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ぴるぐりめいじ

 先日、米国在住の友人と話す機会があった。懐かしき学生時代の友人である。ぼくは17才で信仰をもって、大学のために関西に出てきた。それ以来の友人なので、細く長く、20年近い親交がある。しかし、混合・変化・分離・分割し続ける自分の信仰を説明するのは、少々難しかった。だから、メモとして置いておく。

 地元から関西に出てきたぼくは「福音派」の人々に出会い、彼らに涵養された。「福音派」は、ぼくの揺藍だった。彼らは「聖書」を良くも悪くも「まっすぐに信じている」と信じている人々だ。その多くが清廉潔白な、日本語における「クリスチャン」という渾名とイメージにふさわしい人々だった。また福音派を知ることで「ペンテコステ派」も知ることができた。

 若者でなくなる頃まで「クリスチャン」の皆さんに迷惑をかけながら暮らした。だから思想として距離ある今でも、彼らへの深い敬意は変わらない。キリストのゆえにキリストとともに平に伏して彼らにはお詫びし、感謝したい。過ぎたことは、感謝と謝罪しかできない。だから謝罪と感謝しかない。

 話を戻す。福音派の中で育ったぼくは、やがて「改革派」に出会う。それは、プロテスタント宗教改革の保守本流だ。「プロテスタント」「宗教改革」をどう理解するか、というのは、かなり大きな命題だから、ここでは措く。

 一般に「プロテスタント宗教改革」とは、ルター派と改革派、または再洗礼派を加え、聖公会から離れた清教徒や新大陸を目指した者たちの総体を示す。委細を省くが学生の頃、とある「再洗礼派」の教会へ通えたことは、いま思うと大きな財産だった。

 この再洗礼派も広い意味で、福音派の一部を為している。ちなみに福音派は「簡易信条」主義であり、改革派は、ガチガチの「信条主義」である。前者は、教理の大まかな要約と同意で連帯し、後者は精確で厳密な「聖書と教会」の理解に基づいて「改革され続ける」共同体を目指す。

 「改革派」教会は、歴史に接続した教会なので、否応なく先輩であり兄弟である「ルター派」が見えてくる。ルター派と改革派の神学思想は、キレイな不整合、または対称を示す。どちらか一方を学ぶことで、他方が見えてくる。

 さらに「プロテスタント宗教改革」の隣人に「聖公会」がある。イングランド人の欧州に対する独特な位置を保存しながら、彼らは大英帝国という普遍性の夢をみ、プロテスタント、カトリック両者の橋渡しを行ってきた。とくに今では懇意の友となった司祭との出会いは大きなもので「歴史」の体現者であることを教えてもらった。

 ぼくは福音派で信仰を得て、再洗礼派の教会に通い、改革派を学ぶことでルター派を知った。地元の教会は、少しきよめ派とペンテコステ派のエートスある教会だった。つまり、ぼくは信仰の幼年期から青年期にかけて、主要なプロテスタントを、期せずして経験することになった。

 歴史的「プロテスタント」を知ったぼくは、当然のことながら自身の出自である「福音派」を相対化したように、「プロテスタント」も相対化した。キリスト教的精神として、他者を批判するなら徹底的に自己批判せねばならない。結果、ぼくは自己解体した。

 しかし、キリスト教は「プロテスタント」だけではない。色々あって、京都に漂着したぼくは京都学派の学統の門前小僧となり、末席に寄せてもらった。知人牧師の厚意で日本基督教団へと転会し、しばらく通ったのち、より近所のカトリック教会や聖公会へと参列するようになった。迷惑をかけても悪いので、退会したいのだが、そういう手続きが存在しないらしい。また大祭時には、正教会にも見学に伺い、のちにはコプト教皇タワドロス2世に拝謁する機会も得た。つまり、プロテスタント、カトリック、正教会、東方諸教会と、キリスト教各宗派の手触りを自分なりに確かめる機会に恵まれた。

 よく言えば、ぼくの歩みは、キリスト教学者・水垣渉が言う「多様な聖書的伝統としてのキリスト教」を、可能な限り広く知ろうという試みに見える。悪くいえば、ただの「ハタ迷惑なチャーチ・ホッパー」である。ぼくの人生に対する評価は神のものなので、そのあたりは読者諸賢と未来に委ねたい。

 京都に来てしばらくは無い頭で必至についていき、勉強と研究のあわいを泳ぐ時間だった。幸いにして大学関係で古代キリスト教思想、ユダヤ文献学、中世アラビア語学/初期イスラム思想の専門家らと触れる機会を得た。その中で「聖書を読む」ことの不可能性を知ると同時に「アブラハムの宗教」という奥深い広がりを知るようになった。

 また「日本語キリスト教」の歴史と思想が研究対象なので、東アジアの宗教という視座も見えてきた。加えて、オンライン・オフラインを問わず真摯な仏教関係者と知己を得て、贔屓の喫茶店では作家を始め、ぼくの人生だけでは知り得ないセカイの広がりを得ることが出来た。この思索の中で「太平洋弧のキリスト教」という水際にも足がついた。結果、いま「日本の「国体」解放の神学」について考えている。

 学問的に言いかえてみれば、ぼくは神学から始まり、宗教学を経て、今、民俗学に興味を持っている。波多野の学統にはそぐわない。たとえば「キリスト教学」のエートスは以下のように示されている。

キリスト教学は、宗教学(宗教史、聖書学)、宗教哲学、神学の三者を包括し、しかもこれら三者を反省的に関連づけるものと規定することができる。とくに、この三者の関係性の解明は、反省の学としての哲学(キリスト教学の学的基礎論とし ての宗教哲学)の課題であり、宗教哲学はキリスト教学の中で方法論的に中心的な位置を占める。キリスト教(信仰・歴史)をめぐる反省の諸レベルの区別と関係とが構築される解釈学的場こそが、キリスト教学の成立するところなのである。

 気がつけば、教会とキリスト教学の「正統」、そのどちらからも外れてしまっていた。ただ哲学や聖書学に手をつけるには、ぼくはもう年齢が行き過ぎているし、そもそも実力が足りないのだ。もちろん怠惰はいつもある。最低限は学ばなくてはならない。しかし、そのような建徳的譴責を是とする明治以来の日本語プロテスタントが辿ってきた道の結果が現在なのではないか。だから「日本の「国体」解放の神学」を考えている。

 また加えていえば、ぼくとしては、かなり明確に「キリスト教」の枠内に留まっている自覚があるし、教皇・総主教方からでさえ、同意を得る自信がある。もちろん、誰も相手にはしてくれないだろう...。思想史においても、先端の景色が見えているような気がしている。無論、異論、議論は認める。

 以上がぼくのピルグリメイジ中間報告である。これらは数年のうちに、ぼくなりのプログラムとして提出される。そして、ぼくは神への責任から、超越的歴史の鎖から解放されるだろう。

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