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散髪

かなり髪が伸びてきた。そろそろ理容室に行かなくてはならない。

歯医者さんのように痛いことをされるわけでもないのに、実は理容室ってあまり得意ではない。頭はもうボサボサなのに…この1週間ほど先延ばしにし続けてしまっているし、先延ばししている間にも毛は伸びる。細い毛根のくせして散らかしたように伸びる。

日曜日だし今日こそはと思っているのだけど…日曜はたいてい混んでいる。混みすぎていたら、また今度ってふうになるんだろうな。

とうとう格安カットに手を出してしまった


かつて行きつけだった理髪店は、かれこれ20年近く変えなかった。
理容師さんが5人ぐらいいて、思い入れのある人がおれば指名での予約もできる。
ただ、私はファッションにも髪型にも無頓着だから、ふつうに現状の髪型を保って短く刈ってくれさえすればそれでいい。だから、誰に刈ってもらうかについてはまったくこだわりがない。

ただ、ひとりだけ〝うっかりさん〟がおられて、その方にやってもらって帰宅すると、家内からきまって「左右の鬢(びん)の高さが微妙に違う」と指摘を受けた。鏡をみるとたしかに左右のバランスが悪い。なぜかこの人、毎回のようにそうなってしまうのだ。

いずれの理容師さんとも雑談をしたことがなかった。20年近くも通っておいてこれだから、気味悪い常連客だなって思われてるかもな、それだったらイヤだなあ…という引け目があった。

このお店も、この不景気のあおりで5000円札1枚ですまなくなってしまった。

5000円出すぐらいなら、いまどき1000円カットってのがあるではないか。

かつてはそこそこ高い洋服を多く持ち、見た目にはすごくこだわっていた父親。そんな彼が仕事をリアイアしてから愛用しているのが、近所の1000円カットだという。見栄えは全然悪くない。サービスとしては、洗髪してくれないことと顔剃りがないことだけ。洗髪ならさっと帰宅して洗い流せば済む。

懐具合が悪くなって、とうとう私も行きつけのお店に別れを告げ、駅前の2000円カットに手を出してしまった。とにかく効率重視らしく、10分ちょいぐらいで手際よく済ませてくれる。面倒な雑談もそこそこに、黙々かつパッと仕上げてくださる。少なくとも私の性格にはとても合っている。
帰宅してしばらく家内には黙ってたけれど、その頭が(告白するまで)〝格安カット〟だと気付かれなかったので、以来そこが新しい行きつけになっている。

これまでの半額以下だから、わりとこまめに散髪に行ける…と期待していたのだけど、やはり散髪って苦手なんだな。なかなか重い腰が上がらない。

女性って自分の容姿を楽しむことが上手だよね


一方、家内のほうにも行きつけの美容室があるみたいだ。

1回で1万円近くかかるらしいし、通う頻度も3〜4週に一度ぐらいではないか(私のほうは1ヶ月半に一度ぐらいだと思う)。高いよねえ…。

いや、そのあたりにまったく不満はない。むしろ「まめに外見磨きできるだけの気力があっていいなあ」ってふうで羨ましい。私より少し下 —でも しっかり50歳超え。体型こそ〝言わずもがな〟なんだけど(いや私だってそうですから)、顔のほうは私と同じく若見えするほうだ。

朝の洋服選びも、遅刻しそうだと言いながら着たり脱いだりを繰り返していることが常だ。私といえば(週ごとに仕事をする職種ゆえ)前週とかぶらないようにってだけは意識するけれど、数少ないレパートリーの中からほぼ〝即決〟する。できれば、ビル・ゲイツみたいに同じ服を何十着持って着回したいぐらいだ。そのほうが、そのシャツが自分のアイコンにだってなるし…格好いいよね。

家内も娘たちも「どれだけ服持ってるんの?」ってほど洋服を所蔵している。私も何も考えずに買い与えていたし…っていうか、やはり若い子が見た目を磨くってのはきっと本人も楽しいだろうし、見る側である私のほうだって楽しい。

でも自分がもし女性だったら…いわゆる腐女子化すること請け合いだ。

格安の功罪 (1)


サービスの提供を受ける側からすれば、そりゃあ安いことはありがたい。
でも、私が働く側だったなら…と思うといたたまれなくなる。

たとえば、薬剤師さんは国家資格を取って従事する専門職だけど、最近はチェーン店の片隅にある調剤薬局がすごく安い時給で求人していたりする。人のいない時間帯には、薬剤師さんみずから市販薬のレジ打ちまでやっている。

バスや電車の運転手さんだって、かつては高給をもらっている(とりわけ市営交通などでは)としばしば言われていたけれど、現在はすっかり平凡ってふうみたい。しかも、なり手不足だから負担はますます増えている。

