら、浴びるように酒を飲む日だってある。
有名人ゆえに無理をして、豪快な遊びに付き合わなくてはならないこともあっただろう。昭和のスポーツ選手なら尚更のことだと思う。
佐野さんの薄氷を踏むような場面でのピッチングは、永遠に映像として残る。
私のようなファンの記憶にも残る。
YouTubeなどで過去の投球映像や試合映像を見ると思う。きっと見る。
映像コンテンツを通じてだけど、かならず見にいく。
忘れない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?