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ただ、そこにあっていい

4月27日(土)
昨日は会社の人と遅くまで飲み、私にしては珍しく0時を越えてから帰宅した。夫はすでに寝ていた。酔いすぎて頭が痛いと思いながら風呂に入り、私もすぐに寝た。

起きて朝、ゴミを出さなければと思いつつベッドから出ることができない。もう本当に、これ以上寝たら収集車がくるぞ、というところまで寝て、しぶしぶ起き、ゴミを出して、また寝た。
途中、そういえば文フリの12月のやつ、申し込みスタートしたやん、と思い出しスマホで申し込んで、また寝た。

ドアチャイムが鳴る。外が騒がしい。今日は集合住宅排水管清掃の日!?と気が付き、玄関を出る。清掃の方が二人、来てくれた。部屋着のままで対応し忍びなかったが、清掃してもらいありがたい。排水、特に詰まってないですね、と言われて一安心。清掃、なぜか明日だと勘違いしていた。冷蔵庫にお知らせを貼っていたのに、日取りを勘違いするとは。

夫を起こし、アイスコーヒーを入れ、トーストを焼いて食べる。
食べながら、ここ一ヶ月くらい、言おうとして言えなかった事を、今日言うぞと覚悟を決め、ソファに寝そべっている夫の手を握る。まだ口の中にある黒胡麻トーストを噛みながら。

私、ずっと日記を書いていて、それを本にしようと思うんだ。その日記には、あなたのことも書いてある。だから申し訳ないんだけど、でも本にする。

言えた。やっと言えた。

そんなのやめなよ、とか、どんなことが書いてあるの、とか尋ねられるのが怖くて言えなかったのだが、夫はそんなこと言わなかった。

いいじゃんいいじゃん、やりなよ。
そんなふうに言ってくれたら嬉しいんだが、と思う、そのままの言葉が夫から出た。安心した。
嬉しかった。
私の本は、たぶん全然売れないけど、売れなくてもいいと思った。私は記録を形にしたいんだ。

やりたい事をやってもいいんだ。


洗濯物を干しながら、そんなことやらなくていい、なんて言われなかった、夫はすごい、と思った。
否定されなかった。
私も夫のやりたい事を否定しないで応援しようと強く思った。そんな事当たり前なんだけど。
否定されずただ、やりなよやりなよ、と言われる事の肯定感よ。すごい。私が夫の立場だったら、ちょっと何が書いてあるか知りたいから読ませて欲しい、って言うかもしれない。でも夫はそう言わなかった。生きていていいと言われた様な気分だ。そんな事当たり前なんだけど、わたしにとっては当たり前じゃない。やりたい事をやっていいし、生きていていい。尽力して書いている文章が、ただそこにあっても、いい。洗濯物をハンガーにかけながら、すごい、なんて事だと思った。文明開花くらいの転換が、起きている。
日記を書いて、本にして、売る。たくさんの人がすでにやっている、なんというか今となってはメジャーな行為とも言える事が、わたしにとっては未知の大冒険だ。夫に話をしただけで、まだ何も進んでいないのにもう嬉しい。

葉々社さんが、本に関する相談を受けますよ、というイベントの告知しているのを観て、少し考えて、申し込みした。2名まで、と書いてあったから難しいかもなと思ったけど、お席用意出来ますとの返信が、すぐに来た。
嬉しかった。


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