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車の運転を真面目にやっておけばよかった

せめて、アイキャッチだけでもポップなものにしておこう

私はペーパードライバーだ。
自動車免許は一応持っているが、身分証明証の代わりとしてしか機能していない。身分証明証としていえば、これほど信用性の高い公的証書はない。そういう意味では、自動車学校に通った費用は十分に元がとれていると思っている。
たとえ過去に、教習所に三度通っていても…だ。

一度目は大学時代。仮免まで届かなかった。怒られた瞬間に身体がフリーズしてしまい、さらには頭の中がパニックになってしまう性分で、さらにパニックのところを教官から追い討ちをかけられるわけで、無理だと感じて投げ出してしまった。

二度目は新卒での就職先で働いていたとき。「名古屋じゃ車なしではやっていけんよ」とおせっかいな同僚連中から言われつづけて、仕方なく入校したもの。敷居を下げるためにせっかくオートマ限定で入校したのに、すでに第一段階から教習所に足が向かなかった。

そこを退職し、さらに転職先も長く続かなくて、次の就職までに若干のブランクが生じてしまった。そこで三度目の教習所に入校した。今度はオートマ限定でなくマニュアルで入校したが、どうにか卒業することができた。オートマかマニュアルかなんてことは、それほど関係なかったのだ。

自動車免許なんてどうでもいいと思っていた


生まれ育った関西は鉄道網が充実しており、父親も免許は保持していたけれどかなりの長い間ペーパードライバーだった。父親は転職を機に自動車学校に行き直し、40年ほど車を保有し運転しつづけた。営業職につくことになったので仕事で必要になったのだが、その会社を最後まで勤め上げて重役にまでなったのだから(いわゆる毒親ではあったのだけど)私より数段立派だと思う。

名古屋はたしかに〝車社会〟なんだけど、現状、公共交通機関だけで十分どうにかなっている。車がないから…という理由で何かを諦めたことはほぼない。本当に困った状況であれば家内が運転してくれるし。

新卒のときの同期たちは、持っている車やこれから買おうと考えている車の話で盛り上がっていたけれど、そもそも私は車そのものにまったく興味がなかった。車種とか車の名前なんて言われても何もわからない。なんで100万円以上もする買い物を、好きでもないのにやらなくてはならないのか…と内心思っていた。

交差点での判断に自信がない


とはいえ自転車がまともに乗れたわけだから、忍耐力があれば大学生のうちにどうにかなったのかもしれない。でも、さすがに自動車は公道を走る凶器なわけでもある。悪意がなくても人を殺してしまいかねない。
向いてないと思ったら乗らないのが身のためだ。

ただ昭和にはあまりそういうふうに見てくれないところがあった。
当時は車の免許を持っていないというのは、ほぼ「何かが足りない人」というレッテルを貼られることでもあった。

教習所に行ってたときから感じていたが、たとえば左折に関する苦手意識というのはほとんどない。むしろ右折のほうが苦手だと自覚していたぐらい。

直進する対向車をうかがいながら…というけれど、できれば対向車がすべて通りすぎるまで待っていたいと思ってしまう。
かといって待ってしまうと、渋滞の原因を作ってしまうかもしれない。
あるいは、後ろの車からクラクションを鳴らされてしまうかもしれないのだけど、そのクラクションが大の苦手。あれって怒られているような気分にさせられてしまうから。それ以前に、人をイラッとさせてしまうことさえ極度に苦手なのだ。

どうやら一番苦手なのはクラクションっぽい


これまでの私は、運転が苦手な理由として「交差点での状況判断がうまくできないんだ」ってのを答えにしてきたのだけど、そういうことではないかもしれない。
クラクションが苦手だという理由がいちばん最初にくるみたいな気がしてきた。

私自身の記事ではしばしば話題にしてきたのだが、父親がすぐにいらっとしてしまう人で、かつすぐに怒ってしまう人だった。私の幼少時代というのは、まさにこの人をいらっとさせないため、またこの人を怒らせないためにどうすればいいのか…ということがすべての行動基準だったといっても過言ではない。

ああ、そうかもしれない。私がしんどいのはきっと、後続車のクラクションだ。
父親や周囲の人間の怒鳴り声とまったく同じ機序なのかもしれない。
いま、この記事を書いていてはじめて抱いた着眼だが、ものすごく腑に落ちている。むしろ、この歳になるまでわからなかったのが不思議なぐらいだ。

