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目に見えないものへの愛

 2020年8月。かつてない忙しさを経験した夏だった。忘れるので振り返っておく。6月後半、研究として賀川豊彦『宇宙の目的』の註解をやってみた。その後、少し休憩を置いてから、怒涛の日々となった。

 大学の公募に応募してみたり、論文を書きなおしてみたり、憧れてはいたが挑戦する機会のなかった仕事を頂いたりした。当然、これらに加えて通常の書き仕事や宿直があった。

 今年の梅雨は長くて、七月一杯、雨だったように思う。今日会った畏友いわく「ミャンマーの雨季の感じによく似ていて、日本もいよいよ亜熱帯化しているんだな」とのこと。なるほど、これは亜熱帯の気候か…。

 8月1日。梅雨が明けたときいて、外に出た。仕事へ行くために歩道を歩く。思わず「八月のイデア!」とひとり言ちてしまった。やかましく鳴き喚く蝉の声、焼けつくような陽射し、アスファルトの照り返し、まっしろにもくもくと立ち上る雲、それとコントラストを描く絵具で塗ったような青い空、それらを支える濃い緑の街路樹、夏。

 スマホの画面光量を最大化したような車窓をみながら、ふと思った。

 あぁ「愛する」ことは最後には「つくる」ことへ向かうんだな…。なんだか納得した。多くの人にとって、当然といえば当然だ。誰かを愛することは、子をつくることに繋がる。国を愛する者は、国造りを志す。
 この愛から創造にいたる志向は、おそらく人類の拭い難い本能なのだ。たぶん、子を成すことよりも、強い本能だろう。または、それは本能ではなくて文化なのかも知れない。もっとも「本能」と「文化」を分けることは難しい。端的にいえば「文化」とは、「本能」が地域・時代・集団ごとに複雑化されて、本能それ自体を抑制するような方向にさえ動く総体的な作用だ。
 だから「文化と本能」は、少なくとも人間にとって同根の本質である。または、人間は「動物としての本能」と同時に、もう一つの本能「文化」を持つ動物だ、とも言えよう。本能の重複、二重の本能を持つ動物であること、それが人類の本質なのだ。
 動物としての本能に加えた、もう一つの本能「文化」の核となるもの。それこそ、愛から創造にいたる志向にほかならない。これは、とくに「目に見えないもの」を「つくる」ことにおいて発揮される。
 目に見えるものを作る行為は、一般に広く動物にも観測される。巣穴やテリトリーは、その典型だろう。動物行動学から人間を観察すると、それらは人類にも当てはまる。しかし「目に見えないもの」をこれほどまでに愛する動物は、やはり人類くらいしかないのではないか。
 そして、はたと気づく。今回頂いた新たな仕事の本質は、まさしく「目に見えないものへの愛」を育むことである、と。
 ここまで来て、ぼくはようやく理解する。「目に見えないもの」を愛する点においては、神への愛も二次元キャラへの恋も同じではないか。
 無論、新約聖書「第1ヨハネの手紙」冒頭は反論になるかも知れない。キリスト教の神は「聞いて、よく見て手でさわったもの」だ、と。
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について― このいのちが現れたので…
 しかし、後の世代に伝えられたのは、やはり肉をもたない「言葉」なのだ。この「言葉」は、誰かがそれを読むとき、クマムシのように息を吹き返して、突然、いのちの輝きを増して復活する。「キリスト教」は、そんな「言葉」への愛である。国語/日本語学の泰斗、金田一京助はこのように言う。

 8月31日。8月1日の午後に上掲まで書いたまま、止まっていた。たしか金田一の言語の定義を引用しようと思っていたが、気がつけば一カ月過ぎていて、8月もあと1時間ほどである。今日は宿直帰りに、いつものように贔屓の喫茶店に立ち寄り、いつもとは違って作家の友人らと会って久しぶりにゆっくりと話した。

 7月前半を除いて、6月中旬から8月一杯が自分史上最大の忙しさを極めたわけである。夏休みの毎日がエブリデイのような人生を送るのが目標ではあるが、たまにはこんな夏も悪くないなと思った。

 今日は宿直上がりに、そのまま職場から大東市の友人の仕事先までいって中古でサーフェスGoを譲ってもらい、今後の作業用PCとすることにした。その後、ネカフェで10分だけ横になってシャワーを浴びて、東京から来た友人を囲んで楽しく話した。

 連日35度をこえ、日によっては38度だの39度だのという数字が見えた毎日だったが、9月になれば少しは涼しくなるのだろうか。2020年8月、忘れ得ぬ夏のわりには、働いていた記憶しかない。最初に思わず出たひとりごと「八月のイデア!」と「愛することは作ることにつながる」というアイデアを、記憶のために、ここに置く。それ以外は、ほぼ働いていた。

 明日も次の〆切を目指して仕事である。作品世界を愛するがゆえに言葉でつくり、作ることで愛したい。「目に見えないものへの愛」を育む仕事をしたいと思う。

 10月になれば、少し、ぼくの生活にも変化が訪れる。その頃には、少なくとも来年の身の振り方も決まっているだろう。とりあえずは、いま取り組んでいる仕事の質を上げること、それが終われば11月の発表に向けた研究を行うこと、一時停止中の博論と単著の執筆を再開すること、そんなこんなで、ぼくの2020年は終わるだろう。

 死なないように、倒れないように、できれば関わる人たちが笑えるような結果を目指したい。この8月、唯一の後悔があるなら、三条MOVIXのMOTIONダイナーへもう一度いけなかったことである。数度しか行っていないが大好きなバーガー屋だった。今まで有難うございました。

 そんなわけで、あと一時間。できれば暑さとともに去りぬ夏であってほしい。さよなら、2020年8月。

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