あとは宅配便。セールスドライバーといわれて縞のシャツを着て奔走していた方々。かつては「激務だけどすごく稼げる」ってふうに言われてたけど、物流サービスの価格崩壊のあおりで、以前ほどには稼げなくなっているみたいだ。

変わらず安泰なのは、政治家さんと公務員さん(過度な激務にある学校現場は手放しに「いいなあ」とはいえない)とお医者様ぐらいだろうか。あらゆる業種で、とりわけ契約社員とかフリーで従事しておればもう目の当てられない相場状態と化している。音楽とかアニメとかの制作界隈もそうだ。大好きなだけに心苦しい。

格安カットにも、かつてはそれなりのお金をもらっていた技術士さんが、生活のために入り込んでいると伺ったことがあったかな。さらには私の本業単価のほうも、相場がもはや10年前の半分以下まで落ち込んでいる。

格安の功罪 (2)


就業単価が下がると…当然ながらサービスの質的な差が目立ち始めてくる。

これは書こうかどうかずいぶん迷ったのだけど…「書き物」の世界も然りではないだろうか。かつては専門家が専門性のある人にしか書けない文章を著し、そこへ出版編集者の手が入って書物というものは世に出ていた。最近はAmazonをはじめとする、自費出版の敷居がずいぶん低くなっている。

専門外ながら「わかりやすく教える」ことを売りにした書物が激増した。とりわけweb界隈は〝教えたい人〟ばかりのバブル状態って感じをしばしば受けてしまう(もし気分を害されたならごめんなさいです )。

似たようなことは、教育のジャンルにも感じてしまう。

「教育者」ってのはわかりやすく教えることのエキスパートであるからして、必ずしも専門家が教育を任されているわけではない。熱心な教育者は、知識の弁士として学生を適切に教えるための(己の知識のための)自己研鑽を怠らないはずだし、自身の無知への自覚も備えているだろう。

ヒエラルキーが大好きで、ときに生徒に猥褻なことをやらかしたりする輩は退場してもらうしかない。

やはり賃金があがらないことには
社会が元気になれないと思う


人生のかなりの時間を振り向けるはずの〝仕事〟を通じて専門性というものが醸成される。もちろん、知識教養の〝弁士〟として生きていく選択肢もあるが、肝心の価値に関していえば難しい。よほど〝弁士〟として優れておれば話は別だが。

ChatGPTから得た知識を加工したり整理したりして「わかりやすく」伝えるという役目も、食べていくことに値するものだとは考える。だけど、よほど「わかりやすく書ける」「正しいことと正しくないことを取捨できる」人だけしか生き残れまい。

宣伝して成果を出すことは、ある意味作り出すこと以上に難しいことであり、それを懸命に実現しようとなさっている方々には、ただただリスペクトしかない。

私自身が心がけていることは、専門家に勝とうとなんてしないこと。
自分がただの似非ソフィストとして生きている自覚を持つこと。
私が手にしているものは現状、無知の知だけなのだ。そのことに謙虚になりながら、許されるいくらかの発信をしていくことしかできないと思う。

わかりやすく何かを伝えるために、ときに軽い嘘をつかなければならないことがある。学校の教室ぐらいの範囲だったら、理解させるために相手の表情・習熟度をみながらという前提でそういうのもありかもしれないけれど、コンテンツとして残るものや莫大な売り上げを果たせるだけのスポンサーがついている人がそれをやってしまって「俺様はすごい」と言ってるのはまずいかと。

マスコミが持ち上げる多くのもの、もしくはトレンドってやつは、そういう一面を備えている。ファクトチェックは大事だ。

ChatGPTはその〝ファクトチェック〟を正しくやってくれるのだろうか。
私もしばしば使う練習をしてるが…ちょっと不安は残っているんだ。

本当は、散髪にだって交通機関にだって音楽にだって…何に対してもプロのお仕事に対して「対価に見合ったお金を出せる」社会がベストだ。

それがいまや、とにかく安いサービスに群がらざるを得ない。

本物に対して額面通りのお金を出せるってのが、いちばん幸せな社会なのではないかなあ。強くそう思っている。

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いつものことだけど…なんで散髪からこんな話になるのやら ^^; 。

表題と結論がちがうってふうに、大御所のかたからは怒られてしまうような駄文。
まあ「つれづれなるままに」書いて遊んるだけですってば。許してにゃん♡

相変わらずの暑いなかですが…おつきあいありがとうございました。
上手に水分とって、適度に涼みながらおすごしください。それでは、また。

散髪にいってきま〜す💈。

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