それと、私は咄嗟に感情をコントロールすることができない。

侮辱を受けたときもそうだ。父親のような「瞬間湯沸かし器」でなく、はじめは呆気にとられるだけで、後になってから怒りが沸々と湧き上がってくる。怒りが最高潮に達したときには、たいていそのコミュニケーションは終わってしまっている。

あまりにも納得がいかないときは、やはり怒りを表明するわけだが、相手にしてみれば「後になってなに言っとんねん?」ってふうなのだろう。そういうときにぶつけた大きな怒りは、たいてい物事を拗らせてしまう。
で、結局は私が煮え湯を飲むことになる。相手はノーダメージ。しんどい。

優先道路での躊躇


さらにいえば私は、自尊心が極度に低い(なのに母親は、子供のころから私に対して「あんたはプライドが高すぎる」と言いつづけていた…あれは何だったのだろうか?)。親子関係にとどまらずあらゆる人間関係で、相手と自分とがそこにおれば、どういう状況であれ相手のほうが偉いということを前提してコミュニケーションを進めてしまうところがある。

優先道路という概念に対してさえ、自信がもてなかった。
そもそも法律なのだから、正しく見て正しく運転すればいいだけなのだが、私に心の中というのははいつでも「相手が走っているからそちらが優先道路」「私が走っているからこちらは優先道路ではない」… これが私からみた世の中の景色だ。

些細なことであれ重大なことであれコンフリクトに対しては、たいてい私が悪いという前提で物を見るくせがついてしまっている。それを利用されたことが何度もある。だったら学習しろよ…コンフリクトのない人間関係なんてものはまずあり得ないわけで、そのたびに自分が悪くもないのに謝ってことをおさめようとしてしまうものだから、非常に便利な人間として扱われてきた。

ますます開きなおる人間が増えつつある


この性分に対して、私はいつでも「仕方ない」と思っていた。喧嘩が苦手なんだから、丸腰で生きればいいじゃんといったふうに。

ただ…最近の世の中を見るに、丸腰では自分の生命すら危ないのではないかと思いはじめている。物を売る人は客をモンスター扱いすることが当たり前になり、物を買う私が売る人から高圧的な態度をとられても文句をいえない時代が到来してしまった。

いや、別にいいんだ。ただ、もうちょっと物腰柔らかく言ってくれればいいのに…といったことが増えている。実は昨日もあった。ちょっとだけ…ね。いいんだ。

私の心の中って実は、現代社会を先取りしていたの?


日本人には「謙虚さで商売をする」という、外国人にはない民族性がある。
実際、外国人は日本人のホスピタリティーにすごく驚き、喜ぶのだという。

外国人ならルールブックにない物事は毅然と許さないに違いないのだが、日本人はどうやら「あなただけは特例で許します」— つまり客をVIP扱いするようなやりかたでお金を稼ぐというところが多めだった気がする。

ところが、これほどにもギスギスした世の中となってしまった。

いまどきの会社というのは、もはや「家族のように温かくて、終身雇用の終わるまで見守ってくれる」存在なんかではない。むしろ、従業員から何をピンハネして安く雇おうかと考えているかのようにさえ見えてしまう。

顧客がどれほどわがままでも、上司は「顧客の心をつかめ」と言いつづける。努力しようとする者ほど心を病む。コンプライアンスとか自称対策みたいなのが増えてきたけれど、今度はささいなことを刺々しい物言いで対応するような風潮が生まれつつあるのを感じる。店員さんも顧客を怖がっているし、私も最近はちょっと物を買うことでさえ怖いことがある。

現代社会ってものが、どこでもここでもクラクションを鳴らしあいながら走る車のように見えてしまっている。

教習所に通い直すって手もあるけどなあ…


現在の本業がいよいよ先の見えないものになるのなら、それも考えねばなるまい。

むしろ、また失敗ばかりしながら教官からお墨付きをいただくというプロセスを経験してみるというのも、アクションとしては悪くないのかもしれない。
教習所も最近はやさしく教えてくれるとも聞くし。

お金が問題だな。生活でさえもう大袈裟でなく大変なのだが。

じゃあそろそろ安楽死でいいです — と冗談半分で言おうとしたら、今度は「安楽死は若い世代のためのものだ」という主張をネット上で見た。とうとう安楽死の権利をめぐる世代間闘争まではじまったのか。

結構がんばって生きてきたつもりなんだけど … 理由もきかず自助努力が足りないと言われるのだろう。この歳になっての努力って、たぶん30歳代のときの努力の2倍ぐらいの負担がかかる。しんどいね。

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